第8話 推しの家へ行く
新田一の家に向かっている最中、胸がポップコーンのように弾けそうだった。
だって、あの新田一の家に行くんだぜ?
ずっと夢見て来たラノベの向こう側に来て、推しのヒロインのところに行くんだぜ?
しかもぼくの右手は彼女と手を繋いでいる。
新田一の手は冷たく、指は細かった。
この手を離してしまえば彼女は消えてしまう。
だから手を握る事を許された。
「君のためなら、ぼくは何でもしたいと思っている」
そんな事をぼくは言った。
黒縁メガネをかけた彼女がぼくを見た。
「ぼくは新田一の事を愛してるんだ」
とぼくは言った。
彼女は不思議な生き物を見るような目でぼくを見る。
「和田君は……なんか別人みたい」
と彼女が言った。
和田和也は山本世界観の親友キャラである。恋愛をする事はなく、山本世界観と本田ナノの学園シーンをサポートするキャラだった。
そんなキャラクターが、負けヒロインポジションの委員長に告白したのだ。
キャラクターの域を超えてしまったのだ。
彼女の疑問に、「そうかな」とぼくは言って誤魔化す。
「今までの和田君は、そんな事を言う人じゃなかったよ」
と彼女が言う。
「これは、この世界に君を必要とする人がいるんだと伝えているんだよ。だから消えないでほしい。ぼくは君がいない世界に興味がないんだから」
「そう」と彼女が言う。
……でも、と彼女は言った。
「告白の答えはいらない」とぼくは言う。
「ぼくは新田さんの事を好きなんて生ぬるいモノじゃなくて、愛しているんだ」
「愛してる?」と彼女が首を傾げた。
「そう。愛してる」とぼくが言う。
「どう違うの?」と彼女が首を傾げた。
「花を好きな人は花を摘み、花を愛している人は花を植える。好きは奪うモノで、愛は与えるモノなんだ」とぼくは言った。
推しのためなら何でもする、この気持ちわかる人はいるだろう。
「君のためなら何でもする。君がアイツの事を好きなら、ぼくはそれすらも応援する」
彼女は下を向いた。
そしてぼくの手をギュッと握った。
「和田君はすごいね」と彼女が呟いた。
「私は応援できなかった」
彼女と手を繋いで、トボトボと家に向かった。
新田一の家に向かっている最中に家に電話しなくちゃお母さんが心配するだろう、と思った。
お母さん、というのはコチラ側のお母さんである。
前世? というか、トラックに轢かれる前のお母さんの事は意識しなかった。
コチラのお母さんの事を気にするという事は、ぼくは本当に和田和也になりつつあるんだろう。
母親には山本世界観の家に泊まる、という事にした。何度も泊まった事がある。それに家に泊まったりできる友人は彼だけだった。
母親からあっさりと了承を得る。
おおらかというか、なんというか。
そして彼女の家にやって来た。
新田一の家は古民家で塀から木々が飛び出していた。
本来なら伐採して道行く人の邪魔にならないようにしなければいけないのだろうけど、そんな余力は彼女に無いのだろう。
扉は建て付けの悪いスライド式で、住民の彼女が扉を開けるのに少し苦戦していた。
玄関には靴が置かれていなかった。
そしてお線香の匂いがした。
なぜかお線香の匂いは懐かしく感じる。
彼女は靴を脱いだ。
ぼくもそれに習って靴を脱いだ。
そして彼女がぼくを見つめた。
何で見つめられているんだろう?
