第3話 蜘蛛の城 1

蝉の声が聞こえる中、汀は圭介に車椅子を押してもらいながら、木漏れ日の中を進んでいた。

夕暮れ近くの、気温が下がってきた頃、近くの公園まで散歩に出てきたのだった。

そこで、汀はふと、公園の木の下に目を留めた。


「圭介」


呼びかけられて、圭介が車椅子を止める。


「どうした?」

「あそこ」


右手で木の下を指差す。

そこには薄汚れた段ボール箱が置いてあり、夕立で濡れたのか、グショグショのタオルがしいてあった。


近づいて覗き込んで、圭介は顔をしかめた。

今にも死にそうなほど衰弱した、手の平ほどの大きさの白い子猫が横たわっていたのだ。


「圭介、猫だよ」

「ああ、猫だな」


興味がなさそうにそう言って、圭介は車椅子を道の方に戻そうとした。


「待って、待ってよ」


汀が声を上げる。


「何だ?」

「死んじゃうよ」

「それがどうした?」

「私の髪の毛と同じ色だよ」

「だから、それがどうした?」


淡白に聞き返した圭介に


「もう……」


と呟いて、汀は頬を膨らませた。


「この子を拾っていくよ」

「何で?」

「何でも」

「基本的に、何のメリットもないことはしたくないんだけど」

「メリットならあるよ」

「何だ?」

「癒されるよ」

「…………」


圭介はため息をついて、車椅子から手を離し、ダンボールに手をかけた。

濡れていて崩れたそれを破り、子猫を無造作に手で掴み上げる。


「……分かったよ。癒しは大事だからな」

「うん。癒しは大事だよ」


汀は、にっこりと、無邪気な少女の笑顔で微笑んだ。



汀の部屋の隅に、圭介が用意したケージが設置された。

しばらくは安静が必要と判断したので、やはり圭介が動物病院に連れて行き、それから綺麗に洗ってやってから、弱いドライヤーで乾かす。


子猫は大分衰弱していたが、温めたミルクなどを口に運ぶと、貪るように食べた。

体が自由に動かない汀は、猫の世話など出来ない。


ただ、徐々に回復してきて、妙に人懐っこいその猫を自分のベッドで寝かせることが多くなった。

猫も、汀の枕の右脇を定位置と決めたらしく、次第に我が物顔で眠るようになっていった。



数日後、圭介はくしゃみをした汀を、心配そうに見た。

そして言いにくそうに口を開く。


「汀。あまり猫を顔に近づけるな。その毛は、お前には毒だ」

「猫じゃないよ。小白(こはく)だよ」

「小白?」


問いかけられて、汀は頷いた。


「うん。小白」

「何で?」


猫……小白を抱きながら、汀は言った。


「小さくて白いから」

「…………」

「それに、毛なら平気だよ。慣れたし」


圭介は頭を掻いて、小白のトイレを掃除し始めた。

元々どこかで飼われていたのだろう。

トイレの場所もすぐに覚え、行儀もいい。

かなり、頭が良い猫のようだ。

喉を撫でられ、ゴロゴロと言っている小白を見て、 圭介は息をついてから言った。


「汀、猫で遊ぶのはいいが、仕事が入った」

「今日はやだ」

「我侭を言うな。マインドスイーパーの資格を持っているなら、ちゃんと仕事をしろ」


圭介はそう言って、立ち上がった。


「今回の仕事は凄いぞ。元老院から直々の依頼だ。その打ち合わせに行く」

「お外に行くの?」

「ああ。お前にも同席してもらう」

「私も、会議に出るの?」

「そうだ」

「どうして?」

「クライアントのたっての希望だからだ」


そう言って、圭介は小白の首の皮をつまみあげた。

猫は抗議するようにニャーと鳴いたが、彼は無視して無造作にケージに放り込み、その入り口を閉めた。


「小白!」


汀が慌てて、猫の方に手を伸ばす。

小白は汀の方に行こうとして、ケージの中で、檻部分に鼻を突っ込んでもがいている。


「猫で遊ぶのはお仕舞い。帰ってからまた遊べばいい」

「やだ! 小白も一緒に行くの!」


汀は、圭介を睨んで声を上げた。


「一緒に行くの!」

「我侭を言うな。元老院のお偉方も来るんだぞ」

「やだ! やだやだやだやだ!」


じたばたと駄々をこね始めた彼女をため息をついて見て、圭介は困ったように額を押さえた。

そして息を切らしている汀に、もう一度同じことを言う。


「元老院のお偉方も来るんだ。猫を連れて行くわけには……」

「小白が一緒に来なきゃ、私行かないもん!」


圭介の言葉を打ち消して、汀は大声を上げた。

こうなってしまっては、彼女は頑固だ。


圭介は一瞬、彼女を怒ろうと口を開いたが、すぐにそれを閉じた。

そして考え直して言う。


「……分かった。猫も連れて行こう」

「本当に?」


途端に顔をパッと明るくした彼女に、圭介は頷いてから言った。


「ただ、妙なことをしたらすぐに帰るからな」

「圭介、だから私圭介のこと好き」


圭介はそう言われ、汀から顔をそらした。

そして小白のケージの前にしゃがみこみ、猫を凝視する。

青い瞳の猫は、ニャーと威嚇するように彼に向かって鳴いた。


一瞬、圭介が何かを思いついた、という表情をして、口の端を吊り上げてニヤリと笑う。

汀はモゾモゾと動き出し、タンスから自分の服を取り出していたので、そのどこか邪悪な表情は見ていなかった。


「ああ、そうだな」


生返事を返し、圭介はケージの入り口を開けて、手を伸ばし、小白の首筋をむんずと掴んだ。



「遅くなりました」


