第3話 蜘蛛の城 3

「汀、起きろ。大丈夫か、おい、汀!」


切羽詰ったような圭介の声が聞こえる。

汀は真っ青な顔で、ものすごい量の汗を流しながら、目を開けた。


「け……圭介……?」

「すぐにこれを飲め。早く!」


圭介が、いつになく慌てて、汀の耳のイヤホンを引き剥がし、彼女の口に錠剤をねじ込む。

ペットボトルのジュースと一緒に、苦い薬が体の中に流し込まれる。

続いて圭介は、汀の右手を掴んで、ポケットから出した小さな注射器を静脈注射した。


「落ち着け。ここは現実の世界だ。俺がついてる。分かるな?」

「ここ、どこ……?」


はぁはぁと荒く息をついて、汀がそう聞く。

彼女の右手を、両手で強く握ってしゃがみ込み、圭介は言った。


「元老院だ。お前、俺が渡した薬を飲まずに寝たな? 何回繰り返せば気が済むんだ!」


怒鳴られ、汀は力なく頭を振った。


「……覚えてない。分かんない……」

「…………ッ」


忌々しげに舌打ちをして、圭介は深く息をついた。


「……少し目を離すとこれだ」


そこで、汀の服にもぐりこんでいた小白が顔を出し、圭介の手に噛み付いた。


「痛っ!」


小さく言って、圭介が慌てて汀から手を離す。


「ニャー」


小白が威嚇するように鳴く。


「この猫……!」


噛まれたところから血が出ている。

しかし汀は、小白を弱弱しく抱いた。


「ぶたないで……小白が、助けてくれたの……」

「…………」


圭介は傷を揉んで止血すると、頭を抑えてため息をついた。


「しばらく寝るな。俺がいいというまで起きてるんだ。できるな?」

「…………うん」

「帰るぞ。その生意気な猫も一緒にな」

「猫じゃないよ……小白だよ……」


そう言って、汀は小白の小さな体を、ぎゅっ、と抱きしめた。



次の日、汀は頭をふらふらさせながら、車椅子に乗っていた。

それを押しながら、圭介が半ばノンレム睡眠状態に入っている汀を、息をついて見る。


赤十字病院の入り口には、多数の報道陣が待ち構えていたため、裏口から入って、今、施術室へと向かっているところだ。

報道陣も、顔を出すことのないマインドスイーパーの姿を捉えようと必死だ。


早く施術室に汀を誘導したかったが、当の彼女が、単純に「寝不足」のために体調が不良であることに、圭介は頭を悩ませていた。

道具と一口に言っても、やはり人間は人間だ。


それに、汀は普通の女の子ではない。

そう、普通ではないのだ。


施術室の前には、大河内をはじめとした、多くの医者が集まっていた。

大河内がふらふらしている汀を見て、一瞬顔を青くする。


「汀ちゃん!」


声を上げて近づいた彼を制止して、圭介は周りを見回した。


「すぐにダイブに入ります。患者の容態を見るところによりますと、もう猶予がありません」

「…………容態は深刻だ。先ほど、事態が急変した」


大河内がそう言って、圭介と汀を施術室の中へと誘導した。

医師たちが、顔を見合わせて心配そうな表情をしながら、大河内の後に続く。


「急変とは?」


圭介が聞くと、大河内は機械的にそれに返した。


「赤十字のマインドスイーパーが二人やられた。患者も、このままステる(死亡する)確立が高い」

「マインドスイーパーがやられた時間帯は?」

「つい先ほどだ」


圭介達の脇を、鼻や口から血を流している少年と少女が、担架で運ばれていく。

大河内は歯を噛みながらそれを見送り、忌々しそうに呟いた。


「……精神世界で殺されると、現実の肉体にも多大なる影響が及ぶ。あの子達は、もうマインドスイープ出来ないかもしれない」

「無駄話をしている暇はない。早く準備に取り掛かかってください」


圭介は大河内の声を打ち消し、固まっている周囲に向けて、淡々と声を上げた。


「何をしているんです? レベル6の患者の治療には、皆さんの協力が要ります。患者に鎮静剤を投与してください。麻酔の量を二倍に。早く!」


圭介が、施術室のベッドに縛り付けられてもなお、ガタンガタンとそれを揺らしながら暴れている患者……死刑囚を見て、声を荒げる。

そこで、彼の隣に腰を下ろしてマスクを被っていたマインドスイーパー……十五、六ほどの男の子の口から勢い良く血が噴出した。


