第56話 引き裂かれるふたり

 ふたりは法王領最奥に建つ、ユリアスの居城である宮殿へと連れていかれた。宮殿の地下には牢獄があった。灯りが満足になく、足元すら朧げだ。手を縛られたカインとクリスティ、後方に短剣を持ったアウレリア、その後ろに兵士複数という順で、黙々と歩かされている。カインは牢獄内を進みながら、並んでいる牢屋の中を確かめる。拷問が行われていたであろう跡がいくつか残っていた。


 そして何個目かの檻の前に差し掛かったとき、思いも寄らぬ光景を目にした。短い金髪の男が、寝台の上に寝かされている。一目でそれが誰だが分かったが、カインより先にクリスティが叫んだ。


「ロウ! ねえ、ロウ!」

 懸命に呼びかけたが、全く反応が無い。するとアウレリアを乗っ取ったユリアスが、後ろから嘲笑った。


「無駄ですよ。あなた方が何をしても彼は起きません。……では、そこがあなた方の牢屋ですので入ってください」

 ロウの居る檻からは離れた檻に、背中を小突かれ、入るよう促される。仕方なく従って牢屋に入ると、がちゃん、と扉を閉められた。鉄格子を挟んだ向かい側にユリアスが立ち、にやりと笑っている。


「さて。私があなた方に真実を赤裸々にお話ししたのは、〈魂〉の調査に協力いただくためです。どちらも珍しい〈魂〉をお持ちですからね。試さねばならない事が多くて楽しみです。……ではゆっくりお休みください。くくく……」

 ユリアスは、話すことは終えたと言いたげに切り上げて、檻の前から離れる。それに従って、引き連れていた生気のない兵士達も引き上げていった。





 地下牢獄の中で、眠れぬ夜をふたりは過ごしていた。あの牢屋でロウも眠らされているのだろうが、もはや、ユリアスが彼自身を含めたこの国全てを支配できると知った今、起こすことすら叶わない。


 カインは鉄格子を軽く調べた後で、その前に立って地下の入口方面を何刻も見張り続けている。クリスティは牢屋内で脱出の糸口を探っていたものの、手段が見つからずに座りこんでしまっていた。一つだけある窓にも鉄格子が嵌められている上に、人に届く高さでない位置にある。壁は牢屋内にある椅子をぶつけてもビクともせず、壊せそうにない。


 カインは見張りをしながら、ここで知った事を整理しようと思案していた。ユリアスは自らの手足とするために、リウを取りつかせた自分の子孫ばかりで、法王領このくにを形成している。なおかつ、今代ユリアスの直接の子供であった場合は、距離が離れていても支配できる。

 対してあの〝劫火〟という者は、『皇帝と心臓を入れ替えた』と言っていた。つまりユリアスと違って、帝国皇族の子孫にはリウを寄生できていない。恐らくはを支配できるのだろう。


「現状、あのユリアスの子供でないと判断できるのは、ステラ、ベニー、皇帝一族、それからディル……くらいか」

「えっ?」

 これまで無言だったカインが、突然すらすらと喋ったので、クリスティは驚いた。

「クリスティ。手首の欠片は奪われていないな?」

「え? うん。そのままみたい」

 クリスティは手首の装置を確かめる。縛られた時に奪われると思ったが、放っておかれた。イブ世界を丸ごと破壊する今となっては、欠片などどうでも良いのかもしれない。ユリアス側の余裕を感じてやや不快になる。


「幸いだな。今から、あの鉄格子をこじ開けて脱出する。見張りの兵を暫く見ていたが、交代は無いようだ。先ほどの住人達と同じような顔をしていて少しも動かないから、意識が無いかもしれない。だから姿を見られようが、とにかく走って逃げるということになる」

 カインから早々と告げられた内容に、クリスティは困惑する。鉄格子をこじ開けるとはどうやって、姿を見られるなんて危険すぎるのでは、など疑念が尽きないが、カインはそれを聞かせる気が無いようだった。

「牢獄を出たら、巡礼路の方へ抜けて、トリアの方面……つまり南東に向かって走る。巡礼路の方はもともと開かれているから、高い門扉はないはずだ。置けたとしても阻塞物くらいだろう」

 クリスティは動揺しながらも、道程を頭に叩き込む。クリスティの様子をじっと見つめながら、カインは小さく頷いてから口を開く。

「それと、もうひとつ。イブ全体がユリアスの手中にある今の状況では、無事に逃げられる保証はない。死ぬかもしれん。だから何を見捨てても、とにかく走れ。いいな?」

 カインはそれだけ言い棄てて、すぐに背を向けてしまった。クリスティは、比較的早口で告げられた内容を咀嚼していて、最後の一言が消化できなかった。


 見捨ててもって、何を?


