第四話 後悔の航海

「ん……」


 目を開けるとベッドの上だった。

 どうやら昨夜あの光景を見て、そのまま卒倒してしまったようだ。窓から射す光は、それがもう朝だということを告げていた。

 でも窓があるということは、ここは一等船室なのだろうか。そういった客室に乗り慣れていた頃の、優雅な日々を思い出しながらベッドから起き上がり、恐る恐るドアを出た。


「おはようございます」


 ドアを出ると、正面にいた人物の急な挨拶に驚いて、体がビクっとする。

 落ち着いて見ると細身で年配の、いかにも執事と言わんばかりの衣装を纏った男だった。


「あ……おはよう、ございます……。あれ、昨夜私悪い夢見たみたいで、船員さんがみんな骸骨だった変な夢を……」


 目の前の人物が人間であることに安心して、昨夜のことを確認しようとした。


「夢ではございません。アルバ公女マリア様」

「そうよね、夢じゃないわよね……え?」

「マリア様のお立場の都合上深くは話せませんが、我々は呪いと言いましょうか、祟りとでも言いましょうか、日が暮れると人間の姿ではなくなってしまうのです」


 そんな話……と言いたいところだけど、私も昨日この目で見てしまったし……。甲板から見える船員たちは、この人の言うように骸骨じゃなく、ちゃんと人間だわ。

 それにしても船員数の割に、この船かなり大きいわね。ちょうどいい、呪いのことも含め、この人に聞いてみよう。


「ところで……えぇと、あなたは?」

「これは申し遅れました。わたくし、坊ちゃんのお世話係りをさせて頂いております、セバスチャンと申します。以後、お見知りおきを」


 坊ちゃん? 誰のことを言っているのかしら。まぁいいわ。


「さっき言ってた、呪いって言うのは?」

「魔女の呪いでございます。申し訳ありませんが、これ以上はご勘弁ください」


 魔女? すごく気になるけど……このセバスチャン、執事として優秀そうだし、これ以上は聞き出せないか……。


「この船かなり大きいけど、船員はこれだけなの?」

「さようでございます。魔女と遭遇する前の長旅でみな力尽き、生き残ったのはこの者たちだけでございます」

「それにしても、この人数でこの大きさの船は動かしきれないんじゃ?」


 たいそう大きい訳ではないが、それにしてもキャラベル級の大きさはあるこの船に対しての船員数に私は疑問を持った。だってこのセバスチャンの他に、三人しか見当たらないんですもの。


「問題ございません。幸いと申しましょうか、呪いの効果で我々は人外の能力を手に入れました。坊ちゃん一人でも航行可能でございます」


 よく分からないけど、なるほど……そういえばあの男は?


「私をこの船に連れてきた、あの男はどこかしら?」

「坊ちゃんでございますか。何しろ自由気ままなお方。船内のどこかには、いるのですが……」


 坊ちゃん⁉ あの男が? なんなのあいつ。海賊だと思ってたら、貴族だとでも言うの?