「靴を揃えたいんだけど」
と新田さんに言われる。
ぼくが手を握っているから靴を揃えられないらしい。
彼女の冷たい手をぼくは離す。
そして彼女は膝を折り、自分の靴とぼくの靴と、ぼくの目には見えない透明な靴の三足を並べて、立ち上がった。
すかさずぼくは彼女の手を握った。
そして我々は居間に向かった。
居間は家族団欒のアニメみたいな畳と卓袱台が置かれている部屋だった。
「カズヤ君も好きな場所に座って」
と彼女が言った。
「カズヤ君?」
とぼくは首を傾げた。
急に下の名前で呼ばれてドキリとした。
「違うの」と彼女が言う。「この子の名前もカズヤ君っていうの」
そう言って新田一は何も無い空間を見つめた。
「そう」とぼくが言う。
「お茶淹れようか?」
と彼女が言った。
「一緒に付いて行く」
とぼく。
彼女から1ミリも離れたくなかった。
「座っといて」
と彼女が言う。
「でも」
「消えたりしない」
と新田一が言った。
ぼくは卓袱台の前に座る。
彼女がキッチンへ。
たぶん近くにカズヤ君、という透明人間の男の子も座っているんだと思う。
気配も感じないし、誰もいない。
誰もいないのに、そこには新田一だけが見える透明人間の男の子がいて、……そう思うと身震いがした。
やっぱりキッチンまで付いて行けばよかった、と後悔している時に彼女は暖かい緑茶を3つ淹れて戻って来た。
新田一が緑茶をぼくの前を置く。
そして誰もいないはずの場所に緑茶を置く。
そこに透明人間がいるんだろう。
そして自分の前に湯呑みを置いた。
新田一がお茶を啜った。
ぼくはジッとそれを見つめた。
可愛い。
アラレちゃんみたいな黒縁メガネを彼女は外して卓袱台の上に置いた。
原作では新田一は家の中ではメガネを外す設定だった。だからこそ、たまにメガネをかけて来る事を忘れてしまうのだ。
メガネを外せば、もっともっと可愛い。
クリンとした瞳。少し分厚い唇。
清純派アイドルでもおかしくない美貌だった。
メガネをかけていたら可愛さに気づかないという野暮な事は言わない。
可愛さ半減メガネをかけていてもなお新田さんは可愛い。
マイナスのアイテムを外した事で本来の超絶に可愛い新田一が現れた。
「本当に可愛い」
自然とぼくの口から漏れていた。
「こっち見ないでくれる?」
と彼女が顔を赤くして言った。
「どうして?」
「恥ずかしい」
「見たい」とぼくが言う。「こんなに可愛いのに見なきゃ損じゃんか」
「そんなに可愛くないよ」
と新田一は言って、可愛さ半減メガネをかけ直した。
「どうしてメガネをかけるの?」
「見つめられるのが恥ずかしいから」
「メガネをかけても見つめるよ。可愛いもん」
「……ふぅ」
と彼女が溜息をついた。
ぼくは彼女を見つめた。
「家でいる時はメガネを外しているの」
と彼女が言った。
知ってる、とぼくは思う。
だけど口に出しては言わない。
「家ではメガネを外しておかないと落ち着かないの」
と彼女が言った。
新田一がメガネを家の中で外すのはもともと怪異が怖いからである。メガネを外していれば家の中に怪異がいても視力が低いので何も見えないらしい。
新田一はメガネを再度外した。
「これで和田君のニヤニヤ顔は見えない」と新田一が言う。
「ぼくは君を見つめてニヤニヤしている」
「知ってる」
と彼女が言う。
新田一はおもむろにヘアゴムを外して、三つ編みを解いた。
彼女が手櫛で三つ編みを解く。
綺麗な黒髪には三つ編みをしていた頃の名残がウェーブとして残った。
「はぁ」とぼくは新田一が綺麗すぎて溜息をついた。
「こんなに綺麗で可愛い人をぼくは見たことがない」
「私、シャワーを浴びるけど」
と彼女が言った。
ぼくのセリフは無視らしい。
「ぼくも一緒に入るよ」
とぼくが言う。
「和田君とは一緒に入らない」
と彼女が言う。
「カズヤ君、お姉ちゃんと一緒に入ろうか?」
と新田一が言う。
メガネを外しても透明人間は見えるらしい。彼女には普通の人間として見えているんだろう。
「うん。お姉ちゃんと一緒に入る」
とぼくが言う。
「カズヤ君、って和田君の事じゃないからね。和田君とは一緒に入らないから」
「その、カズヤ君っていくつなの?」
「小学2年生」と彼女が言う。
一緒に入ってもおかしくない年齢か。
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