第38話 噂
二時間目まで耐え抜くと、僕は体育の授業に備えて教室を出た。
この日は、グラウンドで100メートル走のタイムを測ることになっている。
球技よりずっとサボりやすいので、今朝のドタバタで疲労している身としてはつかの間の休憩タイムだ。
「河井~、今日は助かったな」
順番が来るまで待っている間、
「ああ。これなら変に目立つこともないからね。毎回100メートル走でもいいくらいだよ」
「違いねえな」
僕と三吉は、今日も体育に対して、めんどくさいしもうやりたくない、という後ろ向きな志を持つ同志であることを再確認し、出番が来るまでグラウンドの隅で固まることにする。
「そういえば、なんか今日お前、話題になってたぞ?」
心配そうに、三吉が言った。
「話題って、何が?」
「いや、うちのクラスのアホどもが勝手に盛り上がってたってだけなんだけどな。今朝は遅刻しそうになってただろ?」
「ああ、寝坊しちゃって。えっ、まさか三吉のクラスの悪い連中に目をつけられちゃったり? 遅刻するなんて生意気だ、とか」
「いや、そういう物騒な話じゃねえ。その時、ほら、あの怖い先生。氷屋間先生と一緒に学校来てたって騒いでたヤツがいて。なんか変に邪推する連中が現れやがったんだよ」
「邪推って、どんな?」
「お前と氷屋間先生が付き合ってるとかそういう話だよ」
「偶然駅前で出くわしただけなのに? よくもまあそれだけのネタで盛り上がれるね」
などと言う僕だけど、内心ではドキドキしていた。
陽香さんと部屋が隣同士で、親しくしているなんてことが知られたら、面倒なことになる。
何より、僕のせいで陽香さんに迷惑が掛かるのが嫌だった。
「だいたい、氷屋間先生が生徒と恋愛って。氷屋間先生って、そういうのから一番遠い人でしょ。僕だってそうだよ」
「河井の言う通り、氷屋間先生は真面目で厳格。それはみんなも知ってるだろうよ。でも、そんな氷屋間先生が珍しく遅刻したと思ったら、お前と一緒に登校だ。その、ありえない者同士の組み合わせが、アホ連中の想像力に火を付けたみたいだぞ。ああ、俺は別に疑ってるわけじゃないからな。ていうか認めたくねえ。河井が俺を差し置いて美人教師と交際してるだなんて、想像するだけで悔しすぎて泣けてくるから!」
「待って。三吉のクラスの事情以上に三吉の私情入りすぎてよくわからないことになってるから……」
「とにかく! 俺はお前が氷屋間先生と付き合っていたら、すごく嫌だ! 俺だけ取り残されたような気がする! だから噂のことは信じない!」
「結論そこ? おかしいでしょ。根拠のない噂よりお前を信じてるぜってスタンスでいてよ」
「まあどうせ噂だし、すぐ収まるだろ。だってお前が主役の噂だ」
「ど、どういうことなの?」
「俺やお前みたいなヤツは、いつまでも話題の中心でいられるほどニュースバリューがないってことさ」
「否定できないなぁ……」
「そんなわけだから、気にするなって」
「三吉が言い出すことさえしなかったら、なかったも同然の話題なんじゃないの?」
「そうかもな。でもまあ、面倒事に巻き込まれないように気をつけた方がいいんじゃねってことで。こう言っちゃ悪いけど、お前の口から噂を否定する機会ってなさそうだし……」
「それは、まあ……。噂が有耶無耶になるのを待つしかないかも」
ぼっちの僕は、そもそも話しかけられることもないからね。噂の真偽を確認しにくるクラスメイトはいないだろう。そもそもうちのクラスには女帝がいる。陽香さんに目をつけられたくないみんなが目立つ行動を起こせるとは思えなかった。
「うわ、俺の出番だ」
そう言っているうちに、三吉がタイムを測る順番がやってきてしまう。
「悪いな、ちょっと一仕事済ませてくるわ」
めんどくさそうにしながら木陰を出て行った。
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