第22話 深夜の来訪

 思いもよらない人物との謁見を終えて、マキナ達が手配してくれたアダマス交易区の宿まで戻ったカイン達。寝支度も整え終わったくらいの夜更けに、コンコン、と扉が叩かれた。


「やあ、こんばんは。ちょっと混ざってもいいかな?」

「………………マキナ。……何のつもりだ」


 カインはため息をつく。わざわざ剣片手に開いたのが間抜けに思えた。この皇女は本当に悪戯好きというか、何というか。


「お話したいなと思って」

 こちらは許可を出していないが、彼女は勝手にクリスティの寝台に乗っかかってほほ笑んだ。

「ロウは?」

「いないよ。彼にも仕事があるから」

 カインに答えながら、やや眠たげなクリスティと挨拶を交わしている。クリスティの方は、それほど嫌がるような態度は見せていない。


「ところで〝雨〟って、どうして降ってきたか考えた事ある?」


 来るなり突拍子もない質問を投げてくるマキナ。意図が分かりかねてカインは黙る。だが答えを求めているわけではないようで、そのまま彼女自身が語り出す。


聖主教の教えだと、神が与えた世界への試練、という考えらしい。それで、〈剣の神子〉になって使命を全うする事は、神に近付くことが出来る行いだから大変栄誉、なんだって。つまり、物理的には何の意味もないよね。だから帝国の人は、〝雨〟に対抗できる別の手段がないか、模索してきたの」

 マキナの話に、クリスティは意外にも興味深そうに聞いている。カインは正直,

興味を持てない内容だった。思うにこの大陸に住まう人々は、あまり〝雨〟の事を考えない様にしている、といった方が近い。考えても嘆いても、状況が変わらず救われないからだ。聖ユリアスが現れて、神剣と〈剣の神子〉による浄化が確立してから、実に一〇〇〇年。人々はその教えを支えにどうにか生きてきたのだ。


法王領ラネージュの彼らは、その教えで彷徨う心を静める事で、人々を救う事が出来ると考えているようだけど、本当にそうかな。五年ごとに一人の命を犠牲にして、そのお陰で三十年ちょっと生きさせて貰って、それで? 大勢が生きたって何の進歩もないよ。だから、帝国は違う手段で、進もうとしている」

 マキナの口調は、いつの間にか平時の軽薄さは鳴りを潜め、真剣そのものだった。カインからすれば彼女の言い分は、先進国である帝国民ならではの考えではある。ほとんどの民は生きるだけでも精一杯で、〝雨〟や〈剣の神子〉をどうこうしようとは考えられないだろう。


「帝国は、〝雨〟の研究を進めてる」

「〝雨〟の、研究?」

 カインが返事をする前に、クリスティが食いついて聞き返した。よほど好奇心が疼いたのだろう。

「お、興味ある? 私の兄で、第一皇子で、次代皇帝。フォルクハイム・エルムサリエが研究機関を設立したんだ。いつか〈剣の神子〉以外の方法で〝雨〟を解消したい、ってね」

 〝雨〟の研究をしている機関の存在など、初めて聞いたことだ。一方、フォルクハイムの名の方は聞き覚えがある。皇帝に似て厳格な人柄の皇子だと。するとマキナが、まるで心の内を見透かしたようにこちらへ振り向いた。


「カイン、この前ニル=ミヨルでシャーロットに『もがいて生きろ』って言っていたけど、自分以外の誰かのために、自分が縛り付けられて殺されると思ったら、死にたくならない? 〈剣の神子〉ってきっとそういう心境だよ。何か他の方法がある、って言っていたのはどういう意図だったの? 聞いておきたいな」

 彼女の有無を言わさぬ口調に多少押されるが、カインは大人しく考えを口にした。

「……俺はどんな境遇であれ、自ら死のうとはしない。死にたいからといって、そのために周囲が巻き込まれて、〝雨〟に殺される事の方が許容できない。シャーロットの場合は、生きられないのではなくて、生きたないのだから、その気持ちをどう処理するかの問題だろう」

 なるほど、という呟きがマキナから漏れるが、そのまま続ける。


「人間は誰かの為に死ぬのではない。誰かの為に生きられるだけだ。少なくとも、俺の知る〈剣の神子〉はそう言っていた」

 カインはそう語りながら、ちら、とクリスティの背中へ視線を投げた。クリスティの桃色の髪が、記憶の中のユジェの姿と被る。親子だから似ていて当然だが、カインは今でもまだ、クリスティを見て時々、ユジェを思い出してしまう。向けられた視線に気づいたのか、心配そうにクリスティがこちらを見ていたので、何でもない、と首を軽く振って示した。


「私は……」

 カインの心境を知ってか知らずか、クリスティも何か言いかけたが、俯いてしまう。マキナが目敏く気付いて、顔を覗き込んだ。


「クリスティは、どうなの? いつ〈剣の神子〉になるかも知れない君にとっては、そうなった時、どうしたいのかな?」

 すると、クリスティは考えがまとまったのか、決意したように顔を上げた。


「私は……。他人の命を奪ってでも、生きる。だから……。〈剣の神子〉になっても、生きる事は、諦めたくない……」

 カインは、クリスティの答えに多少なりとも驚きを感じていた。クリスティの生への執着が強い事には、納得する部分があった。三年間その命を狙われて、手段を選ばず生き延びてきた彼女なら当然だろう。ただ〈剣の神子〉になったとしても生きる方法を探したい、という意思を持っていた事は、予想外ではあった。それこそがクリスティが〝雨〟の研究にひときわ興味を持った理由なのだろう。いつか〈剣の神子〉になってしまっても助かる手段があるのなら、知りたいのだと。カイン自身もまた、民たちと同様にそこまで考えてやれていなかった。


 クリスティの答えには、マキナも目を見開いていたが、やがて平時通りの掴みどころのない、不敵な笑みを浮かべる。

「そっか。期待通りだよ、話して良かった。あ、もし良ければ、旅をひと段落させたら帝国民になる事も検討してみてね」

 そのまま驚くような提案をされる。クリスティは声こそ出ないが驚いた表情で、だが嬉しそうにして頷いた。


 もしも皇帝の言葉通りになるなら、砂漠への護衛任務を完遂すれば、《首喰い》に追われる事も無くなるはず。全くあり得ない話ではない。カインは、ちら、と側のクリスティを見る。〈剣の神子〉になっても生きる手段。彼女の両親に代わって、その時この子の為に出来る事が何なのか、考えなければならない。


 すると、またも見透かすようにマキナがこちらを振り向き、カインにだけ聞こえる声量で囁く。

「さっきの話。君は心が強いから今、死なずに済んでるだけで、いつか死にたくなるような事もあるかもしれない。その時、どうするの? やっぱり絶対に死のうとはしない?」

「……そんなこと、そうなってみるまで分かるものか」

 複雑に渦巻く感情は表には出さず、カインの喉奥を通って落ちていった。

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