第23話 帝国の隠し札

 いよいよ大陸北部へ出発の日だ。呻く波を乗りこなし、ぴしりと膨らむ帆に導かれ、大型船が進んでいく。潮のにおいが鼻を掠める。クリスティはその甲板で、眼をきらきらと輝かせて水面を見つめていた。

 マキナ達は再び旅商団として、海路を使用して北部へ向かっていた。先日皇帝から説明されたように、大陸北部と南部の移動に関しては、中心をまたぐ聖地レ・ユエ・ユアンのせいで、東西どちらかに大回りする必要がある。だが海路の場合は、帝国の西側の海をまっすぐ北上していくと、北部の海岸沿いに到着する。

 

 そもそもイブ大陸では、一般に旅商団でも海路は使われるものではない。マキナ曰く、帝国の隠し札のひとつとの事である。

「意外性のある事をしなければ戦には勝てん、って父上は言ってたけどね」

 甲板で海を眺めているクリスティと、その後ろから見守るようにしているカインに、マキナが伸びをしながら彼らに近寄る。

「意外性か。お前の存在もそうなのか? マキナ」

 カインにそうやって何の気なしに言われ、マキナは数秒黙ったのち、意地が悪い顔で笑った。

「それは皮肉かい?」

「いや。不快にさせたなら悪い。俺が言いたいのは、実の娘を危険な荒野に放ってまで、手札として扱っているのか、という事だ」

「ああ。てっきり意外性のために生み出された人間なのかって意味かと思ったよ」

 マキナはこらえ切れないという様子でけらけらと笑っているが、傍らのクリスティからは不満げな目線を送られた。旅商団と関わるうち、誰かの軽口が移ってしまっただろうか。


「私は生まれながらに私だよ。身体感覚が鋭すぎて、〝雨〟を予測できる私。服薬量が尋常じゃない私。皇族や家臣団のやっかみを避けるためもあって、幼い頃から各地の視察に駆り出されてた。でも、お陰でいろいろ分かって来た事もある」

「そうか。例えばどんな?」

「そうだね……昔から兄上の、〝雨〟の研究にも同行していたのだけどね。この世界で海路が発達しなかったのは、大陸からある程度距離を取ると、神剣とその欠片が効力を失ってしまうからだ。この船に乗って実証実験もしたよ。〝雨〟に閉ざされた土地から逃げて、あの水平線の向こうを目指した人々は、どこへも辿り着かずに生きて戻らなかった、という記録が多くある。だから今もこうして、陸地すれすれを進行しているけどね。ま、たとえ外の世界に行き着いた所で、神剣が与えられてなければ〝雨〟で溶けて何も無くなっちゃってるだろうけど」

 マキナはやや芝居じみた動きで、肩をすくませる。ふたりにとっても、海上に関する知識は初めて知る事だ。恐らく、大陸の人間でも知る者は少ないだろう。


「それって……逃がさないように、しているみたい」

 クリスティが水平線を眺めたまま、ぼそりと呟いた。彼女が右手に装着している、神剣の欠片に目が行く。普段は肌から離して、やむなく〝雨〟の中を進む時だけ、使用するようにと言い付けている。原理は〈剣の神子〉と同じだが、毎回使う訳では無いので、残りの寿命はそう減っていないはず。とはいえ、いつ『魂』の寿命を使いきってしまうかと思うと気が気でない。それでも、彼女の力なくては、これまでの逃避行は成り得なかったのだ。


「そうだね。この世界は分からない事だらけだよ。〝雨〟、聖者ユリアス、聖地。……聖地といえば、小さい頃にレ・ユエ・ユアンに事あるんだよね。さっきの、研究に同行した一環でさ」

 これには、カイン達もさすがに驚いた。聖地レ・ユエ・ユアンは、法王領所属の高位聖職者しか入る事を許されていない。四方に聳える国々が聖地への入口を護っている。そうでなくても、常に〝雨〟が降るという土地に、勇んで入ろうとする者は居ない。

 マキナが入ったというのは、恐らくは帝国が法王領の許可を取らず、勝手にやった事なのだろう。

「途中までは〝雨〟しかなくて暗いのだけど、途中から何か、明るいふわふわした空間が見えた……気がしたんだ。でも、すぐに消えてさ。幻覚なのか、それか神様のお力なのかもね」

 マキナはあっけらかんと笑う。カインは呆れて苦虫を潰したような顔をし、クリスティは興味津々で感嘆の声を上げた。


 その時、船の陸地側を見ていた団員たちが俄かに騒がしくなる。三人が小首を傾げていると、すぐに甲板へロウがどたばたと駆け込んできた。団の統括を担う彼は、出発前から引っ張りだこで、対応に追われていた筈だ。

「姐さん! 東の方角で、国が〝雨〟にやられてる!」

 ロウの言葉を聞いて、マキナが数秒固まったのち、甲板の陸側方面に一目散に駆け寄る。

「カイン!」

 マキナのその叫びは興奮するものではなく、危機を訴えるものだった。弾かれたようにカインも彼女の傍に駆け付けると、眼前に広がった光景に言葉を失った。

「……これは……」

 まだ遠方とはいえ、現在見えるだけでも地獄のような有様だった。溶け残った遺骸や、"雨"に侵食されて崩れた建築物が、あちらこちらに広がっていた。〝雨〟を浄化できず、人や街が溶かされた後と思われた。

 

 このような事態を引き起こす、思い当たる理由は一つ。《神子殺し》だ。

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