第34話 水の都、トリア

 ラ・ネージュ法王領を避けて大回りし、西に進んだ先に、トリアはあった。この街はマリウス大河の上流に位置しているため、水資源が非常に豊富だ。〝水の都〟と呼ばれ、都市全体に水路が張り巡らされて整備されている。

 トリアは本来、賑やかで煌びやかな都市なのだが、カイン達が到着した際の様子は少し違った。ごく近くに〝雨〟の赤雲が見えており、商店や露店も店じまいの最中だった。


「カイン、宿が閉まっちゃうかも。急がないと!」

 クリスティの言う通り、閉まってからでは交渉に手間取る。三人は慌ただしく走り、何とか今夜の宿を確保したのだった。



「あの、ここは奴隷が居ないんですか……?」

 寝台の上に腰掛けたベニーが、恐る恐る聞いた。

「多分ね。ここの〈剣の神子〉が、そうさせてると思う」

 同じ寝台に座って、足をぶらぶらさせていたクリスティが答えて、そのまま続ける。

「ここの〈剣の神子〉は、母の兄妹の子供……つまり私の従妹が、〈剣の神子〉と首長をやってるの。筋の通らないことは嫌うひとだから、奴隷は受け入れないんじゃないかな」

「へえ……!」

 ベニーは感動したように、目を輝かせている。そこへ装備の点検をしながら、カインが口を挟む。

「そういう訳だから、あいつに会うには〝雨〟が晴れないと難しい。今夜はゆっくり休んで、明日の陽が昇ってから会いに行くぞ」

 はい、と子供らしくない返事が二つ帰って来る。カインは何とも言えない心境になりつつ、黙々と点検を再開した。






「……どうしちゃったの?」

「あなた、どうして笑っているの?」

 ユジェは、こちらを見て怯えていた。


 桃の髪は後ろで束ねられ、代わりに赤錆色の鎧を着込んでいて、幼い頃の可憐さを閉じ込めていた。彼女の手には血が滴る剣があり、周囲には亡骸が転がっているが、それらは不自然なほど斬り刻まれていた。視界に入るのは彼女と、燃え上がる戦場。視線を落とすと、自らの手に握っていた剣から鎧までもが、返り血でべったりと濡れていた。




──またあの夢を見た。


 カインはまだ陽も明けないうちの闇の中で、のんびりと瞼を持ち上げた。三年が経っても、時々こうして彼女の幻を見る。自らの醜怪さに嫌気が差す。カインは子供らを起こさないように小声で、はぁ、と息を吐いた。

 クリスティとベニーは時間も時間なので、まだぐっすりと眠っている。子供らしい規則正しい寝息が聞こえてくる。その寝息の合間に悲鳴が聞こえてくるのに、カインは気付いた。

 

 弾かれたように起き上がると、枕元に置いていた剣を手に取り、窓を開ける。何かから逃げまどい、怯えた表情で流れてくる人々の姿があった。どうやら街の中心部で何か起こっているようだ。


「……カイン?」

 寝ぼけ眼で、クリスティがのっそり身体を起こした。ベニーもまだ覚醒しきっていないが、何とか身体を起こしたような状態だ。

「クリスティ、起きられるか? ステラが襲われているかもしれない。〈剣の神子〉が居る場所まで向かいたい」

「ステラが?」

 クリスティはそれを聞いて、意識がはっきりしたようだ。ステラとは、昨晩話していたクリスティの従妹。トリアの〈剣の神子〉の名前だ。


「ベニー、お前は出来るだけ離れて、逃げられる準備をしておけ。最悪、〝雨〟に溶かされる可能性があるから、そうなったら街の外へ走れ。いいな」

「は……はい……!」

 寝ぼけた状態のままだったベニーも、カインの言葉を聞いて状況を理解した様子だった。準備を終えたクリスティを連れて、カインは宿を出ていく。


 すでに外では、〝雨〟が降り始めていた。

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