第19話 揉みフェス
その後、動けない陽香さんのために、持ってきたカレーを振る舞うついでに一緒に夕食を摂り、片付けを引き受けたあと、部屋の中央にあるローテーブルを挟むように座っていたのだが。
「あなたが嫌じゃなければ、なんだけど」
陽香さんがそう切り出してきた。
「私より力が強そうな男子の手で脚をマッサージしてもらったら、良くなりそうな気がするのよね」
「陽香さん、今、えっちなお願いしてます?」
「してないわよ。そういう意味じゃないわ。バカね」
一切感情のこもっていない、冷たい声で言われてしまう。
「嫌だな、冗談ですよ……」
そういう意味に聞こえたんだけどな……ちょっと納得が行かない。
とはいえ、陽香さんが脚の痛みを早いところどうにかしたいと焦る気持ちはわかる。
明日も授業がある。教師としての仕事を大事にしている陽香さんからすれば、早く治して万全の状態で授業に挑みたいだろうから。
「陽香さんのお願いとあらば、僕でよければ力になりますけど?」
「そう。ありがとう。助かるわ。じゃあ早速で悪いけれど」
陽香さんは四つん這いでベッドへ向かい、その端に腰掛ける。
そして、右脚を胸元に寄せてから、履いていたショートソックスをつま先から引っ張り出すようにして脱ぐ。陽香さんの部屋着はショートパンツだから、腿の際どい部分まで見えてしまいそうになる。
右足が終わると、今度は左足だ。
両脚を抱え込むように座っているから、ショートパンツの間から見えてはいけないものが見えてしまいそうだったので、慌てて視線をそらす。
無遠慮に右足をこちらに差し出してくる陽香さん。
「ん」
やれ。
そんなメッセージを感じるくらい、なんだかとっても偉そうである。
僕を見下ろすような姿勢の都合上、足の指をなめろよ、とでも言われているような感じになった。
「どうしたの? 早くなさいよ」
「なんかSっ気強くないですか?」
「何を言ってるの。できるだけ変な雰囲気にならないようにしてあげてるんじゃない」
陽香さんは、両足をふらふらと動かす。そのたびに、腿がふよんふよんと揺れた。
「あなたのことだから、受け入れやすい雰囲気にしたら緊張して何もできなくなるのよね?」
「煽りますねえ」
「あなたのためよ」
「わかりました。僕も、別にえっちな雰囲気になることを望んでいるわけじゃないので。でもこれだけはわかってください。陽香さんは男子高校生への理解度が低すぎです。別に隙あらばえっちなことにならねぇかなブヒヒ! って考えているわけじゃないんですよ?」
ウソである。
隙あらば陽香さんとのラッキースケベイベントに遭遇しねぇかななんて期待しているゲスだ。
「そ、そう。ごめんなさい。そういえばさっきも、私のことをちゃんと運んでくれたわね。あなたへの配慮が足りなかったわ……」
しゅんとする陽香さん。
真に受けている……。
やっぱり、生徒のことになると誰よりも真面目に考えちゃう人なんだよな。
「ほらほら、明日の授業に差し支えないように、今日のコリは今日のうちに取ってしまいましょうよ!」
罪悪感をかき消すために、さっさとマッサージに入ってしまうことにした。
せめてもの罪滅ぼしだ。真面目に揉んじゃおう。
そうして、まずは陽香さんが差し出した通り、足裏をもみほぐすことにした。
みんなやってらっしゃいますからね~、と足の裏のマッサージを開始する。
ぐにっ、ぐにっ。
美人は足裏も柔らかくて綺麗だな、なんて気楽に思っていたのだが、アクシデントが発生した。
「ん……ふうっ……」
頭上から漏れる、官能的で甘い吐息。
なんでこの人、マッサージっていうか足つぼを押しただけなのにセンシティブなところに触れられているような顔してるの……?
「あの、足裏触られるの苦手ですか? 苦しかったりします?」
「く、苦しくないわよ。ちゃんと気持ちいいから」
「その気持ちいいは痛みが引く類の気持ちよさですよね?」
「それ以外に気持ちいいの解釈ある? 早く続けなさい」
「はぁ、そうですか……じゃ、続けますね」
きっと僕のやり方が悪かったんだ。そうに決まっている。
今度はもっと慎重に。
ぐーっ、ぐーっ。
「ふ……ん、ひっ、んんっ、ああっ!?」
ぐーっ、ぐっ。
「ん、んんっ、ふっ、あっ……あっ」
「だからなんでですか!?」
たまらず僕は突っ込んでしまう。
「……な、なにがよ!? なんか変なことした!?」
「してますよ! 足つぼマッサージされてる時の声じゃないですよ、それ! ご近所さんに音だけ聞かれたら絶対誤解されるやつですよ! 『昨日はお楽しみでしたね』なんて出会い頭に言われたくないですからね!?」
「それは河井くんの想像力がたくましいだけでしょ。気持ち悪いわね」
「いやぁ、絶対そんなことないはずなんだけどな……」
「わかったわ。足裏はもういいから、ここ、腿の裏のところを揉んでちょうだい。いわゆるハムストリングスね」
「待ってくださいよ。どうしてエスカレートしてるんですか。センシティブで足裏よりずっとやりづらいですよ」
「あのね、あなたが私をいやらしいなんて言うから、本当に生徒を使っていやらしいことをしてたような気になってしまったのよ。だから今度は真面目にマッサージなさい。あなたにコリをほぐしてもらわないと、明日授業ができないでしょ」
「ていうか陽香さん、さっきから目が潤んでますし、声も震えてませんか?」
息も荒い気がする……えっ、まさかこれ、足つぼマッサージでイッちゃったりしてる……?