「その坊ちゃんは、一体何者なのかしら?」

「申し訳ございませんが、高貴な身分のお方としか……」


 ふふ、大丈夫。ここまで情報があれば、あとは私の頭脳で推理してあげるわ。


「ありがとうセバスチャン。ごきげんよう」


 一言お礼を言うと、頭を下げるセバスチャンの横を通り、私は甲板へ向かって歩く。

 今までの情報を整理しましょう。

 まず、美人で賢く気高い私には話すことはできない。あとは、魔女に呪いをかけられた。そして坊ちゃんは、高貴な身分。

 容姿端麗で頭脳明晰。つまり、才色兼備で完璧な淑女の私を魔女だと思い込んで、また呪いをかけられるのではないかと、警戒している……なんてね。うん、さっぱり分からん。


「おう、嬢ちゃん。目が覚めたかい?」

「嬢ちゃんもこっち来て、一緒にカードでもやるかい?」

「いえ、結構よ。ごきげんよう」


 話しかけてきた船員たちに、愛想笑いをして船首に向かう。

 全く愚民どもが、この私に気安く話しかけてくるなんて。だいたい、あんなに遊んでいて大丈夫なの? いくら坊ちゃん一人いれば動かせるからって、これは怠慢だわ。


「って、誰も舵を握ってないじゃない……」


 無人の舵を見ると、中央の紋章が目についた。


「これ、どっかで見た記憶があるな……」


 記憶を探るが中々出てこない。なにせ私のいた環境は、家の数だけ紋章があるのだ。いちいち覚えきれるはずがない。そう思いながら空を見上げる。


「あれ……?」

「おい小娘、そこで何をしている」


 あの男がやってきた。あれ、尖った耳に牙の出た口元がない。容姿は普通に人間だ。他の船員と同じように、こいつも日が出ている間は普通の人間なのかしら。


「小娘じゃありません。マリアと言う名があります。あなたこそ誰なのよ」


 小娘呼ばわりされた社交界の日々を思い出し、少し憮然とした口調で私は言った。


「ほう、これは失礼。俺はエンリケだ」


 エンリケ? ありふれた名前ね。これだけじゃ、こいつがどこの誰なのか分からないわ。


「ところでエンリケ。あなた、私を国へ送ると言ったわよね?」

「もちろんだ。だから今向かっているだろう」

「北上してるんですけど……」


 太陽の位置から方角を考えると、この船はイスパニアどころかブリテンに向けた進路を取っていたのだ。


「何? それがどうかしたのか?」

「北に向かってるってことよ! これじゃ真逆に進んでるじゃない!」

「なんだと⁉」


 私の言葉をやっと理解したのか、エンリケは驚いた表情で言った。


「ちょっと、この船の航海士は?」

「そんなものはおらん」

「測量士は?」

「いないと言ってるでしょ。俺が船長と言う以外、役職などないの」


 絶望的だわ。よくこれまで航海できたわね……。


「ちょっと舵を貸しなさい!」

「何をする⁉ やめろマリア!」


 私は強引に舵を握ると、その勢いのままエンリケに言った。


「私こう見えて、航海術はたしなんでますの。他にも学問全般、なんでもござれのエリートですので」

「騙されんぞ、小娘め」


 エンリケはなおも疑いの目で私を見る。


「あなた第一ここがどこか分かってるの?」

「マディラ辺りだろう」

「呆れた……ここは北大西洋。今頃、アイルランド沖くらいよ」


 マディラなんてカサブランカの真西じゃない。むしろどうやって、アゾレスから北上してここがマディラだと思ったのよ。


「なるほど……確かにそう言えば、少し涼しいかもしれないな」


 だめだこの男……。

 通りすがりに会話を聞いていたセバスチャンも、恥ずかしそうに顔をそらす。唯一まともそうだった執事も、航海に関しては全くの素人。ここはいよいよ、私の腕を試すときが来たようね。


「エンリケ、私が国へ帰りたいのと、あなたが私を国へ帰したいという目的は一緒。ならばここは、私に任せてよ」

「今まで一度として、目的地に順当に辿り着いた試しがないのは、そういうことだったのか。よし、ではお手並み拝見といこうかマリアよ。ただし妙なことをすれば、すぐに止めさせる」

「了解。任せて、キャプテン」


 勢いよく返事すると、エンリケは照れ臭そうにしているようだった。案外ピュアなの一面もあるのね。

 そうして私の操る船は風を切り、波に乗り、順調に南下を進めた。




 一時間後。

 ドーンという衝撃音が船上に響き渡る。


「どうした⁉」「何があった?」「船にぶつかったぞ!」


 騒ぎまくる船員たち。前方に見えるのは大きなドクロの帆。


「マリアよ、なぜそうなる……」


 鬼の形相で私を睨むエンリケ。


「あはは、ぶつかっちゃった。てへぺろ」


 ――私はまたも、海賊船に衝突させてしまった。

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