アイデンティティ・シンクロニシティ

scene(２,Ⅳ);

　ヴァンテの車は淡々と廃墟層内を走っていく。窓からの眺めも移り変わっていき、研究所を出たばかりは機能的で無駄のないデザインの施設が目立ったが、しばらくすると住居らしき建物が多く目に入るようになった。居住区に入ったらしい。

　クロエとヘレンは後部座席で横並びに座っていたが、クロエは立て続けに色々な出来事があった疲れからか、うたた寝をしていた。ヘレンは変わらず窓からの景色を焼き付けるようにして見続けている。

　居住区に入ってから数刻すると徐々に車が減速していき、とある家の前で停まった。

　停車にあわせてクロエはぱちり、と目を覚まし、一瞬固まってから悔しそうに呻いた。

「……あ～……寝たっぽい？」

「ぐっすりとね」

　妙に嬉しそうにニヤリと笑ったヘレンは車を降りていき、辺りを見回す。遅れてクロエも降車し、正面に建つ住宅を見上げた。大変奇妙な形の家だった。正方形の四角い形状をした建物と、半球状の丸い建物が繋がっている。廃墟層の中では同じような形状の住宅がいくつか建っていたが、こうして眼前に見るとやはり変だ。

「ヴァンテの家ってこれか。とりあえず、入ろうぜ」

　四角い家の方が入り口らしく、ドアを開いてエントランスに進んでみると、応じるように三次視像（エルグラム）が起動した。目の前に現れたのは、先ほどまで研究所で話していたヴァンテの三次元映像、すなわち等身大の立体ディスプレイだった。

『いらっしゃい。僕が代理で対応するよ』

「うっす……しつこい彼女みたいに話してるな、あんたとは……」

　今日何度目になるかというヴァンテとの再会に、クロエはがっくりと項垂れた。先ほどまで車の近くにいたヘレンも隣までやって来る。

『僕が相手ですまないね。ちなみに、今の時刻は夜だ。ベッドやシャワーがあるから、ひとまずは休んだらどうだい』

「そうね、じゃあお借りするわ。アンタ、シャワーに入ってこないでよ。殺すわよ」

「入んねぇっつの！」

　ヴァンテとの会話に割り込んだヘレンは、慌てて叫んだクロエに対し『どうだか』と言いたげな笑みを浮かべてみせ、すたすたと家に入って行ってしまった。

「ったくあのお嬢さんは……。あ、そうだ。いくつか聞きてェことがあんだけど」

『何だい？』

　ヴァンテの三次視像は本人とまるで相違ない動きで聞いてきた。クロエは一応、人間を相手するように居住まいを正す。

「やたらドでかい研究所の規模、中央の資源分解槽、都市開発が済んだ廃墟層全体……。ここを作ったヤツらっていうのは、一端のテロ組織とか企業とかじゃねえ。おそらくは……軍部じゃないのか？」

『その通りだ』

「そうか……やっぱな……」

　クロエが予想していた返答があり、大きくため息をついた。軍部は【塔】で最も強い権力を持つ機関で、総督のお膝元だ。もしかしたらと思っていたが、とんでもないことに足を突っ込んでいるらしい。ヘレン一人を匿って、下層階でこっそり逃げ続けていれば済む話だったはずが、軍部の隠し事まで知ってしまった。【塔】全体に及ぶような大問題に発展する可能性がある。

　軍部と諍いを起こしたら、大切な人たちも巻き込んでしまうだろう。上層階に暮らしている両親、ロストラの人々、上層階から弾かれたクロエを受け入れてくれた人たち。それだけは何とか避けたいが、今考えてもどうにもできない。ひとまずは頭の端に追いやって話を続ける。

「お前の居るあの研究施設は、何を研究しているんだ？」

『エルドリウム研究、SARP（サープ）浄化、そのほか機密研究のためだ』

「サ……SARP？　って何だっけ？」

『大戦以来、世界全体を覆っている天候兵器の正式名称だ。現代では、【塔】の機能によって自動的に浄化されていて、三次視像でも見えないようにされているので、忘れられがちだね』

　クロエはそう聞いて思い出した。二五〇年前の大戦の時に広がって以来、人類の生活に大きく影響を及ぼした兵器だ。生活していると見ることがないので、正式名称を忘れてしまっていた。

「そんな名前だったか。いや、でも自動で浄化されてるんだろ？　何で廃墟層を再開発してまで、今さらSARPを研究してんだよ？」

『悪いけどそれには答えられない。ヴァンテは可能な限り、君たちの訪問を無かったことにする。だから、君たちに教えられることは限られるんだ』

　ヴァンテ三次視像は残念そうに言ってくる。いいところまで聞けただけに続きが気になるが、匿ってもらっている以上、無駄に足を突っ込まない方がいい気もする。クロエが唸っていると、立ちっぱなしのヴァンテ三次映像が、優し気に喋った。

『今、僕から告げられることがない以上、君もはやく休むべきではないかな。君達が落ちてきたのは朝方だ、疲れただろう』

　三次視像からの思わぬ労いの言葉に、クロエの心は白旗を上げた。

「……不覚にも癒されたよ。こりゃあ、ヴァンテさんにお付き合い願うべきかもな」

『三次視像だからね、お断りするよ』

　洒落ですら即効で断られたクロエは、ガクリと肩を落としつつ、目の前の住宅に入って行った。

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【用語解説】

　・SARP：【塔】の外、世界全体を覆っている天候兵器。現在は【塔】の機能によって自動的に浄化・排除されている。人はエルドリウムによる浄化手段なしでは、外に出ることはできない。