scene(10,Ⅲ);
腕が軋んでいる。強がってみせてはいるが、どうしたってこちらが不利なことは見抜かれているだろう。スクラトフは声高に嘲笑った。
「私とやり合うつもりか、よりによって
分かりやすい嘲りをもらって、クロエは拳銃を一度下げた。
「そう。オレは弱いし、愚かだよ。だけど大事なモノを守るためには、立ち向かわなくちゃいけねえ。今はそういう時なんだ」
クロエはエアブーツを起動させて空噴きすると、ほんの少し浮き上がる。相対するスクラトフは、顎を持ち上げ、馬鹿にするように見下ろしてから口を開く。
「憐れだな。他人のために命を散らすのか? 民衆はいつでも怯え、逃げ惑い、誰かを頼って事実から目を背けている。お前が死んでも同じように忘れられるだけだ。だからこそ私は、二五〇年もの間、彼らに代わって【塔】を率いてきたのだ」
スクラトフは虫でも眺めているかのような、冷え切った視線を向けてきた。クロエにはそれが可笑しかった。
「目を背けて、か……確かに、オレもそうだったよ。二五〇年もこんな、バカでかい城に籠ってたんだから知らねえだろ? 〝民衆〟が何を考えて、どうやって生きて、悲しみを乗り越えてきたかって……」
喋っているうち、自然と視線が下がっていった。進むことも戻ることもできない不条理の中で、必死にもがいて、多くの人に助けてもらった。これまで出会った誰もが、境遇は違えど、血反吐を吐きながらも懸命に生きようとしていた。その光景が次々と脳裏に浮かんだ。
「オレはもう誰も、死なせたくねえ奴ばっかりなんだよ!」
クロエは叫び、エアブーツを最大放出した。地面から僅かに浮いた位置を滑空し、伸びやかに滑っていく。スクラトフは何かを探るような表情をしながら、低く腰を落として待ち構えている。
当然、このまま殴りかかっても勝ち目はない。クロエは先ほど、ノフィアの亡骸から拝借した拳銃を右手に握り込んでいた。大口径弾を扱い高威力・高貫通力を誇る拳銃だ。それを見破ったスクラトフは合点がいったという風に笑い、余裕の表情に移り変わった。受け止めきれる算段が付いているのだろう。
クロエはスクラトフの間合いに入る直前、拳銃を右手に構えた。スクラトフは躱そうとはせず、無理やりクロエの間合いに割り込むと、拳銃を掴み取った。
だがその瞬間、クロエは拳銃を手放して棄て、ブーツの噴射方向を調整して上下反転した。地面に向かって頭を向け、手をつく。スクラトフの身体に沿って逆立ちするようにして、ブーツで滑空していた勢いそのまま、側面の頭脳部にめり込ませた。一方、スクラトフが奪った拳銃には、弾丸が入っていなかった。
「おのれ!」
スクラトフは怒りの形相を浮かべ、クロエの両脚を掴んで地面に叩きつけた。ぶつけられた左肩の骨が破壊された音が聞こえる。それでも噴射中のブーツの勢いがあったお陰で衝撃が和らぎ、残った右腕だけを支えに後転して、空中へ浮き上がって退避した。
「……ぐッ⁉ ふっ、ああぁ‼ ぐあああ!」
突然、スクラトフが苦しみだした。クロエは満身創痍ながら、空中から不敵に嗤っている。スクラトフは額を押さえたまま、ふらふらと覚束ない動きをしてから、地面に四つん這いになって嘔吐した。
「ははっ、ざまあねぇ。てめェが手下に売らせてた薬、試したことないのか?」
スクラトフの頭脳部に挿さっていたのは、
しかもノフィアの死体が持っていた、下層階仕様の薬だ。薬物耐性のない機械の身体は、これ以上ないほど相性最悪だろう。
クロエが嘲笑しているところへ、ぼろぼろになった身体を支えるようにしてヘレンとサティが現れる。ヘレンは全く眼光が衰えていないが血だらけだし、サティは腹を押さえて何とか立っているが、今にも倒れてしまいそうだった。
「……どうやって殺りたい?」
「頭を踏み潰してもいいならやってやるわよ」
「潰すのでしたら、拳銃を……お借りしたいです。脳天に、何発か……入れてから、でないと。潰しにくいでしょう」
物騒な会議を少しだけ楽し気に行う三人。
会話を聞いてしまったのか、スクラトフが地の上で呻いた。四肢が痙攣しており、立ち上がることもままならないようだ。
「……あぁあ、やめ、やめてくれ! ゲホッ、しに、たくッ、な……ぐっ、おえっ……」
先ほどまで尊大に振舞っていた男の必死の訴えに、クロエ達は顔を見合わせた。するとヘレンが屈んで、地に伏して呻いているスクラトフに向かって語りかけた。
「死にたくないわよね? 私もそう、姉さんもそう。皆そうだったわ、このクソ野郎。……その頭の中の伝達機能で戦いを止めるように指示しなさい。そうしたら助けてあげるわ」
スクラトフはほんの小さく頷いた。吐き気は止まらないようだが、何かを行っているような仕草はある。
しばらくすると、〈フォロ・ディ・スクラノ〉内で続いていた戦闘音が徐々に収まっていく。隣に建つ統合参謀本部でも、兵士達が武器を降ろしている姿を確認できた。
「……兵たちが、拘束されているのが、見えますね……」
サティが辛そうに息継ぎをしながら言った。
「……伝達、した……」
「そうみたいね、ご苦労様。いい子ね」
スクラトフの弱々しい声での報告に対し、ヘレンはにっこり笑って返した。すると右拳が勢いよく左頬へと振りぬかれ、殴られたスクラトフはついに失神し、がっくりと倒れ伏した。
「結局殴んのかよ!」
「薬でずっと苦しいままじゃ可哀想でしょ?」
思わず言ってしまったクロエに対して、さも当然という顔で返して来たヘレン。そのやり取りに気が抜けたのか、限界を迎えたサティが気を失ってふらりと倒れる。慌ててクロエがその身体を受け止めた。
「頑張ったわね、サティ。私たちも」
「本当にな。柄でもねえけど」
ヘレンが気を失っているスクラトフの手足を手早く縛る。あの機械仕掛けの身体の前には気休めかもしれないが、無いよりはマシだろう。クロエもブーツを停めて、ゆっくり地面に降り立った。あちこち痛めたせいか立って居られず、尻餅をつくように座り込んだ。拘束を終えたヘレンもまた横に並ぶようにして座った。
「……本当によくやったよ。終わったんだな……」
クロエにしては珍しく、本音を零した。下層階で生きていて危険な目に遭うことは山ほどあったが、今回の比ではなかった。自分達がやったことが未だに信じられない。
「クロエ」
「何?」
クロエがヘレンの方を向くと、彼女は恥ずかしそうに俯きながら言った。
「助けてくれて……ありがとう」
しばし呆然としていたクロエだが、その言葉を聞いてふっと笑みを漏らした。
背後から聞こえてくる声は、少佐のものだ。心配そうに渋面をしたまま走って来て、後からリザもやって来る。クロエ達が話している上空から、軍部の輸送機を操ったボス達が現れて、あまりの物騒さに大笑いした。
【塔】を支配し続けた軍部と、総督スクラトフに打ち勝った。クロエ達の戦いはついに終わりを迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます