第72話 審判

 しばらく経った後、壁を背にして座りなおしてから、口を開いたのはコルヴァだ。


「……やってくれましたね。僕の身体は、格を担う心臓に衝撃を受けないように設計されていますが、あんな衝撃には耐えられない。心臓が格納庫内で振動し、負傷したようです。心臓は人体と変わりませんので、傷を受ければあまり保ちません。これは……僕の負けです」

 自嘲気味に呟き、コルヴァは笑った。機械も疲労する事はあるのか、普段よりは生気のない笑顔だった。


「……」

 悲願であった仇討ちを達したはずのディルは、それに対して全く感情の機微がなかった。ちょうどコルヴァと同じ格好で座ったまま、一言も発しなかった。


『どうした? お前の切望は成就されたはずだろ?』

 頭の中でオラドが言う。その声は、いつも通りの揶揄う調子ではなく、哀しみが滲んでいる。

「勝利と言えるか……俺の身体も……限界だ。所詮は一度死にかけた身体だ。もう、手足が満足に動かせない。そう日を待たず死ぬだろう」

 それを聞き、コルヴァは何か考えるように押し黙った。


 ディルは、復讐を果たす事は今ようやく叶ったものの、その胸の内は波のない、まさに凪のようだった。ユジェの仇を取れば、自身の中に渦巻く怒りや、悲憤が晴らされるのだと信じていたが、そうではなかった。


『まあ……お前にしてはよくやったよ。楽しい余生を送れて満足、満足』

 励ますような、慰めるような口調でオラドは喋る。ディルはオラドの不器用な優しさに、少しだけ苦笑した。


「助かる方法はひとつあります」

 ふと、コルヴァが口を開いた。


「僕の身体は心臓を格にしているので、心臓さえ無事ならば動くことが出来ます。そのが誰であっても。心臓を取り換える間くらいは身体の方の安全保持装置セーフティが持たせてくれます。ですから、僕の心臓を破棄してディルさんの心臓を入れる。僕の心臓は生きてる間に装置に入れて、その〈魂〉で世界を分断する。隔たれるまで少しの時間がありますので、その間にイブに帰れます」

 突然の提案にディルは驚いた。だがコルヴァ自身は本気のようで、すでに身体を覆っていた疑似皮膚を剥いでいる。心臓部分に隠されていた銀色の扉は、金庫のように見える。その扉を開こうと何か操作している様子だった。


『おいおいマジか? あいつを信用していいのか? 心臓出した途端、グチャっと潰されて死んじまう事もあり得るだろ』

 頭の中で、オラドが焦ったように言った。

「そうだな……。それに、コルヴァ。お前の目的はノア人たちの復活だろう。俺がお前の言う通りに動くとも限らない。敵である俺の為に、どうしてそのような危険を取る?」

 ディルが問うと、コルヴァが作業する手をぴたりと止めた。

「分断さえ叶えば、残ったリウで大方のノア人たちは生き返れるでしょう。ユリアスもどうやら死んだ様ですし、計画の完全な遂行は諦めます。ノアは……が、元に戻る保証もないですから……」

 ディルはその答えを聞いて息を呑む。コルヴァは構わず続ける。


「一度、〈魂〉を使い果たした世界を蘇らせて、イブから〈魂〉を補充して、それで次の世代が無事に生まれる? 僕の記録ではそのような……確証はない。彼らの願う通り、人の未来を残すのなら、こちらの世界イブを滅ぼすべきではなかった」

「じゃあ、お前はそれが分かっていて、〈剣の神子〉の〈魂〉を集めていたのか?」

「ええ。それに縋る人々が居たなら……機械つかえるものはそうするしかありませんから」

 コルヴァは力なく言って、自嘲するように笑った。


 人々の為に働き、奉仕する。人間の為の機械。カイン達に情報を与えた理由を『可能性を残す為』と答えたのも、人間の未来を慮ってのことだった。つまりコルヴァは、ノア人の願いと人類の未来のどちらも望まれた結果、矛盾が生じてしまったのだ。


 感情を芽生えさせても、己の使命に逆らう事ができない機械コルヴァ──ディルは憐れに思った。コルヴァがディルの為に身体を明け渡すという決断も、機械としての役割、その一環なのかもしれない。この時、ディルは選ぶべきものを確信した。