「カ……」

 それについて訊こうとした時、けたたましい音と共に、鉄格子がぐにゃりと曲げられたのが見えた。カインが力づくで鉄格子を左右に広げたのだ。

 クリスティは目を丸くした。カインがを持っていることには気付いていたが、意図的に隠している様子だったので触れずにいた。それでも、想像以上だった。


「行くぞ」

 そして、カインがクリスティの手を掴んだ。聞きたい事があるのを分かっていて、言わせないようにしている。

「……」

 了承はしなかった。だが逃げるしかなかった。カインの方も、返事を待たずに手を引いて走り出した。


 地下牢獄自体はそれほど広く無い。来た道を真っすぐ戻って、入り口の見張りに接近すると、カインが一息に殴り倒す。クリスティは、地下を出る前に一瞬振り返った。ロウを置いて行くことになってしまう。だが彼を連れていっても何れユリアスに乗っ取られてしまうので、今は置いて行くしかない。


 見張りが居た奥の階段を上がると、宮殿内の通路に出た。宮殿内の兵士たちの視線が、待ち構えるようにカイン達へと向いていた。動き自体は緩慢なものの、やはりユリアスの意識と繋がっているようだ。

 途中、兵士が行く手に立ち塞がり、槍を振るってきた。カインは槍を躱して、兵士の頭をわし掴みにして地面に打ち倒した。昏倒した兵士の装備から、剣と短剣、それと水筒を奪って、短剣と水筒をクリスティに投げて渡した。


 宮殿から何とか脱出し、巡礼路に入る。時刻が夜分な事もあり、兵士は居ても住民たちの姿は少ない。追手たちはそれぞれの動作こそ遅いが、徐々に逃げ道を塞ぐように動いていた。


 ふたりは夜通し走り抜け、法王領とトリアの境界線近くまでたどり着いた。そこで目にしたのは、阻塞物ではなく、堅牢な石門と鉄扉だった。予想外だった。先日トリアからここへ謁見に訪れた際には何も無かったのだから、短期間で築かれたのだ。ユリアスはどれだけ住人たちを酷使したのだろうか。これではさすがに壊せない。高さは見上げる程あって乗り越える事も出来ない。背後には兵士たちも迫っている。


「受け身を!」

「えっ?」

 カインはクリスティの身体を持ち上げると、防壁の上に放り投げた。クリスティの身体は高く浮いて放物線を描き、防壁を超えて外へと落下した。

「んぐっ!」

 地面に接地する際に前転し、衝撃を受け流すようにした。とっさに受け身を取ったとはいえ、相当な高さを投げられたクリスティの身体はなかなかの痛みを負い、その分の声が出た。


「はあ、っはあ……カイン!」

 どうにか起き上がってカインの方を振り向いたが、当然、厚い防壁と門扉が目の前に聳え立っている。

「カイン‼」

 クリスティが何とか届くようにと声を張り上げて叫ぶと、扉の向こうから声が聞こえた。

「早く逃げろ! 俺は後から追う! 早く!」

 直後、武器同士が交わる音が聞こえた。カインが兵士と戦っているのだろう。


 クリスティはすぐにカインの元へ戻りたいと思ったが、その手段がここには無かった。見捨てねばならない。逃げねばならないと認識して、涙をぼろぼろと零しながら駆け出した。カインとは逆方向を向いて、南東方面に向かって無我夢中で走る。


 残されたカインは、奪い取った剣を使い、襲ってきた兵士の武器を払う。周囲には青い顔の人々が、武器を持って詰め寄せている。一様に同じ表情が並び、ひとつの集合体のように見えた。一度だけ、クリスティを逃がした方角に視線を遣ったが、当然、防壁に阻まれてなにも見えなかった。カインは敵へと斬りかかった。

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