第20話 推し活同伴 その1

 翌日の早朝。


 僕のアパートにはベランダがあって、そこからは自然豊かな町並みを一望することができる。田舎町にも、いいところはあるのだ。


 暖かくなるのはもう少し先だけれど、このピリッとした寒さは、寝起きで鈍った僕の頭をシャキリと目覚めさせてくれる。


 けれど今日は、憂鬱な気分の方が勝った。

 昨日のマッサージの件が原因だ。


「はぁ~っ」


 クソでかため息だってついてしまうというものだ。


「善意のつもりだったんだけど……」


 信頼を失わないように、と頑張る気でいたのに。

 結局僕は、欲望を優先させてしまう下心満載の変態少年だったってことか?


「情けな。はああ~っ」

「――なに朝から大きなため息ついているの。鬱陶しいわね」


 隣から響く、晴れ間の早朝より清涼感を覚える声。


「は、陽香さん!?」


 ベランダは、隣と仕切りで隔てられているのだが、上下に隙間がある。お互いがベランダにいたら、顔は見えなくても普通に会話ができてしまえる構造になっているのだ。


「妖怪が出たみたいな言い方しないでくれるかしら?」

「いやぁ、そんなことは……」


 気まずい。

 陽香さんに声をかけられて嬉しい反面、嫌われたんじゃないかという思いが強すぎて、この場から逃げ出したくなってしまう。


「昨日のことなら、私、気にしてないから」

「えっ?」


「気にしてない、と言ったの」

「いいんですか? 僕を……許してくれるんですか!?」


「許すも許さないも、そもそも私はあなたのことを怒ってなんかいないわ。だいたい、マッサージを頼んだのは私だし。あなたが勝手に勘違いしていただけよ」

「そ、そうですよね! 僕は悪くない! 潔白だ!」


 言ってしまってから、やば調子に乗った……と恐れおののくのだが。


「ふふっ」

「な、なんですか、僕を笑い者にして」


「いいえ、河井くんは思ったより単純だと思って」

「男子高校生はちょっとくらいバカな方が可愛げがあるんですよ!」


「じゃあバカなあなたは、また性懲りもなく私の頼みを聞いてくれちゃうのかしら?」

「そりゃ聞いちゃいますよ。陽香さんの頼みならなんでも!」


 ちょっと前までの暗くて重い気分はどこかへ行ってしまっていた。


「それなら、今度の休日、私の買い物に付き合ってくれない?」

「買い物?」


「推し活」

「えっ!? 陽香さんの大事な趣味に、僕もお供させてもらっていいんですか?」


「ええ」

「やったぁ!」


 誰も見ていないのをいいことに、嬉しさのあまり僕はその場で飛び上がってしまった。


「自分から頼んでおいてあれだけど、他人の趣味に付き合えるなんて、河井くんって心が広いのね」

「確かに僕は『スパプリ』には詳しくないです。でも、陽香さんが、自分の好きな事に僕を誘ってくれたことが嬉しいんですよ」


「そ、そう……そこまで喜ばれるとは思ってなかったわ」

「そりゃ喜びますよ」


「正直、私の中のオタクが大暴走してあなたに迷惑かけるだけかもって思ってたから」

「迷惑とは思いません」

「それを聞いて安心したわ」


 安心したのは、僕の方だ。

 昨日のことで完全に終わってしまったんじゃないかとずっと心配だったのだから。


「じゃあ、今度の休日に」

「どうせこれから学校で会いますけどね」


「学校じゃ、こんな話できないでしょ?」

「そうですね」


 まるで、二人きりの秘密を共有しているようで、ますます僕は有頂天になってしまう。


「私も、こんなに楽しく話すこともできないしね。あら、時間だわ」


 陽香さんは教師だから、生徒の僕より早めに学校へ行く。

 もっと陽香さんと話していたい気分だったけれど、教師を遅刻させてしまうわけにはいかない。


「あなたも、遅刻しないようにね」

「しませんよ。遅刻したら、その分陽香さんに会える時間が減っちゃいますから」

「勝手に言ってなさい」


 顔は見えないけれど、声の調子だけで、微笑む姿がかんたんに想像できてしまった。


「ベランダ出てきて……良かった!」


 今日は……人生で最高の朝だ。

 朝日の輝きが、まるで僕を祝福しているようだった。

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