「三番、やられました! ダイブ続行不可能です!」

「すぐに回線を切れ! 一緒に引きずり込まれるぞ!」


中で医師や看護士達が、大声で喚いている。

吐血した少年は、ダラリと椅子に脱力すると、そのまま崩れ落ちた。


「ダイブ中のマインドスイーパーを、全員帰還させてくれ。邪魔だ」


大河内に圭介が耳打ちする。

それに対し、大河内は苦々しげに言った。


「駄目だ。意識的境界線が張られていて、元に戻れないらしい」

「どうして俺達の到着を待たなかった?」

「お前達こそ、施術予定時間を三時間も遅れてどうした? それに、汀ちゃんが到底、ダイブできる状態だとは思えない」

「できるさ。秘策を持ってきた」

「秘策?」


圭介はそこで、車椅子の後ろ部分に取り付けてあった小さなケージをあけ、中から小白をつかみ出した。


「ニャー」


鳴いた猫を呆気に取られて見て、大河内は声を荒げた。


「猫だと? お前、そんな科学的根拠のないまやかしに任せるって言うのか?」

「まやかしじゃない。偶然かどうか分からないが、この猫にはマインドスイーパーの素質があるらしい。最低でも汀の盾くらいにはなる」

「ふざけるなよ! レベル6の患者の治療に当らなきゃいけないんだぞ! それをお前は……!」

「無駄話をしている時間はないと言っただろう」


大河内を押しのけ、圭介は汀を暴れている死刑囚の隣の機械の前に設置した。

そして何度か彼女の頬をぴたぴたと叩く。


「起きろ、汀。起きるんだ」

「…………起きてるよ…………」

「これから治療を始める。出来るな?」

「……」

「汀?」

「…………できるよ」

「よし。今日はいいものを持ってきた」


そう言って圭介は、汀の手首に、小白の首に繋がっているリードを結んだ。

そして小白を彼女に抱かせる。


猫はすぐに汀の膝の上に丸くなると、顔を上げて、ニャーと甘えた声を出した。

それを見て、とろとろとした表情だった汀が、笑顔になる。


「小白も、一緒に行く?」


問いかけられ、猫はニャーと鳴いた。


「これは私達に対する冒涜だぞ、高畑」


大河内が肩を怒らせてそう言う。

圭介はそれを無視し、汀の耳にヘッドセットをつけると、マスク型ヘルメットを被せた。


「時間は十五分でいいな?」

「…………うん…………」

「端的にこの患者について説明しておく。まずは……」

「………………」


すぅ、すぅ、と言う寝息が聞こえる。

圭介は慌てて顔を上げ、声を張り上げた。


「五番、今すぐに接続してください! ダイブに入りました!」



汀は、いつもの病院服で暗い地下牢のような場所に立っていた。


「…………」


しばらく状況を理解できなかったのか、彼女はきょとんとして停止していた。

足元で、小白がニャーと鳴いた。

猫を抱き上げて肩に乗せ、汀は呟いた。


「どこ、ここ……?」


そこで、ボッと言う音とともに、壁の蝋燭に自然に火がともった。

薄暗かった部屋の中があらわになる。


そこは、錆と腐った血液、それと据えた何か生物的な悪臭が漂う、牢屋の中だった。

壁には磔台や、ソロバン型の器具、鞭、三角形の木馬など、大小さまざまな拷問道具が、綺麗に陳列されている。

部屋の隅には石造りの水槽があり、磔台が取り付けられた水車が、ガタン、ガタンと揺らめきながら回っていた。


しかし、それよりも異様だったのは、部屋の中、いたるところに白い糸がはびこっていたことだった。

触ると、粘って指に細い糸を引く。

まるで、蜘蛛の糸のようだ。


良く見ると、薄汚れた壁は、その糸が絡み合ってレンガのような形を作り上げているものだった。

鉄格子も、糸が寄り集まって出来ている。

十畳ほどの部屋の中を見回し、汀は、そこで思い出したかのように耳元のヘッドセットのスイッチを入れた。


「……圭介?」

『汀、時間がない。短く説明するから、すぐにその患者の中枢を見つけてくれ』

「私、ダイブしてるの?」

『そうだ。その患者はレベル6。死の一歩手前にいる。極めて危険な状況だ。精神構造も変化して、極Sランクの危険区域、変質形態Sの六乗と指定されてる。なるべく早くそこを出ろ』

