第9話 金狼
翌早朝、赤毛の女性が仕切る旅商団一行は、リットゥを発った。マリウス河沿いを南下し、ラダン湖という巨大な湖を有する集落である、ハラ・ダヌを目指して進む。大陸は〝雨〟の影響で殆ど草木が無く、北は砂漠、南は高温多湿ながら集落以外は枯れ地となっている。その為、マリウス河やラダン湖は宗教的にも風土的にも信仰が篤い。
カイン達が同行している旅商団の人員は十名程で、やや小規模といえた。騾馬も同数程度を従え、彼らに積み荷を運んでもらう。荷が多いので、人間達は徒歩でその横を進んでいく。先頭を進む騾馬には昨日話しかけた、金髪の青年が跨っており、団の進行を担っているようだ。
赤毛の女性は、マキナと名乗った。旅商団に同行しているにしてはやはり浮世離れしており、今日もカインの横を歩いて興味津々に彼らを観察している。その様子を先頭の騾馬の上で、金髪の青年が心配そうに何度も振り返っている。
「……心配している様だが」
「え? 誰が? あっ、ロウの事か! あいつは過保護だから心配しないで」
カインが苦言を呈しても意に介さず、マキナは金髪の青年に呑気に手を振る。ロウという名らしい、金髪の彼は心底うんざりした顔を見せており、少し同情した。
「そういえば、この団の神子は誰だ? それらしい人間の姿が見えん。兵士の数自体も少ない」
話ついでにマキナに尋ねたところ、彼女は、ぱっと顔を明るくした。何故か嬉しそうな様子だ。
神子が居ればその周囲を護衛が複数人で固めているのが普通だが、この団はそもそも
「鋭いね! 実は、この団の神子はさ……」
マキナが答えようとした所で、旅商団の背後からどすどすと跫音がして彼女は口を噤んだ。騾馬に乗った一群で襤褸切れを繋げた衣服を纏った、見るからに盗賊という風貌。彼らが何か雄たけびを上げながら接近してきた。旅商団の団員たちはそれぞれ武器を手に持ち、警戒を強める。
こちらの騾馬たちの列に横付けすると、彼らは笑いながら馬から降りてくる。マキナが賊徒に一歩近づいて声を掛けた。
「やあ、欲しいものは何だい? できれば穏便に願いたい所だが」
マキナは交渉をするつもりだったが、あちら側にそのつもりは無いようだった。すぐさま盗賊のひとりが彼女に向け、斧を振るってきたところに、ロウが割り込んで受け止めた。
短剣二本を交差させて、器用に防御の態勢を取ったようだ。そもそも彼は先頭に居たはずなのに、何時の間にマキナの傍まで近寄って来たのか。ロウは装飾品を多く身に着けていて商人のように見えたので、端で見ていたカインはその点を含めて意外に感じた。
とはいえ、流石に斧の重さを短剣だけで引き受け続けるのは辛いだろう。カインが剣を抜き、下から振り上げて斧を払ってやる。盗賊はよろめき下がって、ロウは後退してマキナのすぐ前に戻った。
「あんた、助かったぜ」
「ああ。」
ロウからの謝辞を簡単に返して、剣を構えなおした。盗賊たちは猛り、ばらばらに旅商団に襲い掛かってきた。先ほどの男も斧を振り上げてきたが、ロウが上手く受け止めてから斬り伏せた。カインはその隙に視線を回し、周囲を見やる。こちらの団の人員は危なげなく応戦しているが、少数のため有利とは言い難い状況だった。
カインは団員が敵と組み合っている場に駆け付けると、衣服を翻すような軽さで、盗賊の右腕を斬り捨てた。痛みに喚き叫ぶ盗賊をまるきり無視し、すたすたと歩いて別の団員の下へ向かう。
次の相手にはこちらが接近することに気付かれたものの、力任せに大きく斧を振り上げている。大振りな斧を避ける事は難しくない。カインは軽く身をかがめてやり過ごすと、横腹に剣を突き刺して抜いた。ぎゃあ、という悲鳴を聞きながら刃にこびり付く血を払いつつ、すでに視線は、別の仲間が戦っている場に向いている。そして、危ないと判断した場所へ。
繰り返して相手を次々に斬り伏せていく。カインの淡々とした処理に、団員たちは呆気に取られていたが、盗賊達の方は対照的に、徐々に怯えの色に染まっていく。
カインが行く影を追うように、クリスティが走り抜けていく。彼女はに斬り捨てられた、痛みに喘ぐ盗賊の姿を見たが、その瞳は少女とは思えぬ冷たさを持っていた。
やがて趨勢がこちらに傾いたと思ったとき、戦場に突如、マキナの高い声が響いた。
「みんな、通りの〝雨〟が来るよ! ここを離れる!」
それを聞いてカインとクリスティは驚き、同時にぴたりと足を止めた。それというのも、確かに少しは雲はあるが、〝雨〟が降るとは思えない晴天であったからだ。対して団員たちはすぐに戦いをやめ、多少強引に騾馬に乗って手綱を引いていた。その疑いのない動きに困惑しながらも、カイン達もそれに倣って走ったが、すぐ横から声がかかった。
