scene(5,Ⅲ);

【塔】は管理社会だ。換装身体、三次視像や、飲食物や娯楽物といった所まで含めて思想・精神を操作され、民が軍部に従うよう仕向けている。下層階でノフィアに殺された人の中には、【塔】を維持させるための動力源として、薬漬けにして地上に配置されている者さえ居るという。

 ヴァンテの話はやはり突飛な内容で、受け入れるまでに時間がかかった。嘘をついている様子はないし、ボスが煙草を吸いながら黙っているのを見ていれば、真実なのだと信じるほかない。


「アタシの仕事ってのは、軍が飼い殺しにしてる住民を助けることだ。上層階がいい暮らしをするために下層階は生かされているし、かといって下層階だって人が生きてんだ。仕方なく、間入って税率調整や緩衝をしてた、ってワケよ……」

 そのボスが煙草の煙を吐きながら、鬱々と話した。この話ぶりならば、【塔】が危機的な状況だと知っていたのだろうし、心労もあったのだろう。


「ただ、その流れを打ち破ったはじめの一人が、アノンであり、ヘレンなんだ」

 ヴァンテが再び口にした名に、やはりヘレンはビクリと反応した。

「姉さんが……?」

「ああ。アノンは信じがたいことに、人体強制睡眠保管クリオスリープの最中で目を覚ました。僕がちょうど経過を確認に訪れた際に……それを待っていたかのようにして」


 ——保管庫の蓋を落とし、ヴァンテの胸倉を掴む女性。手元の資料によれば、アノンという名の一般人女性の被験者だ。彼女の目は怒りに燃えている。

「殺してやるわ……絶対。こんな、人を実験動物みたいに扱って。許さない!」

 喉が壊れるのでは、というほどの声量で叫ぶアノンの身体を、研究員たちが何とか抑えて、保管庫に戻そうとしている。

「……仲間の命がかかっているんだ、すまない」

 ヴァンテは弁明することも出来ずに、どうにかそれだけ絞り出した。するとアノンは、もはや身体が保管庫に戻されていながらも、高らかに嗤ってみせた。

「バカな人。私と同じよ。最後には仲間もアンタも使い捨てられるのよ」

 研究員たちの手によって、身体に直接通された配管が差し戻され、鼻口の上にマスクが装着される。

「妹が復讐に来るわ。かならずね……」

 強制的に眠りに戻される際のアノンは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。——



「僕は正直、心から恐怖したよ。数一〇〇年も総督に従って休みなく働いているとね、すべて諦めてしまうんだ。言いなりになって、延命処置によって死をも許されなず、永久に解放されることは無いのだと。だけど、彼女は……目を覚まさせてくれた。このままでは誰ひとり、救われないとね」

 ヴァンテは、先ほどから直視を避けていたヘレンにまっすぐと語った。罪に向き合わんとする証明のように。

「この時から、僕は総督へ反抗するための戦力を蓄え始めた。魂の枯渇に備えて人工魂型人造生命体マッドマンを造って兵力とし、地下廃墟層の開発とエルドリウムシステム管理を一手に引き受け、その時がくれば僕の思い通りに動かせるように……ね」

 ヴァンテは人工魂型人造生命体、と口にした際に、サティの方を見やった。彼の存在は文字通り、兵器なのだ。無垢でありながら輝きのない碧瞳が、ヴァンテを見返した。


「トリガーになったのは、ヘレン。君が目覚めた時だった。アノンは思念通話の回線を使って、外部に助けを求めるメッセージを託していた。ヘレンがエルドリウムに触れたら転送するようにしてね。……ヘレンがある程度『自殺病』に抵抗できて上層階を歩き回れていたのは、軍部にとっても誤算だったんだ。奇跡的な出来事ではあるが、エルドリウムを媒介に、アノンからヘレン、ヘレンから【塔】、そうしてキャンベルのもとへと届いた」

