甲王伝記〜甲虫戦姫前日譚〜

ペアーズナックル(縫人)

第1話 虫人誕生

 太古の昔から、戦争は人がするものであった。しかし、つい数年前から、人は生きている虫を、兵器として使役する技術を生み出した。だがそれは、人類文明崩壊の第一歩でもあった。


 大東亜連邦国の国立大学に務めるメディン・カヴト博士は、同国屈指の生物科学者であり、昆虫の食用に関する分野を専攻していた。同国は隣国のフリコ市国との長きにわたる戦争の影響により、国土は荒れ果て、食料は不足し、人心は乱れていた。

 そのため、彼は本来昆虫専門の科学者になるために培った知識を、少しでも人々の空腹を満たすために、食用昆虫研究の道へと入ったのだった。


 彼の研究成果は人々が食用昆虫に抱いていた固定観念を次々と打ち破った。

 特に、彼の研究の成果でもあり大好物の一つである食用昆虫を使った保存食菓子、「アンコリーノ」はそれまでの昆虫食らしからぬ外見と味でヒット商品となり、連邦国元首から直々に表彰されるほどの人気を博した。また、その一件で巨万の富を経てもなお、生活に必要な費用を差し引いてからすべてを戦災被害者たちに寄付したほどの謙虚さも相まって、人々は彼を敬愛し、親しみを込めて彼の事を「甲博士(こうはくし/かぶとはかせ)」――彼のお気に入りの昆虫がカブトムシであった為――と呼んでいた。


 彼は昆虫を愛するものとして、昆虫を争いの道具として使役するフリコ市国が許せなかった。だが反対に、フリコ市国は彼の技術を、ひいては彼自身を虎視眈々と狙っており、隙あらば秘密裏に接触してスカウトしに来ていたのだったが、愛国心も人一倍に強い彼は決してフリコの使者には心を開かなかった。


「外道め、失せろ!貴様らのような輩の為に国を裏切れるものか!!」


 この言葉を決まり文句に何度も使者たちを追い返していたのだが、ある日、しびれを切らしたフリコはついに最終手段に出た。大東亜連邦に秘密裏に特殊工作員を忍び込ませて、彼が研究所から自宅へ帰る道中を急襲し、フリコ本国へと拉致したのであった。


 彼が瞼に光を感じて目を覚ました時には、手足は頑丈な鎖で拘束されており、周りには青緑色の手術着を着たものたちがゴム手袋をはめていた。


「ああ、寝坊助さんがようやくおきよったわ、ええ夢は見れましたか?」


 この特徴的な言葉・・・聞いたことがある、僕の予想が正しければ、あいつだ・・・!

 メディンがにらみつけた先には、想像していた通りの相手が立っていた。


「お久しぶりですカヴやん、いやちゃうな、この場合は甲博士と呼んだ方がええかな。」


 でっぷり太ったこの男、名はフトオ、姓はキンジョウ。メディン・カヴトの同郷の士で同じく昆虫専門の科学者でありながら国を捨て、その知識を戦争の兵器として活用して巨万の富をほしいままにした、強欲な男であった。


「・・・誰かと思ったら、賊のキンジョウか。」

「ひどいわあ。久しぶりに会ったのにわての事を賊だなんて。わては持ちうる知識を高く買ってくれる方についただけさかいに、せめてビジネスマンと呼んでほしいわ。ほんま。」

「国を裏切り、虫たちを使い捨て、富をむさぼる賊が僕を拉致してどうする気だ!」

「そんなんあんさんが何度も断るからあかんのですわ。わてらが何度も頭下げて一緒に仕事しませんかってお願いしに来たんにみーんな断ってまうから、わてらは実力行使に切り替えただけです。」

「ふん、そこで僕を無理やり協力させようってわけか。匹夫ども、僕はたとえ肉が割け骨が砕けても貴様らの手助けなんかしないぞ!家族を殺したって無駄だ!」

「ああ、それなら気にすることありまへん。あんたの知識はあんたがおねんねしてる間に全部わての機械で吸い取らせてもらいました。」

「・・・な、なんだと!?」

「下のテーブルみたいなんがそれですわ。最近はやりの睡眠学習装置をちょいちょい、っと手を加えたもんやけど、欲しかったデーターはおおむね手に入ったんでどうやら大成功みたいですなあ。」


 メディンは自分が寝かされている台をよく見てみると、確かに自分の体の真下に何やらセンサーのようなものがついており、頭の方には後頭部を置くのに丁度よさそうなくぼみがある。どうやらここから知識を読み取ったらしい。


「・・・ならば、僕はもう用済みという訳か。だったら早く殺せ!僕は一介の凡夫なれど、死は恐れない!さあ、早くやれ!!」

「まあまあ甲博士、何もわてらは用済みだからってすぐ殺すほど無慈悲ちゃいまっせ。博士にはもう一つ頼みごとがあるんです。」

「頼みごと・・・?」

「わてらが最初に食用昆虫を改良した生物兵器、変異虫を戦場で使い始めてからもうかれこれ半世紀になりますけれども、どうも最近そちらさんがしぶといのもあって拮抗状態でしてな?ここにきて新しい策を講ずることになったんですわ。ちょうど、兵隊さん達の兵装も更新せなあかんちゅうことで、わてはこれらをまとめて一気に解決することにしたんです。・・・有機昆虫遺伝子兵装、虫人むしひととして。」

