第2話 敵国脱出
山脈にへばりつくように敷設された山道を、一台の二人乗りバイクが高速で通過する。側面には「HOT7000」とロゴが描かれたそのバイクは、どんな急坂、急カーブでもブレーキ無しの高速域で通過していく。ハンドルを握るは母国フリコを見限ったツナグ、そしてその体にしがみつくは、キンジョウの陰謀によってフリコに拉致されて、変異虫の遺伝子を無理やり組み込まれてしまった、メディン・カヴトだ。
「もうすぐ、大東亜連邦とフリコとの国境線近くです!ここさえ越えれば・・・!」
二人がようやく一息つきかけたその時、はるか向こうから恐ろしい唸り声と共に坂道を登って猛追する一台のトラックがミラーに写った。あれはフリコ市国の武装高速トレーラートラックである。ツナグは追跡者の存在に気づくとさらにバイクのスピードを上げて振り切ろうとしたが、トラックはなおもじわじわと距離を詰めてきた。
「くそう、あともう少しだって言うのに!」
「ツナグ君!!前!前!!」
「!?うあああーっ!!」
国境前の最後の急カーブを曲がり切った先には、なんとフリコの武装トラックが二台並んで道をふさいでいた。ツナグは慌ててブレーキを踏むも、慣性を抑えられずにバイクは横転、二人はバイクごとガードレールを乗り越えて林の中へ真っ逆さまに転げ落ちてしまった。
土の上をめちゃくちゃに転がされて、メディンは一本の木に引っかかってようやく止まった。相当な衝撃を喰らったはずなのに、体は全然痛覚を感じない。どうやら本当に自分の体は改造されてしまったようだ。そのおかげでこの通りぴんぴんしていられるのだから、全く皮肉なものだ。そう心の中で独り言ちながら彼は起き上がった。コードもちゃんと手元にある。
「・・・そうだ、ツナグ君は・・・!」
メディンははぐれてしまったツナグを呼ぼうとしたが、その前に彼の耳に鈍い音が聞こえてきた。誰かが殴られる音だ。音は上の道路の方からする。彼は気配を殺して斜面を登り、草むらの中から目だけを出して道路の方へ見やると、そこには全身があざだらけで拘束されているツナグと、それを囲むようにキンジョウとフリコの兵士たちが立っていたのだった。
「ツナグはん、えらいことをしてくれましたなあ。わてを裏切るだけならまだしも、甲博士の脱出まで手助けをするとは。あんさんのおかげで何もかもがわやになってもうたわ。」
「・・・」
「あんさんも知ってまっしゃろ、われらの研究所の掟を。裏切り者は機密保持の為発見次第処刑せよ。でもな、わてはあんさんみたいな将来勇猛な若手を一回やらかしただけで殺すのは忍びないんですわ。」
そういうと、キンジョウはツナグの耳にひそひそとささやいた。いまのメディンの聴覚ならばそのようなか細い声でも聞き取ることはたやすい。
「一言、言ってくれるだけでいいんです。一時の気の迷いだった、自分がばかだった、功を焦って愚かな真似をした、って。そういってくれさえすれば、あとはわてが何とか調整したるさかい、な?そういう事にすれば、お互い幸せになれまっしゃろ?ん?」
キンジョウは張り付けたような笑顔を浮かべて、不自然にやさしい言葉をかけてツナグを篭絡しようとした。だがツナグは決して首を縦には振らず、それどころかキンジョウの顔めがけて唾を吐いた。
「うわべだけの言葉にはもうだまされないぞ、賊め!!甲博士を助けた時点で僕は故郷を捨てる覚悟を決めたのだ!殺したいなら一思いにやれ!!」
ツナグの信念は固かった。同時に、キンジョウの表情がみるみる冷たくなっていく。
「せっかく、チャンスを与えたんに・・・ええわ、そういう事でしたらわても遠慮しまへん。ほれ、お前ら。このど阿呆を・・・殺れ。」
兵士たちが一斉に銃口をツナグに向けた。メディンは焦った。このままでは彼が死んでしまう。同胞を裏切り、故郷を捨ててまで自分を助けてくれた恩人を見捨てるわけにはいかない。
「何か・・・何かいい方法はないか・・・っ!」
手元には武器も道具もない。ただあるのは、コードのみ・・・
『これを起動すればあなたの虫人への改造手術は完了します。』
アタッシュケースの中からコードを取り出す。それを手のひらでぐっと握る。指が起動スイッチに触れた。これを押せば、自分は完全に人間ではなくなってしまう。ためらう気持ちはある。だが、いま、彼を救う手段はこれしかない。葛藤を振り切るように、メディンは勇気を奮い立たせた。そして、コードのスイッチを思いっきり押下した。
瞬間、メディンの体がまばゆい閃光を発し始め、空に向かって飛び上がった。それを目にしたフリコの兵士たちは思わずひるんだ。
「うわっ、なんだあれは!」
「誰か閃光弾を発射したのか!?」
光はしばらく空にとどまると、近くにあったそびえたつ崖に降り立った。そして、光は次第に収縮しはじめて、人の形を取り出した。
「あれは・・・まさか!」