〝キャンベル〟という名は、ボスの本名だ。するとボスは、煙草と一緒におおげさなくらいため息をついて、嫌そうに口火を切った。


「アノンはさぁ……アタシのじいさん、二代前のボスとそりゃお熱い関係だったらしいんだよ。思念通話を開くくらいにね」

「えっ! ……そういえば……」

 ヘレンは驚愕した後に、思い当たるふしがあって複雑そうに顔を歪めた。彼女の記憶を覗いたクロエも同様だ。確かに『仕事も恋も絶賛並走中』と言っていた。

 思念通話を開くというのは、家族以外には意味が一変する。思念通話は一度開くと生涯閉じられないので、家族になる者以外には行わない。ほとんど結婚することと同義なのだ。


「思念通話を開くためには、互いのエルドリウムを交換する必要がある。先ほどの話の通りエルドリウムは『魂』だから、子孫の魂には一部受け継がれる場合があってね。そういう繋がりで、キャンベルのもとにアノンのメッセージが届いたんだ」

 ヴァンテの補足を聞いても、クロエには理解はしきれなかった。『魂』経由で二〇〇年後にボスのもとへ話が伝わった、ということだけは何となくわかる。


「……まあそれで、アタシはユリアスが地下廃墟層に居ると知り、接触した。すると驚くべきことに、ユリアスから軍部へのクーデターを持ち掛けられてね。妄言かと疑ったが、ここで溜め込んでる戦力と兵器を見たら信じるしかなかった」


 クーデター。話がついに本筋に及んだ。薄々察していたが、やはりヴァンテの目的は軍部を倒すことだ。クロエは思わずごくりと生唾を吞む。二五〇年間誰もしなかったことを、血を流す戦いを、これからやろうと言うのだ。


「軍部はヘレンを始末しようとしているが、人体強制睡眠保管クリオスリープ実験のことを口外されない為だろう。だが、僕らの動きにも勘付いたようだ」

「ああ、ロストラが攻められたのは、アタシを狙ってのことだろう。ガキ共の動きとは関係なかったしな」

 ヴァンテとボスが頷き合いながら話している。現実味がない光景だ。まさか下層階の首魁と上層階のエリートが、手を取り合って軍部と戦うことになるとは。それだけヴァンテの言う『魂』が枯渇し、人類全体が危うい状況なのだと、受け入れざるを得ない。


「そういうことなら、私にはありがたい話ね。どうせ殺されるくらいなら存分に暴れさせてもらうわ。上層階では……わからないけど」

 ヘレンはやる気十分で、身体の前で拳を合わせる。

 クロエはヘレンを助けてやりたいと思ってはいるが、まだ迷っているのが本音だった。正直、場違いなんじゃないか。そんな様子を見てか、ヴァンテが不意にこちらへ声を掛けてくる。

 

「クロエ、君も協力してくれないか? スクラトフ総督は危機的状況と知っていて、自分だけが助かるために【塔】を維持している。止めなければならない」

「いや、それはわかるぜ。だけどオレは一般人だし、多少運動ができるくらいだ。何でオレに……?」

 するとヴァンテはなぜか気まずそうに目を伏せてから、再びこちらを向いた。


「実は……僕の仲間を助けて欲しい。彼らの命を握られている限り、表立って動くことができないんだ。しかしそれでは軍部は止められない。エアブーツが使え、一般人である君の力が必要なんだよ。ご両親の会社の商品もね」

「ああ、二五〇年捉えられているっていう……」

 そう聞くと納得はできた。確かに今の状況では〝アウリス〟でも研究者でもないクロエが最も動きやすいし、上層階生まれの下層階住みということで怪しまれにくいだろう。しかし、ヴァンテは予想外の内容を続けて口にした。


「だが、覚悟もしてもらいたい。エルドリウムは理想的な力だが、『魂』だ。人類が存続するためには棄てなければならない。換装身体も、君の素晴らしい才能も……エアライナーも諦めることになるだろう」

 クロエは目を見開いたのち、堪えるように口の端をぎゅっと結ぶ。そして、自問するかのようにゆっくりと息を吐き出した。

「分かった。オレも助けたいヤツがいるから……覚悟を決めるよ」

 自分の腰に提げている二対のブーツに触れ、クロエは言った。

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