「……分かった」


頷いて、汀は深呼吸して、足を踏み出そうとした。

そこで彼女は、ガチャリと音がしたのを聞いて、足元に目をやった。


汀の右足に、鉄枷がはまっていた。

鎖は壁に繋がっている。

汀は、何度かそれを引っ張って、動かないことを確認すると、ため息をついた。


「そう簡単にはいかないかも」

『どういうことだ?』


「捕まっちゃった。この人、対マインドスイーパー用のトラップを心の中に沢山設置してるみたいだね」

『極稀に、心への進入を許さない特異体質がいる。それがその患者だ。何とかしろ』

「最悪」


顔をしかめた汀の耳に、そこでズリ……ズリ……という何かを引きずる音が聞こえた。

小白が、毛を逆立ててシャーッ、と言う。

少しして、鉄格子の向こうに人影が見えた。


体中に包帯を巻いている。

全裸の男だ。

包帯の所々から血がにじんでいる。

男の手は、六本あった。

足も混ぜると、四肢ではなく、八肢だ。


わき腹から伸びた手で壁の糸を掴んで、

男はぐるりと向きを変え、汀の方を向いた。

その目、包帯から除く眼球がぎょろりと動き、口が裂けそうなほど広がる。


男は、四肢にそれぞれ、束にした三、四本ほどの包丁を持っていた。

黒いビニールテープで、包丁が無造作に束ねられている。


「トラウマを見つけたよ。見つけられたって言ったほうが早いかな?」

『すぐに離れろ』

「無理っぽい」


クスクスと笑って、拘束された汀は面白そうに言った。


「拷問って、一回受けてみたかったんだぁ」

『…………』


マイクの向こうの圭介が唾を飲んで、そしてため息をついた。


『……お前、俺を怒らせたいのか?』

「怒らないでよ……そんなつもりで言ったんじゃないよ」

『ならすぐに離れて、中枢を見つけてくれ』

「…………分かった」


シュン、として汀は男から目を離した。

男は鉄格子に手をかけた。

鉄格子がぐんにゃりと歪み、人一人通れそうな空間が開く。

そこから進入してきて、八肢の包帯男は、キキキ、と奇妙な声を上げた。


「折角だけど、私、おじさんの方が好みだな。若いと駄目」


そう言って、汀は強く、左腕を壁に叩きつけた。

ベコッ、とレンガのような壁が歪み、汀の足を拘束している部分が砕け散る。

足で鎖を引きずって、汀は笑っている男の方に足を踏み出した。


「それに、わざわざ好き好んで、嫌味そうなトラウマと戦うつもりもないし……ね!」


足を振って、鎖で男の顔面を殴りつける。

張り飛ばされ、男は簡単に床を転がり、壁にたたきつけられた。


汀は鎖を手で引きちぎり、それを脇に放り投げてから、鉄格子の空いた場所から外に出た。

そして、いくつも並んでいる牢屋の部屋の前を駆け出す。


少し行ったところに階段があり、その先のドアが開いていた。

そこに飛び込み、ゴロゴロと転がる。

起き上がった汀の目に、真っ暗な空が映った。


そこは、洋風の城の一角だった。

テラスになっていて、下が見えるようになっている。

近づいて下を覗き込むと、城は、ボコボコと泡立つ、ヘドロの海の中に建っていた。

どこまでも、果てしなくヘドロが続いている。


時々、トビウオのように、何か巨大なものが水面を跳ねるのが見えた。

いびつな城だった。

三角錐の屋根が所狭しと立ち並んでいる。


そこで、背後からキキキという笑い声が聞こえた。

振り返ると、包帯の八肢男が出てくるところだった。

否、一人ではない。


二人。三人。

四人。


合計四人の、同じ格好をした同じ背丈の男達が、綺麗に整列する。

そのうちの一人が、木造りの十字架に、両手両足を巨大な釘で磔にされた女の子を抱えていた。


女の子の手足は奇妙な方向に折れ曲がり、意識はないようだ。

汀と同じように、病院服を着ている。


「マインドスイーパーだと思うけど、見つけたよ。トラウマに捕まってる」


汀がそう言うと、マイクの向こうで圭介は少し考え込み、言った。


『救出できるか?』

「難しいんじゃないかなぁ」

『無理なら諦めて中枢を探せ』

「分かった」


淡々とやり取りをしている間に、蜘蛛男達が汀を取り囲む。

汀はそこで、十字架を担いでいる男に向き直り、ニヤァと笑った。


「何で近づいてこないの? ほら、私はここだよ」


パンパンと挑発的に手を叩いて、汀は言った。


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」


男達が一瞬制止して、一斉に束ねた包丁を取り出した。

その目が円形に見開かれ、けたたましい絶叫を上げる。


凄まじい勢いで汀を囲む円が狭まり、彼女は振り上げられた包丁を、無機質な目で見つめた。

そこで小白が、シャーッ! と鳴き、汀の肩の上で、風船のようにボコリと膨らんだ。


「小白……」


驚いて呟いた汀を覆うように、小白はムササビを連想させる形に変形すると、彼女の代わりに全ての包丁を受けた。


しかしそれは突き刺さることなく、 キンキンキンキンと鉄にでもたたきつけたかのような金属質な音が響き渡る。


「凄いね小白! 私にはそんなことできないな!」


目の前の猫の頭をなで、汀は十字架を抱えている男を殴り飛ばした。

人一人が簡単に数メートルも吹き飛ばされ、壁にたたきつけられる。


転がった十字架を、女の子ごと拾い上げ、汀は外に向かって走り出した。

男達が絶叫を上げて追いすがる。


汀は、パラシュートのように広がった小白の両足を片手で掴んで、無造作に宙に体を躍らせた。

そこで、彼女達の意識は、ホワイトアウトした。

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