第31話 バイト先の先輩
放課後。
僕は、バイト先の書店にいた。
学校から二駅離れた町にあるこの書店は、チェーン店ではあるけれどローカルなため、個人商店のような雰囲気があった。そのためいい意味で緩く、買い物をする場所としても働く場所としても気に入っていた。
店内は、教室よりちょっとだけ広い程度。従業員の数は少ない。それでも、最近次々と閉店に追い込まれている昨今の書店事情を考えれば、貴重な町の本屋さんだ。
店に常時いるのは二人が精々。休日には多少増えることもあるが、平日だとこんなものだ。
お客がいない時は、相方と二人きりになることもある。
クラスでぼっちな僕だけれど、気まずく感じることはなかった。
シフトの都合で毎回僕と一緒になる、甘越さんのおかげかもしれない。
物静かな彼女は、黒い髪を顎のラインで切りそろえ、青のインナカラーを入れている。
いつもちょっと眠そうな感じで、一見覇気がないように見えるけれど、率先して仕事をこなすし部下への指示も的確だ。
童顔で背が低いこともあり、僕より年下の中学生に見えることもあるのだが、これでも実は僕よりずっと大人らしい。
以前、年齢を訊ねようとしたらわりとガチのトーンでクビをちらつかせてきたので、実年齢はわからないままだ。
同僚の女子大生バイトのタレコミ情報によると、アラサーらしいのだが、とてもそうは見えない。
店長という立場にあるものの、脱力した雰囲気のおかげで、初対面の時から変に緊張するようなことはなく、それでいて実務になると頼もしく対応してくれる。僕は、産まれて初めてできたこの上司を頼りにしていた。
この日は、雨が降っていたこともあり、普段よりお客が少なかった。
接客の時間が減ると、自然と甘越さんと会話する機会が増えることになる。
甘越さんは口数こそ少ないけれど、沈黙を苦にさせない不思議なオーラがある。それでいて話しかけやすいので、僕もつい饒舌になってしまうのだ。
「そういえば、この前甘越さんに薦めてもらった本、読みましたよ」
「そう。どうだった?」
「面白かったですよ。なんか、序盤からぐいぐい引き込まれたんですけど、中盤のまさかの裏切りでハラハラして、最後の展開がドドーン! って畳み掛けてきて、いい意味で気が休まる瞬間がなかったですから」
「わかる。わたしは読んでるから。でも……」
僕の感想を語るスキルがあまりに低いことに、甘越さんは困っているようだ。
確かに、話の内容を知らない人が聞いたら一体どんな内容なのか、何が面白いのかまったくわからないだろう。
「いや、楽しかったんですよ? 読んでる時はワクワクが止まりませんでしたし。だから一日で読めちゃったんですけど。でも、その気持ちを言葉にするとなると……」
「訓練。アウトプットするには必要なの。すぐできない人もいる」
「そうですねえ。僕の場合、いざ口にすると言葉がなかなか出てきてくれなくて難しいんですよ。話すのは日本語なのに、なんだか単語をかじった程度の外国の言葉で会話しようとしてる気分になります」
「そう。でも練習、練習。いつかできる」
「ですね! 始める前は不安でしたけど、読書の面白さに目覚めたのは本当なので、これからガンガン読んじゃいますよ!」
「その意気。河井くんは、まだ読み始めたばかり。これからだよ」
小さなお手々を丸めて、僕を勇気づけてくれる甘越さん。
甘越さんの言う通り、僕が本を読み始めたのはここ最近のこと。
元々本を読む習慣はなかったけれど、視野を広めるために動いたきっかけは、陽香さんだった。
よりよい抜きフレになるために、少しでも多く陽香さんとの共通の話題が欲しかったのだ。
まあ知っての通り、目論見通りには行っていないんだけど。
僕のクソ雑魚感想力では、陽香さんと語り合うレベルまで到達できていないから……。
「でも謎。河井くんはなんで読書を? うちで働き始めたから?」
「ああ、そういえば言ってませんでしたね。陽香さんのためなんですけど……」
「はるかさん?」
「ええ、僕の学校の……いや、隣に住んでるお姉さんで」
ややこしいことになるのを恐れて陽香さんの素性を隠しつつ、お隣のお姉さんと仲良くしたくて、彼女の好きそうな話題を仕入れたいのだ、ということを明かした。
「不思議。河井くんでも恋愛するんだ」
「しますよ! 僕だって男子っていう生き物なんですから!」
僕ってそんな人間らしく見えないのかな?
