第4話 蝶々の鳴く丘で 1

圭介は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、病室をゆっくりと見回っていた。

その隣で資料をめくりながら、大河内が重い口を開く。


「こっちの区画は、もう駄目だ。お前の探してる適合者は、見つからないよ」

「駄目って、どの基準で駄目って言ってるんだ?」


問いかけて、圭介は感情の読めない瞳で、近くの病室を覗き込んだ。

ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた女の子が、ベッドに横たわっていた。

鼻や喉にチューブが差し込まれ、いくつもの点滴台が設置されている。


「この子は?」


聞かれた大河内は、言葉を飲み込んでから答えた。


「……網原汀(あみはらなぎさ)、この病棟の中でも、特に重症な子だよ」


圭介は無造作に病室に足を踏み入れ、女の子に近づいた。

そして顔を覗き込む。


女の子に反応はなかった。

目を開いてはいるが、意識はないらしい。

人形のように顔が整った子だった。

その子の艶がかかった黒髪を撫で、圭介は言った。


「一番安定してるように見える」

「……バカを言うな。左半身と、下半身麻痺にくわえて、自殺病の第八段階を発症してる。もう長くはないよ」

「この子にしよう」


圭介は軽い口調でそう言うと、ポケットから、金色の液体が入った細い注射器を取り出した。

大河内が目をむいて口を開く。


「おい、高畑……本気か? 一番重症だって、さっき言っただろう。聞いていなかったのか?」

「狂っていればいるほど好ましい。第八段階? 最高じゃないか。それで、この子はそのまま何日生きてるんだ? いや……『生かされて』るんだ?」

「…………」

「答えろよ、大河内」

「…………三十七日だ」

「取引をしよう」


圭介はそう言って、女の子の点滴チューブの注入口に、注射針を差し込んだ。

そして大河内が止める間もなく薬品を流し込む。


「この子をもらっていく。その代わり、お前はこの子の過去を全て消せ」

「GMDが効くかどうかも分からないんだぞ! それに、もう長くはないと……」

「効くさ。そのために開発されたクスリだ」


淡々とそう言って、圭介はポケットに手を突っ込んだ。

そして背を向けて、病室の出口に向けて歩き出す。


「意識が回復したら、連絡をくれ」



汀と小白が目を覚ました時、彼女達は、ゆっくりと落下しているところだった。

小白がまるでパラシュートのようになって落下速度を低減しているのだ。


「猫って凄いねぇ。夢の世界では、私より無敵なんだ」


感心したようにそう呟いて、汀は下を見た。

何かが、草のように、果てしなく続く荒野の中突き立っていた。


真っ赤な夕暮れ景色に、光を反射して煌いている。

それは、日本刀だった。

柄の部分が土に埋まり、ぎらつく刃を上に向けている。


「……攻撃性が強すぎるよ」


呆れたように言って、汀はまだ磔にされている状態の女の子に構うことなく、十字架を下に向けた。

ゆっくりと落下していって、十字架の木が、日本刀の群れに切り裂かれながら、地面と垂直に着地する。


汀は十字架の上に、器用にしゃがみこんでいた。

ポン、と音がして小白が元の小さな猫に戻る。

猫が右肩にへばりついたのを確認して、汀は、もう少しで日本刀の群れに串刺しにされそうになっている、磔られた女の子に声をかけた。


「起きて。ね、起きて。もしかして死んでる?」


手を伸ばしてパシパシと女の子の顔を叩く。


「起きて」

「…………ッ!」


そこで意識が覚醒したのか、女の子は激しくえづいた。

グラグラと十字架が揺れる。

その上で器用にバランスを取りながら、汀は面白そうに続けた。


「拷問されたの? ね? どんな感じだった?」

『汀、赤十字のマインドスイーパーを救出したのか?』


マイクの向こうの圭介に問いかけられ、汀はヘッドセットの位置を直しながら、首をかしげた。


「うーん……助けたというか……助かってないというか……」

『どっちだ。はっきりしろ』

「動けないの。刀がいっぱいある」

『その子だけ帰還させることはできるか?』

「異常変質区域の中にいるから、無理だよ」

『なら見捨てて、お前と小白で中枢を探せ』

「…………」


汀はそれに答えず、周囲を見回した。


『汀?』


問いかけられ、汀は刀で体を切らないよう、注意して地面に降り立った。

そして手近な一本を手に取り、周囲の刀をなぎ払う。


「連れて帰るよ」


そう言った彼女に、一瞬沈黙してから圭介は言った。


『手負いなんだろう。無理だ。時間も残り少ない』

「だからって、置いていけないよ」

『いいか汀。お前の仕事は何だ?』


汀は少し考え、また近くの刀を、自分が持った日本刀でなぎ払った。


「人を、助けることだよ」


はっきりとそう言う。

圭介はまた少し沈黙してから、言った。


『……分かった。なら好きにしろ』

「好きにするよ?」

『ああ。でも、危ないと思ったらすぐに見捨てて中枢を探せ』

「もう危ない状況なんだけど……まあいいや」


ボコボコと地面が波打ち、汀を取り囲むように競りあがった。

一……二……三。

合計十三体の包帯を巻いた蜘蛛男の姿を形取り、それが先ほどまで彼女達を取り囲んでいたものと同じように、刀の群れの中を、体が切り刻まれるのもいとわずに動き出した。


切り傷がつくたびに、悲痛な声を上げる男達。

だが、その顔は笑顔だ。

