エピローグ 1
その日、僕は腕によりをかけてつくった夕食を、テーブルの上に並べていた。
一人暮らしの僕は、自分で食べるだけだから、と普段シンプルな料理ばかりつくっていたのだが、この日は別だ。
「あなた、こんな手の込んだものまでつくれたの?」
「ええ。今日はお祝いですから特別に!」
「大げさねえ」
素っ気ないようでいても、陽香さんはテーブルを覗き込んで料理に興味津々だった。
この日の陽香さんの部屋着は、大きめのTシャツになっていたのだけれど、部屋着用だからか首元が緩んでいるので、両腕を着く姿勢だと首元から胸が見えそうになってしまって目に毒だ。
黒歴史の象徴であるメガネ姿なのは、気を許してくれているようで嬉しいけれど。
「だって、陽香さんが引っ越しを取りやめて、お隣さんでい続けてくれるって決まったんですよ? これくらいのことはしないと!」
陽香さんの引っ越しは、取りやめになった。
まだしばらく、僕のお隣さんでいてくれるらしい。
「……あなた、あまり浮かれないことね。生徒間で噂が収まっても、私は同僚から怪しまれたままなのよ? これでお隣同士なことがバレたら、いつ引っ越すよう強制されるかわからないんだから。その時は逆らわずに引っ越すわよ。あなたのために仕事を辞める気はないからね」
「いいんです。陽香さんが自分の意思で戻ってきてくれたってことが一番大事ですから。その時のことは、その時考えましょう」
「……あなたは、案外向こう見ずなところがあるのね」
「陽香さんのことを考えると、無茶やっちゃうんですよね」
「そ。まあいいけど」
陽香さんは、僕より料理に興味があるようで、もはやテーブルしか見ていない。
そんなにお腹が空いているのなら、と陽香さんのためにさっさと夕食にする。
「なんだ、おいしいじゃない」
口元に手を添え、陽香さんが驚いてみせる。
「陽香さんは僕を料理下手と思ってるところがありますよね」
「そりゃあね。あなた、献立でやたらと困っていたし、外食に連れ出したことだってあるのだもの」
「僕のために作る分にはいい加減になっちゃいますけど、陽香さんのためとなったらまた違いますよ」
「ふーん。なんか変なもの入れてたりしないでしょうね?」
「愛情しか入ってませんが?」
「真顔で言わないでくれる?」
引くわーという顔をして、陽香さんは僕から体を背ける。
「あーあ、あなたって私がなにをしても許してくれるところがあるし、この上ご飯までつくってくれるようになっちゃったら……本当に私は教師として、年上として、どこまでも堕落していきそうだわ」
「陽香さんは本当にその辺気にしちゃいますね」
「だって、年上はあなたに対するアドバンテージなのよ?」
ディスアドバンテージでもあるけど……と陽香さんは口先をもにょもにょさせる。
「……じゃあ、恋人になってしまえばいいんじゃないですか?」
「……は?」
「平等な立場になってしまえば、そんなの関係なくなるってことですよ」
「気が早すぎるわ」
「もう少し時間が経てばオーケーということですか! 大いなる一歩!」
「ち、違うに決まってるでしょうが! 私があなたのことを勝手に好きと判断してるところが気が早いと言ったのよ!」
「そうですね、僕も卒業する時くらいまでは待てますので。でも、それまではお隣さんでいてくださいね?」
「全然わかってないじゃない!」
「まあ陽香さんには、これくらいしないと伝わりそうにないので。いまだ学生時代を引きずってて、自己肯定感低いところがありますから」
「……もういいわ。好きになさい」
ため息をつく陽香さん。
「あなたみたいに好き好き言ってくるもの好きも珍しいしね」
「変ですね。共学の大学で、サークルにも入ってたんですよね? 男女の交流が盛んそうな環境じゃないですか。陽香さんに求愛する不届き者もいたんじゃないですか?」
「……いたけれど、大学入ってからの私だけで判断されちゃうとね。結局、昔の暗黒時代な私を知らないじゃないって思うと、付き合う気にはなれなかったのよ。私の素を知って、嫌われるのが怖かったのかもね」
「素の陽香さんこそが一番可愛いんですけどね。気づいてないのは陽香さん本人だけですよ」
すると、陽香さんの顔色が下から上に少しずつ赤くなっていく。
「も、もう、この話終わり! だいたい、食事中におしゃべりなんて行儀悪いんだから!」
「陽香さんがそう言うなら黙って食べますし、僕はそれでも全然満足なので。食事中の陽香さんは最高のおかずですからね」
「言い方に気をつけなさい……」
もぐもぐとしながら、陽香さんは、ぷいっ、とそっぽを向いてしまう。
しばらく黙っていることにしよう。これ以上しつこくすると陽香さんに嫌われてしまいそうだ。
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