「虫人・・・?」

「面倒くさい説明を省いて説明するなら、今までの戦闘用昆虫の遺伝子を人間に組み込んで、人間そのものの身体能力を強化しようっちゅうことですわ。有り体にいえば、改造人間でんがな。」


 それでメディンは合点がいった。なぜ自分が手術室みたいな場所に寝かされて手術着を着たものの囲まれていたか。こいつらは、自分をその虫人やらに改造するつもりなのだ、と。命の危険を感じたメディンは逃げるために必死にもがいたが、己を拘束する鉄鎖は無情にも彼を逃がそうとはしない。


「や、やめろ!!キンジョウ!」

「理論はとっくの昔に完成してたんですけども、いざ人間を使った実証実験となるとみーんなおじけづいてもうてしまって全く実験できなかったんですわ。でもようやく・・・”実験体”を手に入れたんです。逃がさへんで・・・!」

「や、やめろーーっ!!」

「甲博士はカブトムシが好きでしたな?せめてもの情け、あんさんに混ぜる虫の遺伝子はカブトムシに決めとりますから安心したって下さい。ほな、麻酔をば、ちくっと・・・」

「うっ・・・」


 キンジョウは素早い手つきでメディンの首筋に麻酔を注射すると、それまで手術台で暴れていた彼はがっくりとうなだれて、死んだようにうなだれてしまった。


「ふう、ようやく大人しゅうなりよった。ほな、後はたのんまっせ、わてはまだまだやることがあるさかいな。」


 そういうとキンジョウは足早に手術室を後にした。そして、部屋の中にぶしゅう、と音を立てて除菌用微小構成体ナノマシンが放出されていく。それからしばらくして、手術着の男たちは互いに頷いて、メディン・カヴトの虫人への改造手術を始めたのであった。


 ・・・


「・・・博士、甲博士・・・!」

「う、うーん・・・はっ!!」


 メディン・カヴトは目覚めた。どうやらまだ手術台の上に乗っているようだ。拘束はいつの間にか解かれていた。誰かが自分を呼んでいる。誰だろうか?


「目が覚めましたか、甲博士・・・!」

「・・・お前は、誰だ?」

「僕は、ツナグと言うものです。キンジョウの助手をしています。」

「・・・そいつが、今更僕に何の用だ。キンジョウにご機嫌伺いでも行ってこいと言われたか。」

「いいえ、違います。僕はもう、あいつを・・・フリコ市国を見限りました。この国はもうだめです。戦争に勝つことだけに固執して、民の事を全く顧みなくなっています。国家の方針に反対する者たちは皆粛清し、キンジョウのような上っ面だけの奸賊がのさばるようになってしまいました・・・」

「・・・」

「甲博士、こんなことをいまさら言っても貴方は許さないでしょう。ですがどうか言わせてください。虫人は、僕のアイデアなんです。でもまさか、採用されるとは夢にも思いませんでした、そしてその一号が、敵国の国士ながら密かに敬服していた、甲博士、貴方になるなんて・・・なんとお詫びしたらいいか・・・」


 ツナグは口惜しげにひざまずき、そして甲博士に向かってひれ伏した。


「甲博士、貴方をこうしてしまったのは全て僕の責任です。ですから僕は償いとしてあなたをお救いいたします。キンジョウは今フリコの首脳陣と会議中で、あと一時間は戻ってきません!さあ、早く!」


 メディンはツナグの心意気に感動した。フリコにもまだこのような雄が存在したとは思ってもいなかった。


「ツナグ君、気持ちはありがたいが、君とはまだ会ったばかりだ、信用していいものか・・・」

「僕はもうフリコに忠誠心なんてありません。その証拠に・・・」


 ツナグは右手に持っていたアタッシュケースを開き、中から単三電池ほどの大きさの赤色の物体を取り出した。


「これは、甲博士の体に埋め込まれた虫人の鎧、虫装を起動する為の”コード”とと言うものです。これを起動すればあなたの虫人への改造手術は完了します。ですが、起動さえしなければあなたは人間のままでいられるんです。僕はこれを、キンジョウのラボから直接盗んできました。そろそろ警報が鳴るころ・・・」


 そういった瞬間、研究所内にけたたましく警報アラートが鳴り響いた。


「警報!警報!キンジョウ主任の部屋に何者かが侵入、虫人起動用のコードが盗難!犯行は同研究所職員の模様。見つけ次第直ちに捕縛せよ!場合によっては殺害も許可する!繰り返す、キンジョウ主任の部屋に・・・」

「甲博士、さあ、早く!!地下の駐車場に僕のバイクが止めてあります。それに乗ってください!」

「ツナグ君・・・キミを疑って悪かった、君の覚悟はしっかり伝わった。さあ、行こう!」


 メディンとツナグは、急いで手術室を後にした。決死の脱出の始まりであった。

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