とても嬉しそうに、悲鳴を上げている。

手に持っていた包丁を、それぞれ脇に放り投げ、手近な刀を、六本の腕に持つ。


刀と、刀を持った男達に取り囲まれ、汀は日本刀を構えて周囲を見回した。

そして、まだ磔られている女の子に、厳しい声で言う。


「起きなさい。あなたもマインドスイーパーなら、少しは私の役に立って」

「あなたは……」


か細い声でそう言うと、女の子は体中の痛みに、小さく声を上げた。

まだ、両足と両手の平が釘で木に打ち付けられており、血が流れ出ている。


「なぎさちゃん……?」


呼びかけられ、汀は怪訝そうに振り返った。


「なぎさ?」

「なぎさちゃんだよね……? あたし、岬(みさき)だよ。覚えてる? あたしだよ……!」


汀よりも少し年上の、どこか赤みがかったショートの髪の毛の女の子……岬は、青ざめた顔のまま、汀にそう言った。

汀は彼女から視線をそらして、近づいてくる蜘蛛男達を睨んだ。


「今トラウマに囲まれてるの。お話はあとでしよう。あと、悪いけどあなたのことは覚えてない。ていうか知らない」

『チッ』


耳元のヘッドセットから、圭介が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。


「どうしたの圭介?」


問いかけると、彼は一拍置いてから、何でもないことのように言った。


『いや、こっちの話だ。それより、トラウマに囲まれてると言ったな。そこはどこだと思う?』

「異常変質心理壁であることは間違いないと思うけど……中枢どころか、心の外壁にさえたどり着いてないことは確かだよ。十五分じゃ間にあわないと思う」

『間に合わせろ』

「……最悪」


毒づいた彼女の目に、後方の平原が、空ごと……つまりその空間そのものが、ブロック状になって、下方に向かって崩れ落ち始めたのが見えた。


「……訂正。間に合わせなきゃ。精神構造の崩壊が始まったよ。この人、もうじき死ぬね」

『知ってる。承知の上での治療だ』


そこで、汀の右後方の男が奇声を上げて宙に飛び上がった。

実に二、三メートルもふわりと浮き上がり、六本の刀で汀に切りかかる。


汀は、おぼつかない手つきでそれを一閃して弾いたが、小さな体が押されて後ろに下がる。

そこで、突き立っていた刀で背中をしたたかにこすってしまい、彼女は


「痛っ!」


と叫んで、一瞬硬直した。

背中からたちまち血が溢れて、流れ落ちる。


『どうした?』


圭介に対して


「何でもない。大丈夫!」


そう答えて、汀はまた切りかかってきた男の刃を避け、地面を転がった後、少女とは思えない動きで一気に間合いを詰めた。

そして男の首に、日本刀を突き立てる。


頚動脈を一瞬で切断したらしく、日本刀を抜いたところから、凄まじい勢いで血液が噴出し、汀に降りかかった。

返り血でドロドロの真っ赤になりながら、汀はトドメとばかりに男の胸に、もう一度刃を突き立てた。


それを抜くと、蜘蛛男の一人はビクンビクンと痙攣しながら、その場に仰向けに倒れた。

突き立っていた刀の刃が、後頭部から口に貫通して串刺しにする。


十二人になった男達は、血まみれの汀を見て、楽しそうに笑い声を上げた。

切られた蜘蛛男の体が、粘土のように溶け、地面に流れる。

それが、今度は二人の蜘蛛男の形をつくった。

一人から、二人に増えて十四人。


「キリがない……」


毒づいた汀の肩で、小白が威嚇の声を上げている。

そこで、地面に崩れ落ちた岬の声が聞こえた。


「なぎさちゃん、助けてくれてありがとう……早く、ここを抜けなきゃ……」

「私はなぎさなんて名前じゃないよ。それに、そんなこと言われなくても分かってる」


冷たくそう返し、汀は、無理やり足から釘を引き抜いている岬を見た。


「歩ける?」

「何とか……」

「トラウマと戦ってもキリがないから、逃げたいんだけど時間がないの。この世界はもうすぐ崩壊するし」


汀達の、数十メートル先の空間が、ブロック状になって崩れ落ちる。


「とりあえず、無理にこじ開けるしかなさそうだね……!」


汀はそう言って、足元の地面に刀を突き立てた。

男達が、その瞬間同時に絶叫した。

血走った目を丸く見開き、彼らがゆらゆらと揺れた後、同時に汀に切りかかる。


汀は、抵抗のある感触を感じながら、ズブズブと刃を根元まで押し込んだ。

そして力任せに、地面から飛び出た柄を踏み込む。


男達がまた絶叫し、汀が刀を突き立てた部分からおびただしい量の血液があふれ出す。

それを見た岬が、青い顔を更に真っ青にした。


「な……何してるの? 心理壁を直接傷つけたら、この人の体にどんな障害が残るか……」

「どうせ死ぬんだから関係ないよ」


そう言って、汀は血の出ている部分に足をたたきつけた。

ボコッと地面が歪み、ブロック状に抜け落ちる。


その先は、真っ黒な空間になっていた。

岬は、荒く息をついて涙を流しながら、折られた腕の骨を、力任せに元にはめているところだった。

彼女のもう片方の手を掴み、汀は言った。


「行くよ。逆にこっちが死ぬかもしれないけど、まぁそれって、運命だよね」

「割り切ってるね……」

「言われるまでもないよ」


軽く微笑んで、汀は岬を先に穴の中に投げ入れ、小白を抱いた。

彼女達は、ブロック状に空いた穴の中に飛び込んだ。


その瞬間、男達を飲み込むように、空間が崩れ落ちる。

彼女達の意識は、またホワイトアウトした。

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