第17話 充実の帰り道

 休日。

 僕はぼっちだが、学生として怠けてはいないつもりだ。


 友達と遊ぶ予定がないのなら、せめて学生らしいことはしておこうと、勉強だけは欠かさず毎日続けていた。


 毎日自宅で勉強を続けると飽きるので、たまに近所の図書館へ出かけることもある。

 近場の市立図書館は、静かで、孤独で、救われている感じがするので孤独のスタディにはうってつけ。


「いやぁ、今日は捗っちゃったなぁ」


 満足した気分で、夕焼け空を見上げながら家路につく。

 交差点前で、信号待ちをしていた時だ。


「河井くん」


 心地よい綺麗な音色が鼓膜を震わせる。


「すみません、ナンパはお断りしてるんです」

「違うわよ。あなたは普通に返事ができないのかしら?」


 振り返ると、やっぱり陽香さんがいて、めんどくせえなコイツって顔をしていた。


 私服だ。プライベートな陽香さんはきれいめで格好いい服を好むらしい。グレーのジャケットに細身の黒パンツを穿いていて、ジャケットの下は白ニット。ジャケットさえなければ、その白ニットに僕はピンポイントで殺されていただろうな。


 教師というより女子大生っぽい。まあ数年前まで本当に女子大生だったわけだから、全然違和感はないけれど。


「冗談ですよ。図書館帰りでして。陽香さんは? なんか充実の休日を過ごしましたって顔ですけど」


 陽香さんは青いビニール袋をぶら下げていた。


「ええ、ちょっと……推し活をね」

「ああ、『スパプリ』ですね」

「これでまたコウヘイくんをいっぱいお迎えできるわ」


 うっとりする陽香さん。


 悔しいが、今の陽香さんをここまでとろんとろんなメスの顔にさせられるのは、陽香さんが推している希翠コウヘイ氏だけだ。


「その量だとずいぶん大人買いしましたね。陽香さん、県立高校の教師ですよね? 血税が巡り巡ってそういうオタクグッズに変えられてしまっているんですね」

「嫌な言い方しないで」


 頬を膨らませる陽香さん。


「『スパプリ』にハマった高校生の時、私は子供だったからあまりお金がなかったし、使いすぎたらお母さんに怒られたわ。でも大人になって一人暮らしをしている今なら、推しに好きなだけお金を使うことができる。そういう夢が叶った嬉しさを、子供のあなたは理解できないでしょうね」


 大人マウントを取ってくるわりには、その理由はなんともこどもっぽかった。


「どうして笑うの? 私の夢は立派でしょ?」

「ええ、まあ」


 別に、陽香さんのことをバカにしているわけじゃない。

 陽香さんが自分の好きなものについて語ってくれるようになったのが、嬉しいだけだ。


「羨ましいですよ。僕は今日も図書館に勉強へ行ったんですけど」

「感心なことね。教師として褒めてあげたいわ」


「でも、僕の場合他にすることがないから勉強しているだけなんです。将来の夢や、やりたいことがあるってわけじゃなくて。だから、僕と同じくらいの年齢の時から夢中になれる趣味がある陽香さんが羨ましいんですよ」

「……褒めたって、なにもしてあげないわよ?」


「いいえ、もらうものはもらってしまっているので。幸せな気持ちですよ」

「妙なことを言うのは気になるけれど、あなたが満足ならそれでいいわ」


 青信号になった交差点を抜け、御用達のスーパーを過ぎると、見慣れた住宅街になる。

 もう少しで、僕らのアパートに差し掛かる。


「今日はいっぱい歩いてしまったわ」

「推し活も大変なんですね」


「『スパプリ』は依然として大人気なの。だからグッズも推しによっては売り切れることもあって。コウヘイくんをお迎えするために、何軒もお店を回ってしまったわ」

「そうですか。それだけ歩き回ったなら、脚が痛くなってしまうかもしれませんね」

「そんな年寄りじゃない」


 ムッとしてみせる陽香さん。


 以前は、こんな顔をする陽香さんを前にしたら、ひたすら恐縮して謝罪してしまったけれど、今はそんなビビることもなくなっている。

 ガチで怒っている時と、そうではない時の見分けがつくようになってきたからかもしれない。


「でも……陽香さんは、ちゃんと趣味があったんですよね」

「ん? どういうこと?」

「そもそも僕は、陽香さんが程よく息抜きできるようになってほしかったわけで。そうやって趣味を楽しめているなら、僕はもう必要ないのかなって思ってしまったんです」


 これじゃまるで、推しに夢中になる陽香さんを前に拗ねているみたいだ。

 でも、隠しきれない寂しさはどうしたってある。


 気の弱い僕は、何らかの免罪符がないと美人の陽香さんと関わることはできないのだから。


「……違うわ。たぶん、あなたのおかげよ」


 陽香さんが言った。


「教師になってからずっと、推し活は休んでしまっていたから」

「そうだったんですか? あんなに熱く語っていたのに」


「それは久々だったからよ。推しへの熱を取り戻したのね。以前は、休日でも授業のことばかり考えて、推しで妄想することもなくなっていたわ」

「推しで妄想……」

「口が滑ったところを拾わないでちょうだい。こうやって出かける余裕ができたのは、あなたのおかげ」


 団地の間に挟まれている、小さな公園に差し掛かる。

 陽香さんは立ち止まり、僕に向き直った。


「あなたといると、多少は私の心も休まるのかもね」

「そこは、あなたといると楽しいわ! でいいんじゃないですか?」


「だって河井くん、たまに気持ち悪いこというでしょ? そこが素直に私が楽しめない理由なのよね」

「気をつけます。でも僕なりの愛情表現とわかってもらうわけには」


「甘えないでね」

「はい」


 一瞬だけ女帝としての厳しい顔が戻ってきたので、僕は直立不動で返事をした。


 歩みを再開し、アパートが見えてくる。

 階段を登ってアパートの二階へ上がると、手前にある僕の部屋が見えてくる。


「じゃあ陽香さん、家の中で足をつらないでくださいよ」

「つるわけないでしょうが」


「だって、推し活を久々に再開したっていうことは、グッズを求めて歩き回るのも久々ってことですよね?」

「……でも、つるわけないわ。私はまだ、二十四歳で若いのだから」


 運動不足での筋肉痛は若くたって起きますよ、ソースは体育の時の僕。

 余計なことを言うと、また陽香さんからムッとされそうなので、黙っていた。


 今日は下手なことを言って陽香さんの機嫌を損ねたくないからね、と思いながら部屋へ帰ってくる。

 どうやら僕でも、陽香さんの役に立てているらしい。


 図書館での勉強に感じた手応えよりもずっと上等な満足感を得た僕は、身も心も弾んでキャラに似合わず踊りだしそうになっていた。

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