第11話 お呼ばれ

 陽香さんが、大人の女性にして教師らしからぬ失態をしでかしたあと。


 昼休み中、僕は他ならぬ陽香さんによって、国語準備室に呼び出されていた。


 隠れ家風おしゃれバーならぬ大衆居酒屋からアパートに戻ったあと、陽香さんはどうにか自力で部屋へと戻っていったのだが、そこから先のことを僕は知らない。


 授業中は普段通り女帝として生徒を震え上がらせていた。


 いつも通りといえば、いつも通りなんだろうけど。

 こうして呼び出すあたり、何か腹に据えかねることでもあったに違いない。


「待たせたわね」


 ガララ、と部屋の扉を開けて、ピシャリ、と力強く閉じた。

 その姿からは、なんだか怒りの闘気をまとっているように見えて、僕は思わず身震いをしてしまう。


 とはいえ、これまで陽香さんとはそれなりに関わりがある僕だ。

 ここでビビっていてはいけない。


「今日はどうしたんですか、先生――」


 強い決意で陽香さんに挑んだ僕だったが、後退りするはめになった。

 だって陽香さんが、険しい顔をしたまま、ずんずんこちらへ突き進んでくるのだから。


 教室の半分くらいしかない狭い部屋だ。あっという間に壁際まで追い詰められてしまった。


 ドンッ!

 陽香さんから壁ドンをされてしまう。

 僕は小柄で、陽香さんは女性にしては長身。身長は同じくらいだから、すぐそばに陽香さんの綺麗な顔があるというかたちになる。


「河井くん、昨日は」

「昨日?」

「昨日は……!」


 なにやら口元をもにょもにょさせると、急に涙目になる陽香さん。


「昨日は、ごめんなさい!」


 長い黒髪を美しく揺らし、頭を下げる陽香さん。その拍子に髪からとってもいい香りがして、僕は煩悩まみれになりそうだった。


「今朝思い出したの……! 起きたら昨日の夜の記憶が走馬灯のように一気に蘇ってきて……!」

「落ち着いてください。走馬灯は死ぬ間際に見ちゃうヤツです」


 混乱をなだめようとするのだが、陽香さんはめそめそしたままだ。


「生徒に介抱させるなんて、教師失格だわ……」


 やはり陽香さんは責任感が人一倍強い人なのだろう。

 なんでもかんでも、自分自身に責任を求めてしまう。


「ちなみに陽香さん、あの居酒屋でのことは覚えてます?」

「あなたの前でお酒を飲んだこと? 今思うと、未成年の前で飲酒なんて気が緩みすぎていたわ」


 どうやら僕の腕におっぱいプレスをしたことは都合よく忘れているらしい。


「いや、いいんです。とにかく、昨日陽香さんを家まで送りはしましたけど、謝るようなことなんて何もありませんよ。いいじゃないですか、ハメを外す時があったって」


 大人は、子どもとは違った事情でストレスフルな存在だということは、僕だって知っている。


「お酒の力を借りたとはいえ、自然体でいられる第一歩として考えたら、あれくらい全然アリですよ」


 陽香さんはしばらくの間黙っていたのだが。


「……そう言ってくれると、少しだけ気が楽になるわ」

「わかってくれてよかったです。じゃあ僕はこれで」


「待って。大人として、あなたにフォローさせたまま終わるわけにはいかないわ。お礼くらい、ちゃんとするつもり」

「お礼ですか?」

「今度、あなたを呼んでおもてなしするわ」


 すると陽香さんは、人差し指で僕の頬をぐにっと押して。


「だから、期待して待ってなさい」


 つい先程まで、女帝としてクラスメイトを震え上がらせていた陽香さんが、僕にだけは優しさを投げかけてくれる。

 あっさり気を良くした僕は、はぁい、なんて間の抜けた声を出してしまうのだった。

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