「細かいことはいいの! このまま終わったら、私は生徒にいやらしいことをさせた変態教師になってしまうわ! だから続けて」
「でも、そんな涙目になるくらいならもうやらない方が……」
「あなた、先生の言うことが聞けないの? この場で粛清してもいいのだけど?」
教職という立場を持ち出してきて、女帝モードのピリついた空気をガンガン発してくる陽香さん。でも涙目なのは相変わらずだ。
「……はい」
もちろん反論なんてできるわけがない。
プライベートな陽香さんのことを少しずつ知りつつある今でも、女帝モードの陽香さんはやっぱり怖い。
「それじゃ、早くなさい。手加減なんかしないでね」
ベッドにうつ伏せになる陽香さん。
相変わらず陽香さんは、前面の山だけではなく背面の山も立派だった。
綺麗に膨らんだ小高い山は、つつけば心地よく指先が沈みそうな柔らかさがある。思わずマッサージする箇所を変更したい欲望に駆られたけれど、陽香さんの信頼を失いたくない。
「じゃあ、始めますからね。あの、本当に痛かったり苦しかったりしたら正直に言ってくださいね」
「んっ……」
ほぼ無言のまま、こちらに横顔を向けて、こくりと頷く陽香さん。
やべぇ。この時点でもうマズいんですけど。
なんだろう。想像でしかないんだけど、初めての時に同意を得る時の雰囲気というか、なんかもう実質セックスという解釈まで可能である。
よし、わかった。
ある意味、陽香さんの言った通りではあるのだろう。
確かに僕は、マッサージをいやらしく解釈しすぎている。
今、目の前で寝そべっている美人を、人と思ってはならない。
この人……いや、モノは、パンなんだ。
パンを捏ねるがごとくマッサージをすれば、いやらしくならない。
気分はすっかりジャムのおじさん。
美味しいパンをつくろう。
ぐにっ、ぐにっ。
ジャムと化した僕は、パンを捏ねる作業を開始する。
喘ぎ声は聞こえない。
思った通りだ。
やはり大事なのはイメージ。僕はジャム氏に感謝した。
でも、いつもジャムの隣にいるバターってどういう関係なんだろう? 弟子? 部下? いや愛人だったりするのかな……。
「あっ、あっ、ん……ふっ」
「ご、ごめんなさい! 性的な雑念が混じったせいで!」
僕は慌てて手を離す。パン作りは中止だ。
「い、いいからぁ、続けなさいよぉ」
「続けられませんよ、どうしたんですか! 顔がとろっとろじゃないですか!」
なんでこんなメスの顔になってるの!?
「だって、河井くんの手付きがすごくいやらしいから」
「ぜんぜんいやらしくないですよ!」
僕はただ、美味しいパンをつくろうとしていただけなのだから。
「だ、大丈夫……今日のことは誰にも言わない……」
「そこは否定してくださいよ!」
もう完全に担任教師とセックス一歩手前まで行ったみたいになってとっても気まずいんですけど!
「ていうか、痛かったり苦しかったりしたら言ってくださいっていいましたよね……?」
「河井くんのが気持ちよすぎて、やめてって言えなかったわ……」
「マッサージがですよね? 僕、もも裏以外の変なところ、触ってないですよね?」
くそっ、パン工場気分でいたのが裏目に出た。イメージすることばかりに集中していたんだ。
「あっ……」
陽香さんは、もぞっ、と衣擦れの音をさせて腰を浮かたと思ったら、またパタンと腰をベッドに押し付ける。尺取り虫みたいな動き。
「うそでしょ……?」
「え? 今度はなんですか……?」
「……な、なんでもない!」
「気になるじゃないですか。すごく顔も赤いですし」
「帰って。早く。今すぐ」
「急すぎません?」
「帰れと言っているの。粛清するわよ?」
「帰ります、はい」
粛清。それは僕に一瞬にして言うことを聞かせる魔法のワード。
一体どうして態度が急変したのかわからないけれど、まあどうせ僕が悪いのだろう。
「あの、脚は大丈夫なんですよね?」
匍匐前進でしか移動できなかった陽香さんのことを思い出して、どうしても気になってしまう。
「……大丈夫よ。大人だから」
陽香さんは、うつ伏せに寝そべったまま、こちらを見ようともしなかった。
これは、怒らせてしまったのだろうか?
せっかくいい感じに仲良くなれていると思ったのに、こんなところで躓いてしまうとは。
「陽香さん、今日はすみませんでした。たぶん、調子に乗りすぎたんだと思います」
これ以上余計なことを言って嫌われないように、僕はそそくさと部屋をあとにするのだった。
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