「分かった。死なずに済むならどうなっても良い。もしお前がよからぬ企みを持っていたとしても、同居人オラドが何とか止めるだろう」

『ったく、正気かよ。世話が焼けんなあ……』

 頭の中でぼやく声が聞こえたが、ディルは無視した。〈魂〉をもらってからの三年間で、オラドが信用に値する人物であることは、よく分かっていた。


「そういうの、良いですね。僕もどこかの世では、友人を持てるかな?」

「さあな。まあ、俺も後からそっちに行くから……その時は話くらいはしてやる」

 コルヴァとディルは、軽口を交わしながら、互いに心臓をさらけ出すための準備をしていた。奇妙だった。先ほどまで憎しみをぶつけ、殺し合った相手と、まるで友人のように語らいあっている。


 懐かしく感じた。アルマスで暮らした、ユジェと、レオとの情景が浮かんだ。


 ディルが上半身の鎧を外し終わった頃には、コルヴァも心臓を納めている、格納庫の扉を開け終わったようだった。


「じゃあ、取ります。入れ終わった時には僕の身体はあなたの物なので、早めに僕の心臓を、リウの装置に入れてくださいね」

 装置の場所を指し示しながら、コルヴァは短剣を手にディルのもとに歩き寄る。

「ああ、頼む」

 ディルが頷くと、短剣の刃が胸に突き立った。





      ***





『あなたは本当に、気の狂った方ですね。なんて可笑しいんだろう』


 頭の中で、心底楽しんでいる様子の高い声が響いていた。続いてため息とともに、呆れた口調で聞き慣れた声が喋った。

『ったく……。こいつの頭の中はオレだけで充分だってのに。何でお前が居るんだか』

 隧道が隔たれ、レオとメアリが消えていく姿を見送った後。ふたつの声のやり取りの様子に、銀色の髪を持つ青年が苦笑していた。頭の中でやり取りしているのは、オラドとコルヴァだ。

 

 心臓を使い、すでに〈魂〉を持たぬはずのコルヴァは、何故か意識がこの身体に宿り、ディル達と話せるようになってしまった。そして今、コルヴァだった機械の身体を操っている主は、心臓を交換した後のだ。


 ディルは身体を貰っても、ノアからイブに帰らなかった。ただ、世界が隔てられるまでの間に誰かがこちら側へ来てしまう事が無いよう、見張っていた。予想通り、自分を心配して訪れたカイン達を見送ってから、ディルはノアに戻る。ノア人たちが眠って保管されている、灰色の建物に向かっていた。


『世界が分断されてからしばらくの間は、まだノア人達は目覚めません。目を覚ますまでが好機ですね』

『お前それでいいのかよ? ノア人達を救う気じゃなかったのか?』

『僕は死にました。言った通り、ノアはいずれ滅びる運命にありますから』

 頭の中はふたりの話し合う声で賑やかだ。


 ディルは灰色の建物の奥に辿り着いた。コルヴァの心臓を入れた装置のさらに奥、ノア人たちが目覚めの時を待ち、眠っている。棺のような形状の保管庫が、びっしりと詰まって並んでいる。


 ディルはその前で大剣を握る。


『……本当にいいんだな?』

「俺はこれまでずっと逃げてきた。大戦の時もレオに人殺しの役目を負わせて、その功績をいいように横取りした。そうやって人殺しをする自分の罪から、目を背けていたんだ。コルヴァを追うようになってからも……を知られない為とはいえ、カインとクリスティに、辛い想いばかりさせてきた。あの子を護れなければ、今、この責を担う事から逃げれば、生きてきた意味が無いんだ」

 オラドからの問いかけにディルは淡々と答えた。自分への言い聞かせでもあり、独白でもあった。入れ替わりに今度は、コルヴァの声が喋った。


『僕の機械体を得て、ノア世界がたどった歴史も、人の想いも全て知ったはず。それでも揺るがない決意なのでしょう』

「ああ。もう二度と、〈魂〉の侵攻を行わせない。イブの人々が、〝土の民〟でなく、生きていく為には、こうするしかない」


『そうですね。殺し合いとは自分の領分を護る為に起こるもの。まあ、地獄に行ってもきっとお揃いでしょうから、仲良くいきましょう』

『自分勝手なモンだぜ、全く。ただ、ディル、地獄でもお揃いってのには同意するぜ。……見ててやるよ』

 頭に住まう同居人たちが背中を押してくれる。ディルは僅かに胸の内を暖かく感じた。だがディルは、自身の行いが許されざるものであると知っている。努めてその感情から目を背けた。


 ディルは大剣を、ノア人が眠る棺、その中心部分を狙って突き刺した。目撃者が存在しない残虐な行為は、ひとつずつ順に、正確に行われていく。血潮が飛び散って全身を染めていくなか、ノア人達の命は刈り取られていった。

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