キンジョウの予想は当たった。光が完全に消え去るころには、全身を変異虫由来の赤黒い鎧、有機昆虫遺伝子兵装第一号に変態させたメディン・カヴトが崖の上から見下ろしていたのだ。
「ああ・・・そんな・・・甲博士・・・!!」
「カヴやん・・・完成してはったんやな・・・」
ツナグが絶望に打ちひしがれる中、思わずキンジョウはその姿に感嘆の息を漏らした。キンジョウは腐っても科学者なので、今自分が置かれている状況よりも自分が心血を注いだ研究の成果が形となって表れたことが何よりも重要だった。
「奴は敵だ!構えろ!!」
フリコの兵士たちはメディンを即座に敵とみなして銃を構え、発砲した。だが彼の鎧は銃弾で貫けるほど脆くはなかった。それらがきかないと見るや、メディンは即座に瞬間移動し、一人の兵士の目の前に現れざまにその顔面に拳を打ち付けた。兵士の頭は粉々に砕け散った。他の兵士らがメディンの背後を襲った。すかさず、回し蹴りを食らわせた。兵士たちは体をあり得ない方向に曲げながら崖へと勢いよくぶつかり、その岩肌を血で染め上げた。まるで潰れたトマトのようだった。
他の兵士たちが次々に襲ってくるが、メディンはこれを難なくかわし、次々と倒していった。当然、彼は今まで人を一人も殺した事が無いし、彼が戦闘の術に長けているわけでは無い。改造手術とともに頭の中に埋め込まれた戦闘補助システム、疑似網膜が、予めインストールされてある戦闘術プログラムを読み込んで彼の戦闘をサポートしているのだ。そのおかげで、彼は簡単に兵士を倒すことが出来る。彼は簡単に、人を殺すことができるようになってしまった。
「あーあーあー、わてがせっかく選んだ精鋭さんたちが・・・」
気が付けば、フリコの兵士たちはみな殺されて、残るはキンジョウとツナグだけになってしまった。メディンの視線は、キンジョウに向けられている。彼の視界で疑似網膜は言っている。キンジョウを殺せ、キンジョウを殺せと。
「・・・」
「なるほどなぁ、これで一つはっきりしましたわ。虫人はやっぱし開発中止にしまひょ。力は強いけども、いったん暴走しはったら手が付けられなくなるさかい、これじゃわても命幾つあっても足りませんなぁ。」
「・・・」
メディンはキンジョウににじり寄った。そして、その拳をキンジョウに向かってぶつけようとし、急接近したが、その瞬間にキンジョウが煙幕爆弾を取り出し、彼の前の間で炸裂させた。煙幕は彼の疑似網膜にことごとく異常を発生させて全く使い物にならないようにした。
「これはただの煙幕ちゃいまっせ、高濃度ワム粒子拡散手榴弾でんがな。虫人のエネルギー源のワム粒子は、大気中の濃度が規定量を越えてまうと機械がことごとくエラーを吐きよるねん、その様子やとあんさんの疑似網膜も例にもれずバグってはるようですな。いやー、どうしても取り除けなかった虫人の唯一の欠点が、まさか安全装置代わりになるとはなあ・・・」
ワム粒子の膜につつまれたメディンは視界中にノイズが走り、身動きが取れなかった。その隙に、キンジョウはトラックに乗り込んで撤退の準備をする。
「カヴやん、その技術は餞別代りにあんさんにあげます。あまりにも危ない技術すぎますねん、こんなん使うてたらいつか国が滅びよるわ。まあわては別に滅んでもかまへんけど、まだまだやりたいこと仰山あるさかいに、フリコにはもう少し頑張ってもらわんと。そんじゃ、せいぜい頑張って技術を解析してください。カヴやんの頭ならそれくらいお茶の子さいさいでっしゃろ。その結果あんさんらが自滅する様を、高みの見物させてもらいますわ。ほな、さいなら。」
キンジョウはトラックのアクセルを踏んでそのまま来た道を戻っていった。ようやく視界が晴れてきたメディンは動き出すトラックを見てすぐさま追おうとしたが、すでに彼のエネルギーは底をついていた。不慣れな戦闘でワム粒子を余計に使ってしまったのだ。力尽きた彼はがっくりと膝を落し、そしてばたりと倒れ、気絶してしまった。
「甲博士!!」
ツナグはメディンの元へ駆け寄った。エネルギーを使い果たすと虫装が自動で解除される。彼は元の人間の姿へと戻った。いや、彼はもう人間ではなくなった。変異虫の遺伝子を宿した、虫人が彼の真の姿だ。今のこの姿は、あくまでも虫装解除の状態。元の人間に戻ることは、二度とできないのだ。
「うぅ・・・甲博士・・・僕の、僕のせいで・・・」
ツナグは涙を流しながら彼に謝罪した。だが、今は泣いている余裕はない。彼はメディンを担ぐとフリコの兵士たちが置いていったトラックのキャブに乗り込むと、コンテナ部分を切り外してキャブ部分のみで走り出した。かくして二人は、どうにか国境を越えて大東亜連邦へ亡命したのである。
甲王伝記〜甲虫戦姫前日譚〜 ペアーズナックル(縫人) @pearsknuckle
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