第3話 蜘蛛の城 2

「余計な既成概念を入れると、ダイブに影響が出てきますので、早めに引き取りたいのですが」

「分かっている。こちらの秋山女史たっての希望だったのだ」


老人に促され、秋山と呼ばれた喪服の女性は、頷いて、潤んだ目を圭介に向けた。


「……娘は、中島に拷問され、殺されました」


勝手に喋りだした彼女を、圭介は一瞬だけ眉をひそめて見た。


「中島を助けてください」


秋山は頭を下げた。


「どうか、どうか助けてください」


彼女が握り締めているハンカチが、ギチ、と音を立てる。


「どうしてですか?」


圭介が、穏やかにそう聞いた。

何を聞かれたのか分からない、と言う表情で秋山が彼を見る。


「放っておいても死にます。死刑を執行させたいがためだけに助けたいのですか?」

「…………」

「娘さんを殺した殺人犯に、法の鉄槌を下したいがためだけに、助けたいのですか?」

「それの何が悪いんですか!」


ドンッ! とテーブルを叩いて、秋山が金切り声を上げた。

汀がビクッと体を震わせ、抱いていた猫が怯えて、彼女の服にもぐりこむ。


「娘が殺されたんです! 私の、たった一人の娘が! なのにその犯人が……やっと捕まえた犯人が、自殺病で勝手に死んでしまうなんて……」

「…………」

「これ以上理不尽なことってありますか? ありませんよ、ええありませんとも! 法の鉄槌を下したくて、何が悪いんですか!」


女性の声がしばらく会議室に響き渡っていた。

圭介は黙ってそれを聞いていたが、やがてクッ、と口元を押さえて、小さく笑った。


「何がおかしいんですか!」


掴みかからんばかりの剣幕の彼女に、彼は言った。


「あなたは法の鉄槌を下したいんじゃない。ただ単に、自分の中の鬱積した鬱憤を晴らしたいだけだ」


そう言って、圭介は冷めた目で秋山を見た。


「人はそれを、自己満足と言うんですよ」

「自己満足で何が悪いんです? 何がおかしいんですか!」


殆ど絶叫に近かった。

体を丸めて小さくなっている汀を一瞥して、彼女は高圧的に言った。


「あなたは仕事を請けるといいました。でも、それ以上私と娘を辱めると言うなら……」

「別に辱めてはいませんよ。思ったことを口に出したまでです。気に障ったのなら謝罪しましょう。そういう性格なので」


頭を下げずにそう言い、圭介は冷めた目のまま、微笑んでみせた。


「それに、レベル6を治療できるのは私達だけです。私は、『だから』仕事を請けることを決めました。あなたの個人的感情など、極めてどうでもいい」


切り捨てられ、秋山は呆然とその場に立ち尽くした。

そこで議席の老人が咳払いをし、圭介を見た。


「高畑医師。口が過ぎる」

「あなた方は根本的な勘違いをしていらっしゃる」


そこで圭介は、周りを見回し、秋山に目を留めた。


「自殺病にかかった者は、決して幸福になることは出来ません。そういう病気なのです。助ける、助けないはその人の主観に過ぎません」

「それは俗説だ」

「事実です」


メガネを中指でクイッと上げ、彼は続けた。


「ですが、請けましょう。報酬は指定額の三倍いただきます」


老人達が眉をひそめる。

議席の老人が、一拍置いてから聞いた。


「何故だ?」

「マインドスイーパーに余計な知識が吹き込まれてしまいました。診察費も、危険手当もいただかなければ、割に合いませんので」

「…………」

「それに、私の論文の学会発表の件も、宜しくお願いいたします。こちらから提示する条件は、以上です」


圭介はそう言って、資料を脇に挟んで立ち上がった。


「それでは、この子は一旦退席させます。秋山さん、マインドスイーパーに余計なことを吹き込もうとするのは、規定違反です。罰則を受けていただきます」


秋山が、一瞬間をおいてから、怒りで顔を真っ赤にする。


「何を……」


それを、手を上げて制止し、圭介は汀の車椅子を掴んだ。


「一旦失礼します」



会議室を出たところにある、中庭の隅で、汀は眠っていた。

木陰になっていて、爽やかな風が吹いてくる。

丁度日を避けられる場所に、圭介は車椅子を設置したのだった。

小白も、汀の手の中で、丸くなって眠っている。


汀は耳に、自分のiPodTouchから伸ばしたイヤホンをつけていた。

そこからは、流行の女の子達のユニットが歌っている歌が、やかましく流れている。



汀は白いビーチに座っていた。

白い水着を着て、波打ち際で足をぶらぶらとさせている。

そこがハワイだ、と分かったのは、彼女が好きな女の子達のユニットが歌っている歌のPVを、事前に見ていたからだ。

撮影場所は、確かハワイのはずだ。


辺りには誰もいない。

汀は立ち上がって、静かにひいては返す波に足を踏み入れ、その冷たい感触に、体を震わせて笑った。


カンカンと照っている太陽で、肌がこげるのも構わず、波音を立てて海に、背中から倒れこむ。

新鮮なその感覚に、汀は水に浮かびながら満足そうに息をついた。


そこで、ニャーという声がした。

汀が目を開くと、自分の体の上に、白い子猫が乗っているのが見えた。


「小白、あなたも来たの?」


驚いてそう問いかけると、小白はまた、ニャーと鳴いて、汀の腹の上で小さくなると、恐る恐る水に手をつけた。

そしてビクッとして手を引っ込める。


「びっくり。猫って夢と現実の世界を行き来できる生き物だって言うことは知ってたけど、実際にそんな例を見るのは初めてだよ」


