第4話 ディル

 この日ディルは、町長の自宅へと向かっていた。要塞とは離れて構えられている邸宅は、管理行政能力を集約した官府も兼ねている。


「失礼いたします。遅くなりました」

 ディルが応接室の扉を開けると、すでに町長と来客相手が掛けて、親し気に話していたところだった。来客相手の男が視線をこちらへ向ける。吸い込まれるような赤い瞳。

「おお! 貴方が噂の、英雄と名高いディル殿ですか。私はコラーダのオラドと申します」

 赤眼の男は自ら椅子を立って、ディルのもとへ握手を求めに近づいてきた。隣国・コラーダの民の特徴である赤眼に、白い肌、慣習通りの白い民族衣装を纏った男。手首には、神剣の欠片を取り付ける為の腕輪を装着している。男が座っていた席の傍らに、同じ衣装を身にまとった護衛の戦士らしき者が控え、厳しい目線を向けている。このオラドという神子は、隣町コラーダの交渉役だ。


 握手に応じていると、彼の背後からアルマスの町長が椅子に腰掛けたまま、気さくに声をかけた。

「はは。やはりディルの事はご存じでしたか」

「勿論です。ラフェトゥラ大戦の英雄、南部でその名を知らぬ者はおらぬでしょう」

 オラドという男は、小鳥が鳴くようにすらすらと誉め言葉を並べた。心からの言葉とは思えない。建前と本音を使い分けている様に見え、ディルが苦手に思う人柄だった。〝ラフェトゥラ大戦の英雄〟の呼び名は光栄だが、大戦以降、こういった扱いを偶に受ける。見世物みたいだと思ってしまう。話半分に流したところで椅子に付いた。


「同盟調印に関して、内容を含め変更は無しだ。先日話した通りで問題ない」

 遅れて現れたディルに町長が補足をしてくれ、ディルが頷く。アルマスに限らず、〈剣の神子〉を守る為の対策については、どの街でも頭を悩ませている。


 特に十年前に起きた、ラフェトゥラ大戦。ラフェトゥラとは、このアルマスの在る大陸東端から、さらに東の海上に位置する島国だ。こちらの大陸で国交をまともに持っている国は存在しなかったが、十年前に突如大軍で上陸し、南部各地に侵攻した。それを発端に南部戦線で繰り広げられた防衛作戦のことを、ラフェトゥラ大戦と呼ぶ。この戦いでアルマスの兵達、ひいてはディルやレオが筆頭として目覚ましい活躍を見せた。ディルは功績を認められて騎士隊長の位を得たのだ。


 最近になって、ラフェトゥラ大戦時に肩を並べて戦った縁もあり、コラーダから同盟締結の申し出があった。単純な防衛力強化という面だけでなく、食料などの資源を互いに補う事が狙いだ。数度のやり取りを経ていよいよ同盟を成立させる運びとなっている。

「後は、調印式を待つばかりです」

 オラドが、しなやかな喋りを投げかけてくる。今回は最終確認だけで、自身が来る前に大体の話が終わっていたようだ。ディルは机仕事は得意ではないので、オラドの言葉に内心ほっとしていた。町長はそれを知ってか知らずか、ふと窓の外を眺めて不安そうに一言。


「〝雨〟が近いようだ。何事も無ければよいが……」

 それを聞いて、ディルとオラドも窓の外を見つめる。昨日〝雨〟の相手をしたばかりだが、運悪く赤雲が続いてしまいそうな空模様だ。


「大丈夫ですよ。ディル殿もいらっしゃいますし、大戦後は互いに国内で大きな諍いもありません。調印を早く終わらせて、今後の戦備や食料交易についても話を進めていきたい所ですね」

 オラドが場を取り持ち、和やかな雰囲気でこの日の会議は終了した。コラーダの使者団を見送って、ディルもまた帰路に就いた。




 同盟調印式を明日に控えた、宵刻。任務を終え、『神子の間』に戻り、家族で寝台に潜ったところで、妻ユジェが急に起き出した。


「そうだ、調印式は晴れ舞台よね。外見もきちんと整えないといけなかったわ!」

「う、うん……? そうか?」

 ディルは見た目に無頓着だが、礼儀と習慣を重んじるユジェには放っておけなかったのだろう。鎧の汚れを落とし、古くなった鎧内の内着を取り換え、靴の欠けを鑢で整える。何故かいつも以上に元気だ。

 妻が活き活きとしている姿を見られるのは嬉しく思うが、明日も早い。〝雨〟が降る前にメアリとレオを見送って、この部屋で騎士の任務を終えてから、調印式に臨まなければならない。


「ユジェ、そこそこで良いよ。俺はあくまでお飾りと警護だから」

「そう? でも何か気になっちゃって……」

 ユジェがそわそわしているのを見て、自分以上に緊張しているのかもしれないと感じ、ディルは苦笑した。


「大丈夫だ。それよりもう寝よう。休める時に休んでおかないとな」

 行き所を失って立ったままのユジェの手を引くが、彼女は頷きながらも動こうとしない。

「どうした?」

「あの。……不安にさせてごめんね。いつその時が来てもいいように、出来ることはやっておきたいの」

 珍しく弱気な態度でそう言われた瞬間、ディルは言葉を失った。


 つねに明るい態度を崩さず、周りの事を第一に考えているユジェ。だが、命の残りを考えれば本人も不安なはず。ぽつぽつと零し出した。

「ディルは、格好に関することは本当に苦手よね。でも大丈夫よ。メアリにちゃんと伝授してあるから。やっぱり私の娘だからその辺りの勘は冴えてるわよね。それとお料理も! あの子甘い物が好きだから、すぐお料理を甘くしちゃうのよ。それだけは注意よ。でもメアリがいれば、貴方は何にも心配ないわ。安心して」

「ああ。分かってる」

 

 引こうとした手を掴んだまま、ディルは肩を震わせる。明るく最期を迎えたいというユジェの気持ちを尊重して、悲しい顔を見せない様に心がけている。だが、いざその現実を目の前にして、ディルは涙を堪え切れなかった。


「ありがとうね。私すごく幸せよ、ディル。本当に出会えて良かった。感謝してるわ」

「っ……」

 果たしていつその日が訪れるのかは、誰にも分からない。先代の〈剣の神子〉は、剣を握りながら静かに身体を崩して亡くなっていった。ユジェもきっとそうなるのだろう。出来れば、苦しくないように休ませてやりたいと思う。


「……もう、ディル。泣かないで。何も悲しい事ないわよ! 大丈夫よ」

「ああ。そうだな……」

 今夜は悲観的になってしまったのか、涙はなかなか止まらない。ユジェは笑いながら、ディルの背をばしん、と叩いて笑った。


 先に寝台に潜って寝ているメアリから、すぅすぅと静かな寝息が聞こえる。ディルは、何よりも大事な家族を失うその時が、少しでも長引くように。祈るしかなかった。

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