圭介が車椅子を押しながら、長テーブルが置かれた広い会議室に足を踏み入れる。

既に、彼女達以外の人はそろっているらしく、水と資料が置かれた空間には、何も言葉がなかった。


汀は小さく肩をすぼめて、体を丸めている。顔を上げようとしない。

その胸には、しっかりと、リードをつけられた小白が抱かれている。

リードの反対側は、汀の右手首に結ばれていた。


コツ、コツ、と万年筆でテーブルを叩いていた議長席に座っている老人が、二人を一瞥して、そして汀の抱いている猫に目を留めた。

しばらくそれを凝視する。


入り口で止まった車椅子の上で、汀は伺うように、チラッとその老人を見た。

そして慌てて、怯えたように視線をそらして小白を抱く。

老人は万年筆でテーブルを叩くのをやめると


「はじめよう。高畑医師と、マインドスイーパーは、そこの空いている席に」

「かしこまりました」


圭介が頷いて、汀の車椅子を、老人と対角側に移動させる。

老人が、沢山いた。

全員鋭い表情で汀を注視している。


そして老人の隣に、喪服を着た女性が座っていた。

女性は立ち上がると圭介に向けて会釈をした。

しかし、自分を見ようとしない俯いた汀を見て、言い淀み、議長席の老人に向かって声を発する。


「あの……マインドスイーパーというのは……」

「あそこにいる白髪の子供です」

「そんな……まだ、小さな……」

「特A級スイーパーです。無用な発言は慎んでいただきたい。お座りになってください」


女性に座るように促し、老人は圭介に向けて言った。


「高畑医師。君の上げている業績を、我々は高く評価している。今この場に、同席してくれたことを、まず感謝しよう」


そこで小白が、眠そうに、ニャーと汀に向かって甘えた声を発した。

老人達が顔を見合わせる。

圭介はその様子を気にした風もなく、頭を下げた。


「こちらこそ」

「資料は、事前に説明したとおりだが、一応形式として用意させてもらった。読んでくれたまえ」

「かしこまりました」


頷いて、圭介は目の前に置かれた分厚い資料にパラパラと目を通した。

そして写真と経歴が載っているページに目を留めた。

まだ若い青年の写真が載っている。

汀がそこで頭を上げて、写真を見た。

そして圭介に向かって小さく囁く。


「私知ってる。この人、この前死刑判決が出た人だ」


汀の細い声を聞き、喪服の女性が老人達を見る。

老人達は、汀の手の中で眠っている猫を見て不快そうな顔をしていた。


「黙ってろ」


圭介はそう言って、いきなりページを閉じた。

汀が叱られた子供のように、しゅんとして肩をすぼめる。


「今回のクライアントは、こちらの秋山早苗女史だ」

「知っています」


資料を自分の方に引き寄せ、パラパラと目を通しながら、圭介は議長席の老人に向けて言った。


「テレビでも随分と報道されましたから」

「話が早くて助かる。高畑医師には、今回、秋山女史の依頼を受けていただくことになる。よろしいか?」

「お受けしましょう」


会議室がざわついた。

老人達が全員、信じられないと言った表情で顔を見合わせ、何事かを囁きあう。

議長席の老人が、コツ、コツと万年筆でテーブルを叩いて、彼らを黙らせてから言った。


「意外だな。もう少し話を聞かなくてもいいのか?」

「お受けすると言っただけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


圭介はそこで息をついて、資料を見終わったのか、目の前に放った。


「まずは、ご指名いただきました幸運に、心から感謝を述べさせていただきましょう。光栄です」

「光栄……か。君の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったよ」

「先ほどから、随分と私情を挟まれる。私は医者としてここにいます。仕事をお受けすると言っただけです」

「そうか……そうだな」


頷いて、老人は続けた。


「今回のダイビング(治療)は、マスコミにも大きく報道されている。注目されている一件だけに、失敗は許されない。その意味は、理解していただけるな」

「はい」

「…………」


汀が更に小さくなり、ぎゅっ、と小白を抱く。


「よろしい。最初から説明を始めよう」


彼はそう言って資料を開いた。


「患者は、中島正一。二十八歳。無職。知っての通り、先日死刑判決が出た。最高裁への上告は、棄却されている」


圭介は興味がなさそうに、手を組んで言った。


「我々に、その死刑囚を救えと?」

「ああ、そうだ」


老人が、ゆっくりと頷く。


「三日前に自殺病を発症。現在、第六段階にまで差し掛かっている。赤十字のマインドスイーパーが三人、ダイブを試みたが、いずれも失敗に終わっている」

「失敗の要因は?」

「攻撃性のあまりの強さに、撤退を余儀なくされた」

「統合失調症ではないようですが」

「……第六段階を治療できるマインドスイーパーを保有していない。それを、私の口から言わせたいのか」


苦そうにそう言った老人に、圭介は柔和な表情のまま返した。


「まぁ、いいでしょう。それで、この場にこの子を呼んだ理由を教えていただきたい」


老人達がざわつく。

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