ニャーと小白は鳴くと、また恐る恐る汀の腹の上から、水に手をつけた。


「大丈夫だよ」


そう言って、汀は小白を抱き上げると、体を揺らして立ち上がった。

小白はまたニャーと鳴くと、汀の肩の上に移動した。

そしてマスコットのように、そこにへばりつく。


「でも、何しに来たの? 一人でいるのは、やっぱり不安?」


問いかけて、汀は波打ち際の砂浜を、特に何をするわけでもなく、ブラブラと歩き始めた。

ニャーと鳴いた小白に頷いて、彼女は続けた。


「そうだよね。一人でいると、不安だよね。私も、圭介がいてくれなきゃ、おかしくなってると思うんだ」


足元の砂を、ぐりぐりとつま先でほじり、汀は呟くように言った。


「圭介には、感謝してるんだ……」


特に、小白の反応はなかった。

また歩き出し、汀は言った。


「今度の患者さんって、死刑囚なんだって。女の人を、拷問して殺したんだって。そんな人の精神構造って、どうなってるんだろう。ね、考えただけでワクワクしない?」


ニャーと小白が鳴く。


「あなたにはまだちょっと、早かったかな」


首をかしげて汀は続けた。


「沢山の人が、私に注目してる。あの頃から考えると、信じられないことなんだ」


彼女がそう言った時だった。

突然、脇に生えていた椰子の木から、ボッと音を立てて炎が吹き上がった。


「きゃっ!」


驚いて汀がしりもちをつく。

そして彼女は、小白を抱いて


「まただ……」


と呟いた。


「逃げるよ!」


悲鳴のように叫んで、彼女は走り出した。

無限回廊のように立ち並ぶ椰子の木に、次々と炎がついていく。


次いで、空に浮かんでいた太陽が、ものすごい勢いで沈み、あたりが暗くなった。

空に、赤い光がともる。

しかしそれは太陽の光ではない。

何かが燃えている。

灼熱の、光を発する何かが炎を上げて、空の中心で燃えていた。


熱い。

暑い、のではない。

体をジリジリと焦がすほどに、周囲の気温が上がりはじめた。


次いで、爽やかな色を発していた海が、途端にヘドロのような色に変わり、ボコボコと沸騰し始める。

夏のビーチは、あっという間に地獄のような風景に変わってしまっていた。

汀は、体を焦がす熱気に耐え切れず、小白を抱いたまま、しゃがみこんで息をついた。


「やだ……やだよ……」


首を振る。


「圭介! 助けて、圭介!」


顔を上げた汀の目に、たいまつを持った人影が見えた。

熱気で揺らめくビーチの向こう、二十メートルほど離れた先に、たいまつを持った男……何故か、ドクロのマスクを被った男が、反対の手に薄汚れたチェーンソーを持って、それを引きずりながら、近づいてくる。


「圭介!」


居もしない保護者の名前を呼んで、汀は泣きながら、はいつくばって逃げ始めた。


「やだ、来ないで! こっち来ないで!」


ドルン、と音を立ててチェーンソーのエンジンが起動し、さびた刃が高速回転を始める。


「やだ怖い! 怖いよぉ! 怖いよおお!」


絶叫して、汀はうずくまって目を閉じ、両耳をふさいだ。

ドルン、ドルンとチェーンソーが回る。


ザシュリ、ザシュリ、と男が足を踏み出す音が聞こえる。

そこで、汀は


「シャーッ!」


という声を聞いた。

驚いて顔を上げると、そこには全身の毛を逆立て、汀と男の間に四足で立ち、牙をむき出している子猫の姿があった。


「小白、危ないよ。こっちおいで、逃げるよ。小白……!」


おろおろと、汀がかすれた声で言う。

男は、さして気にした風もなく、また足を踏み出した。


「シャアアーッ」


小白が威嚇の声を上げた。

途端、白い子猫の体が、風船のようにボコッ、と膨らんだ。

それは、唖然としている汀の目の前でたちまちに大きくなると、


体高五メートルはあろうかという、化け猫のような姿に変わった。

小白が、汀の体ほどもある牙をむき出して、威嚇する。


「小白、駄目!」


汀が叫ぶ。

そこでドクロマスクの男は、たいまつを脇に投げ捨て、チェーンソーを振りかぶって小白に切りかかった。

化け猫の眉間にチェーンソーが突き刺さり、回転する。


しかし、小白はそれに動じることもなく、額から血を噴出させながら、頭を振り、巨大な足で、男を吹き飛ばした。

人間一人が宙を舞い、燃えている椰子の木の群れに頭から突っ込む。

小白はニャーと鳴くと、震えて動けないでいる汀のことをくわえて持ち上げ、男と逆方向に走り始めた。


『汀!』


目をぎゅっと閉じた汀の耳に、どこからか圭介の声が聞こえた。

汀はそこでハッとして、自分をくわえて走っている小白に言った。


「圭介だ! 目をさますよ。小白もついてきて!」


目の前に、突然ボロボロの、木の板を何枚も釘で打ちつけた奇妙なドアが現れる。

それがひとりでに開き、中の真っ白な空間が光で周囲を照らした。


背後でチェーンソーの音が聞こえる。

振り返った汀の目に、人間とは思えない速度で、こちらに向かって走ってくる男の姿が映った。

小白は、それに構うことなく、誰に教えられたわけでもないのに、明らかに小さなそのドアに頭を突っ込んだ。


ポン、という音がして、汀が宙に投げ出される。

ドアの中の白い空間に、汀と、小さな姿に戻った小白が飛び込む。

そこで、彼女らの意識はホワイトアウトした。

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