第45話 結末
数日後。
僕は陽香さんに呼ばれて、国語準備室にいた。
この狭い物置同然の教室も、なんだか久しぶりだ。
「河井くん、どういうこと?」
僕に詰め寄る陽香さんは、胸の前で腕を組んでいる。陽香さんがそのポーズをすると大きな胸が強調されてしまうので、僕以外の人の前ではやらないでくださいね。
「何がです?」
「あなたがショートホームルームの時間に妙なことをして以降、例の噂が少しずつ静まっていったわ。以前は、授業に行くたびに好奇の視線にさらされたけれど、今はもうそんなことないもの」
「きっと、『真相』を知ったクラスメイトが、他クラスの友達とか部活の仲間に伝えてくれたんですよ」
「……あなた、なんだかドヤっているけれど、もしかしてこのことを予測していてショートホームルームであんなウソをでっちあげたわけじゃないわよね?」
「賭けって気持ちもありました。でも、勝つつもりで勝負しましたよ」
「このままだとスッキリしなくて気持ち悪いわ。どういうことか、わけを説明なさい」
高圧的な陽香さんだけれど、困った表情でそわそわしていた。本当に気になっているのかもしれない。
「『巷ではそう言われているけど、真実は違うんだよね。本当はこういう話だったんだ』って、自分だけが知っている『本当のこと』って、ついついみんなにも話したくなりませんか?」
「それは……」
「陽香さんだって、『スパプリ』の制作者とお話する機会があって、ファンの間で解釈が分かれている逸話の答えを直接聞いたら、推し活仲間に話して回りたくなってしまいますよね?」
「……そうね。得意になって話してしまうと思うわ」
「つまり、そういうことなんですよ。みんな本当はドヤりたいんです。僕はそれを利用することにしただけですよ」
クラスメイト以外のみんなは結局、僕と陽香さんの実態を抜きにして、なんとなく面白そうだから、という理由で噂に乗っただけに過ぎない。
一方で、僕と陽香さんがどういう人物なのか知っていて、一番真相を確かめやすいはずのクラスメイトは、僕本人に訊ねて本当のことを聞き出すという簡単なことができなかった。
陽香さんは、クラスメイト同士の揉め事をご法度に掲げていたのだから。
それが、これまでずっと噂が野放し状態になって過熱していった理由だ。
他の誰でもなく、僕自身が動かないといけなかったのだ。
僕の方から明かしてしまえば、思い込みと憶測による無責任な中傷ではなく、噂の当事者を情報源にした『真相』だ。これを周囲に伝えたところで、クラスのルールを破る恐れはない。
きっとクラスメイトは、クラス外の人たちに、のびのびと『真相』を伝えてくれたことだろう。
メンタルが疲弊していた地味なぼっちが、学校一厳しいが親身な美人教師に助けられただけ。
なんてことない種明かしをされてしまえば、もはや色恋沙汰に広げられるはずもなく、噂は沈静化へと向かう。登校拒否一歩手前まで追い詰められていたことになっている、僕自身への同情もいくらかあるだろう。これ以上は気の毒だからもうやめよう、となるはず。
「……あなたの言い分はわかったわ。それで一応は納得してあげる。でも……」
「まだなにか?」
「どうしてあなたが、そこまでするの?」
学校外でよく見る、気負いの表情が取れた不思議そうな顔をする陽香さん。
「あれ? わかりませんか?」
「知るわけないでしょうが」
「そうですか。恋愛経験が浅いとそうなってしまうんですね……」
「煽るわねえ……」
苛つく陽香さんがちょっとピキっていた。案外気にしているみたい。まあ、最悪の場合、相手がいなかった時のライフラインは保証されているので安心してほしいところ。
「僕には、お隣の陽香さんが必要でしたから」
陽香さんに詰め寄られてしまったけれど、今後は僕が詰め寄る番だ。
「陽香さんが一方的に抜きフレの解散を宣言したことに腹が立って、無茶をしてしまったんですよ」
壁にドーン! とするかたちになる僕。
陽香さんは怯える表情をしているようで、頬を赤くしてそわそわし始めた。本当に押しに弱い人である。
「でも、本当にいい機会だと思ったのよ。変な噂であなたを困らせることもなくなるし、教師として、大人として、もうあなたに甘やかされるわけにはいかなかったから……」
「大人は、甘えたらいけないんですか?」
「それは……別に、そうとは限らないかも」