「姫さんはこっちだァ! 乗せるぞ!」
騾馬に乗ったロウが、こちらへ手を差し伸べていた。カインは頷くと、クリスティを持ち上げて騾馬に乗せた。騾馬の方も積み荷が重くて長くは走れないだろうから、カインはそのままロウ達の傍を走った。取り残された盗賊はこちらを追ってこなかった。マキナの〝雨〟の話は妄言だと思っているだろうし、大勢が手傷を負わされている状況で、積み荷の強奪は難しいと感じていたのだろう。
しばらく旅商団全体で進んで、盗賊達の姿がぼやける程度に距離が離れた。騾馬たちが疲れて足が重くなり、自然と団全体が歩を止める。
そのとき、信じがたい事に、赤雲が彼方の頭上に広がるのが見えた。それは取り残された盗賊達の影のうえに広がり、ついに雲から水滴が吐き出された。盗賊達の酷い悲鳴が聞こえて、団員たちが各々顔を歪ませる。
「……ここまで来れば大丈夫。あの雲は西に流れるから、此方へは来ない筈だよ」
マキナが騾馬の上から声を掛けた。
「おい、どういう事だ。なぜ〝雨〟が降る事が分かる」
カインは怒りをぶつける様に、粗暴に問い質した。このマキナという女性は褐色肌なので、浄化が出来る神子ではない。もちろん神子であっても、〝雨〟がいつ降るかなど予測出来ない。それなのに彼女は、〝雨〟が降る瞬間を知っていたように指示していた。というよりあれは、赤雲の無い状況からの予言といえるだろう。
無言のまま、しばらくカインとマキナは視線をぶつけ合った。マキナの眉尻が少し下がってから、騾馬を降りてきた。しばし正面から見つめ合って、マキナがこれまでになく真剣な顔で口火を切る。
「例えば……喉が渇いたら、喉の中が痒くなるだろう? 怪我をしたら、大体このくらいの傷かな、と予想がつくよね。私はそれが、あらゆる物に対して働く。周囲の誰が何を話し聞いていて、どんな風に思っていて、誰の財布を盗もうと尻を浮かしていて、とかね。感覚や五感、特に触感が人よりすごく敏感なんだ」
実に信じがたい話だったが、マキナの藍色の瞳は少しもブレず、カインの瞳を貫くように見つめていた。
「同じ理屈で、〝雨〟がいつごろ降ってくるか分かる。この感覚の過敏さを利用して、〝雨〟が降る前にそれを避ける事が出来る。戦う前に君に聞かれた質問の答えになるが……うちの旅商団は、私のこの体質で〝雨〟を避けているから、神子を必要としていない。だから欠片持ちの神子が居ない」
驚くような内容の弁明。カインは信じなかった。そのような力を持つ例を聞いた試しがない。ただ確かに先ほどは、〝雨〟が予想できている様に見えた。
「お前の言う様な力があったとしても、旅商団の旅は命懸けだ。そんな得体の知れない力をアテに、この団全員が従って動いているのか。一体、お前は何者だ?」
カインからの指摘に対して、マキナは目を見開いて驚いてから、今度は不敵に笑って見せた。
「教えてあげてもいいけど……。君たち、この団でハラ・ダヌ以降も同行しないかい? 先ほど見せた戦いぶり、この団に欲しい戦力だ。見ての通り、人手は足りないし、最近はこのあたりも治安が悪い。護衛を続けてくれるなら、こちらも情報を明かそう」
カインはその提案について面食らうようにしてから、しばし思慮したが、首を横に振る。
「悪いが、今は無理だ。ハラ・ダヌ以降、立ち寄る場所が在る」
カインは今、別の目的がある。受け入れられる状況ではなかった。マキナの秘密は分からずじまいになってしまうが、諦める他ない。
「そうか、残念だなぁ」
マキナは本当に残念そうに、大袈裟に悲しんで見せた。そして、旅商団全体に進むように指示すると、盗賊に襲われる前と同じように進み始めた。カインとクリスティも、その進みに合わせて歩いていく。
指示をした後立ったまま残っているマキナのもとに、ロウが騾馬から屈み気味に、忍び声で話しかける。
「姐さァん。あいつ“〝金狼〟でしょう? 抱え込んで何するつもりですか?」
「そうだね。今後、北への視察もあるから。あの腕を活かして貰いたい。まあ、ちょっと考えてみるよ」
マキナは、ロウを見上げながらにっこり笑って見せた。
(こりゃ、絶対に諦めないやつだなァ……)
ロウは心の内でそうごちて、気付かれない様にため息をつく。さっさと歩いていってしまったマキナの後を追いかけて、騾馬の手綱を引いた。
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