第19話 南の大国、エルムサリエ帝国

 昨晩、王城で起きた出来事の詳細については、カインの口からマキナとロウに伝えられた。遅れて駆け付けた彼らは、〝黒鬼士〟とあの白い男とは、何故かすれ違わなかったという。

 旅商団は数日間滞在をしていたが、シャーロットや街の人々に感謝されつつ、ニル=ミヨルを後にする。


 そしてついに、マキナ達の目的地である、エルムサリエ帝国へ到着した。エルムサリエ帝国は南端に位置しており、大陸南部全域に影響力を持つ大国だ。


「大きい……!」

 クリスティは、煉瓦造りの建物がひしめく帝国の外観を眺めて呟いた。普段は大人しい彼女が、珍しく興奮しているようだ。エルムサリエ帝国は、神剣と〈剣の神子〉を三つ所持しており、その分の領地を広大に持っている。これらはそれぞれ三つの区画に分けて管理されている。

 また、大陸でもっとも検問が厳しい国という一面もある。最も手前に位置するアダマス交易区までは、行商人や他国の人間が入国可能だが、更に後方のケラウ居住区は帝国民しか入れず、最奥のアイギス宮区に至っては皇族親類以外は立ち入り出来ない。追われる身のカイン達は顔が割れてしまう危険から、これまで帝国には近付かないようにしていた程だ。


 入国手続きは帝国民である団員たちに任せていたが、手続きが終わったとの報告があった。どうやら旅商団としてはここで解散になるようで、団員たちは運んできた積み荷を降ろして商人に引き渡したり、兵士達に何か指示を出している様子が見て取れた。


「お待たせ! 君らの分も手続きは済ませてくれたよ。じゃあアダマス交易区に行こうか」

 ややあって、マキナとロウがこちらへやって来る。

「有り難いが……俺達の護衛任務はどこまでだ? アダマスか?」

「ああ、そういえばお願いしていたね。実は、アダマス交易区で会ってほしい人が居るんだよ。その人に会ってもらってから諸々相談、報酬渡す、という形にしてもいい?」

 相変わらず飄々と物事を通そうとするマキナだが、ここはカインは頷いた。この旅商団との同行では神剣『アルマス』の情報は得られなかったので、報酬をさっさと受け取って出立したい。それに、マキナの言う〝会ってほしい人物〟に何となく予感がついている。

「ありがとう。じゃあ、アダマス市街に行こう。ついでに今後の旅に必要なものも買っておくといい」

 マキナが長い赤毛をなびかせて、眼前に広がる帝国の街へと翻った。



 アダマス交易区の市街は、流石に南部一の大国というだけあり、これまでに見たことのない程の品揃えだった。賑わいぶりも相当で、人の波のなかで道を進むのに苦労する程である。


「矢……安い。あ、お菓子……」

 あちこち見回しては忙しそうなクリスティを見て、前を歩くロウが軽快に笑った。


「姫様は初めてなんだ? 大きい街だよなァ。オレも最初に来たときは驚いたよ」

 ふたりのやり取りが耳に入って、カインは少し違和感を感じた。割り込むようにロウに問う。

「『最初に来た時』……お前はここの出身ではないのか?」

 ロウは少しだけ逡巡したが、口を開く。

「あー……オレは捨て子なんだよねェ。姐さんと縁があって知り合って、帝国に来て『誓い』を立ててから帝国民になったんだ」

 そう話しながら、帝国民の『誓い』の証である、腕に入った炎柄の刺青を見せてくる。


 帝国民は慣習的に、十になる歳に〝一生を帝国の為に尽くし、戦う事〟を誓約し、その意を込めた刺青を入れる。彼らは武芸の腕を磨き、長い年月を敵対し続けている北部の大国・法王領ラ・ネージュと何時でも戦えるよう、備えることを義務付けられる。『誓い』は基本的に帝国出身の人間しか受けられない筈だが、例外もあるとは聞く。ロウもそういった一人で、マキナが取り持ってくれたのだという。


 一行は大通りの人込みをどうにか抜けて、ケラウ居住区の入場門付近に辿り着いた。マキナの案内に従って進むと、明らかに住民たちの使用するものではない、格式高い造りの施設があった。足を踏み入れてからも、室内に施された装飾の荘厳さに自然と口数は少なくなる。

 

 長い回廊を進みきって、華美な装飾の施された扉を開いた。その先に見えたのは、広々とした空間の奥に、精悍な顔付ながら皺を多く湛えた老齢の男が、玉座に腰かけていた姿だった。

 老齢の男の傍に、従者と思しき人間が控えている。隠すつもりのない殺意が垂れ流しになっていて、護衛か殺しを担う人間かどちらかだろうと察し、カインも剣の持ち手に腕を降ろしておいた。


「父上。お待たせしました」

「ああ」


 マキナがそう伝えつつ簡易的な敬礼を行う。老齢の男は、返事はするが瞬きひとつせずに、カインを凝視している。男は、マキナと同じ燃えるような赤毛を、背中まで流している。彼らは顔つきもよく似ていた。


「陛下、ご無沙汰しておりました」

「うむ。変わりないな」

 ロウもあまり整っていない敬礼をしているが、男は全く意に介さず、掌を向けて応えている。陛下、という呼び名を聞いて、カインは薄々していた予感が当たっていたことを察した。傍でクリスティが不安そうにしているが、今は予断を許さず、声を掛けてやれそうに無かった。


「貴様らは初めてだな。我はエルムサリエ帝国皇帝、ハイデンベルグ・エルムサリエだ」

 老熟した赤毛の男はそう言った。彼はこのエルムサリエ帝国を収める、現皇帝と名乗ったのだった。



「……カインと申します。この子はクリスティ」

 流石のカインも、思わぬ場所で出会った相手に驚きを隠せない。礼儀も何もないが、今ここで突然斬られても可笑しくない相手であるので、立位のままだ。何せ、〝血の皇帝〟などという物騒な渾名を持つことで知られていて、得体のしれない人物なのだ。

 そしてハイデンベルグを『父上』と呼んだマキナは、という事になる。ニル=ミヨルの騎士達は、それを知っていて、マキナに対してあのような慇懃な態度を見せていたのだ。鮮烈な赤毛は、帝国皇族の象徴的な外見のひとつとして知られており、カインとしてもまさかという想いながら、薄々に予想はしていた事だった。


「そう警戒するな。今此処で取って食ったりはせぬ。アイギス宮区には貴様らは入ることが出来ぬし、我が娘の顔を見るついでにアダマス交易区に出てきたのだ」

 ハイデンベルグ帝はにやり、と笑う。藍色の瞳はぎょろりとこちらを見つめていて、娘のマキナと同じような核心を見透かされそうな凄みがある。


「話は娘から聞いているぞ、カイン。そして、クリスティ。ここまで、娘とその旅商団に対する護衛、ご苦労だった。報酬を渡しておこう」

 ハイデンベルグが片手を上げ合図をすると、従者のひとりが包みを手渡してくる。カインは受け取ると、その重みで想定より報酬が多いことに気が付く。


「……良いのですか? 有難うございます」

「なに、当然の事だ。それに、我からも貴様に聞きたい話があるのだ。しばし付き合え」

 玉座にて頬杖をつきながら、ハイデンベルグは口の端を吊り上げた。

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