頑なだった陽香さんも態度が軟化しているのかもしれない。出会ったばかりの頃の陽香さんだったら、僕の言葉だって有無を言わさず突っぱねていたはずだ。
「これから僕と一緒に、ほどよく甘えられるところを探っていけばいいだけじゃないですか。陽香さん一人で頑張らないといけない理由なんてありますか?」
「それは、あなたが私を甘やかしすぎるから……あなたといると、私はどんどんダメに――」
「陽香ぁ、相変わらずごちゃごちゃうるせえな」
「――ッ!?」
ぺちぺちと陽香さんの頬を叩き、オラついちゃう僕。
本当は僕だってこんなことしたくないけど……僕は、陽香さんにはまだまだ隣人として近い位置にいてほしいのだ。
だって、僕は陽香さんのことが好きなのだから。
だから仕方ないことなんだよね。ごめん、陽香さん。
「なんだぁ、ぺちぺちされんのヤなのかよ?」
「や、ヤじゃないわ……!」
なんだかときめいたような顔をする陽香さん。
「じゃあ、もっと僕の言うこと聞けよ。僕に任せることも覚えろ」
「ああ、学校の中なのに。教師なのに……生徒のコウヘイくんにぺちぺちされちゃってる……! んふぅ」
うっとりする陽香さんは、どんどん息が荒くなって今にもトリップしそうな勢いだ。
そして、僕というよりは僕に推しの面影を見出しているからこその反応らしい。
ちょっと悔しい。
まだまだ陽香さんに認められるように頑張らないといけないみたい。
手強いけれど、陽香さんの推しには負けないぞ。
そんな悔しさと決意から、僕は思い切ったことをしてしまう。
「これからも僕の隣にいろよ」
僕は、陽香さんを抱きしめていた。
正直ドキドキで、陽香さんに緊張しているのがバレてしまわないか心配だった。
けれど同時に、あるべき場所に戻ったような落ち着きを感じてしまう。
事故とはいえ、陽香さんと抱き合って眠ってしまったことがあるから、その時の感覚が蘇ってきたのだろう。
「あ、あわわ、コウヘイくんが、コウヘイくんが……」
陽香さんは僕に抱きつかれている間、両手をバンザイのポーズにしていたのだけれど、その腕を僕に回すべきかどうか葛藤しているようだ。教師としての責任感が強いのだろう。なんとしても生徒に手を出すまいとする理性がまだ働いているらしい。
ちょっと小細工してやれ。
「僕と陽香さんは抜きフレで、僕は陽香さんのためになんでもするって約束したんですから、好きにしてくれていいんですよ?」
「ふぅぅ、ふぅぅぅん!? コウヘイくん!?」
やたらと鼻息が荒くり、はぁはぁし始める陽香さんの白い肌が、いっそう赤くなった。
陽香さんの反応が過剰になったのは、コウヘイ氏の声真似をしたからだ。
こんなこともあろうかと、こっそり練習していたのだ。
元々声質は近かったから、あとは節回しを再現できるよう頑張れば、それっぽいかたちになった。
やっぱり、黒歴史を量産していた辛い学生時代から推し続けている人は特別なのだろう。
とうとう陥落した陽香さんが、僕の腰に腕を回してきた。
まあ、僕というより、推しのコウヘイくんとしか思ってないだろうけど。悔しい。
「じゃ、じゃあこれからもうちょっとコウヘイくんに甘えちゃっても……?」
「ちょっととは言わず、一生でもいいですよ?」
「一生……!? そそそそ、それって、コウヘイくんとマリッジしちゃうってことォ!?」
陽香さんの綺麗な声が、今は一段と高くなってしまっている。なんだか色々限界突破しちゃったみたい。
「はふん」
「あれ!? 陽香さん!?」
突然腰砕けになってその場にペタンと座り込んでしまう陽香さん。
安らかに眠るような顔をしていまっている。もはやこの世に何の未練もないと言うが如くだ。
もちろん、僕としてはこれからもっと陽香さんと楽しいことがしたい。
このまま天国送りさせてたまるか。
「陽香さん、起きてください、陽香さん」
ゆさゆさゆすぶりながら起こそうとする僕。
揺すぶりが強かったのか、人前ではしてはいけない表情になってしまっているけれど、こんな顔を見られるのも僕の特権。
「……好きです、陽香さん」
無意識のまま、自然と口をついて出た言葉は、陽香さんへの告白だった。
「――ッ!?」
告白してしまったことと、陽香さんが覚醒している時にちゃんと言えない自分へのダブルの恥ずかしさに襲われて、まだまだ未熟な僕は、陽香さんのそばで身悶えるハメになるのだった。
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