「あっ、でも僕が陽香さんに抱いてる感情はどちらかというと恋愛というより憧れですからね! 陽香さんが僕を恋愛の対象として意識してくれているセンは考えにくいですし」
まあウソなんだけど。
単に、甘越さんに対して、ボク好きな人がいるんです! と宣言するのが恥ずかしかっただけだ。
「そうだ! よかったら人生の先輩として、年上女性と仲良くなる方法を教えてくれませんか?」
「……無理」
「お願いします。女性の知り合いがいないので、参考にするチャンスがないんですよ」
「恋愛。それをわたしに聞く?」
「甘越さん、美人じゃないですか。それにしっかりしてますし」
「誤解……。すごい」
「そんなことないと思いますけど」
「経験。豊富じゃないよ。歳は大人だけど……」
「うーん、落ち着いてて動じないですから、酸いも甘いも噛み分けた人生の達人に見えちゃうんですけどねえ」
「そもそもわたし、恋愛は自分でするより観る派」
「観る側の派閥なんてあるんですか!?」
「ある。愉悦……安全圏から観る他人の恋愛模様……」
「あ、甘越さんっていい性格してますねえ」
「こどもの頃。家族の事情で。自分の恋愛には夢見てないの」
ふっ、と寂しそうな笑みを見せる甘越さん。
わずかな付き合いではあるけれど、これはあまり深く触れてくれるなというサインだ。先輩から教えてもらった。
甘越さんは有能ではあるのだけれど、完璧な人間ではない。
過度なストレスを掛けないように、と、甘越さんとは旧い付き合いらしい先輩社員から注意されたことがある。
働く場所もそれぞれなら、働き方もまたそれぞれ。みんながみんな、身も心も全力投球で働けるわけじゃない。甘越さんなりの事情があって、自分の体調と相談しながら働いているのなら、僕もそれを尊重したい。
「なるほど。僕は見ての通り気楽な人間ですし、なんといっても男子高校生ですからね! 年上のお姉さんとの恋愛には憧れてしまうんですよ」
「うらやま」
「ははは、僕でも甘越さんに羨ましがられちゃうことがあるんですね」
「過度な感情は厄介。わたし、自分の感情は、コントロールできる位置に置きたい」
本当に、甘越さんは過去に色々あったのだろうな。
「結論。だから、あなたのことは応援したい」
「ありがとうございます。甘越さんの優しさが五臓六腑に染み渡りますよ」
甘越さんの小さな手のひらが、僕の肩にぽんと添えられた。
とても弱い力ではあるけれど、前向きな気持ちがあふれてきて、そういう魔法を使える妖精さんみたいだった。
「若さ。青春。……んふぅ、いいね」
満足そうなホクホク顔で、悩ましい吐息の甘越さん。
そうこうしているうちに、お客さんが雑誌を手にカウンターへやってきた。
おしゃべりは終わり、甘越さんが接客をする。
「いらっしゃいませ――」
あまり表情が変わらない甘越さんだけれど、接客の時はにこやかで柔らかい表情になる。
口調は平坦なものの、そこにはそっと添えるような優しさが含まれていて、そこがこの町の本屋さんが根強い人気を持つ理由なのだろう。
雨宿りついでと考えているのか、それからお客が少しずつ増えていって、甘越さんと雑談をする間もないくらい忙しくなるのだった。
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