第7話

第7章 7話




 あたしと別れた二人は、一時避難所となっている小学校に無事に到着し、体育館に落ち着いた。

 校庭にも暖房付きのテントが幾つも設置され、すぐに帰宅が許されない多くの人が身を寄せていた。安全に混乱なく誘導するために人々の避難は順に行われていて、その順番を待っていた。何の力もない人々は、事態が沈静化するまでじっと待っているしかなかった。


「柊さん。コウカちゃん、大丈夫ですよね」

「帰って来るって約束したから、大丈夫だよ」

「私が呼び出したからこんなことに……コウカちゃんに何かあったらどうしよう……」


 ミヤちゃんはまた少し不安になって、膝を抱えて身を丸くした。心の拠り所とする存在が側にいないから、余計に不安になるんだろう。

 あたしの代わりにいるユウイチさんは、大人の落ち着きでミヤちゃんを励ました。


「心配ないよ。コウカさんは必ず帰って来る。僕たちを悲しませることはしたくないと思ってる筈だから。信じよう」


 ユウイチさんも心配で不安を抱いている筈だ。それなのに、そんな様子は少しも見せず、ミヤちゃんを不安にさせないように気を配っていた。

 するとその時、ユウイチさんのスマホが鳴った。


「はい。柊です」

「よかった繋がった! 柊くん。躑躅森ツツジモリです」

「躑躅森博士?」

「今、一時的に繋がるようにしてるだけだから、長くは話せないわ」


 研究所の通信障害は継続されていて、電話をしてきたお母さんの声もノイズがかかっていた。

 お母さんは繋がったことに安堵したのも束の間、ユウイチさんに要件を話した。


「今、何処にいるの?」

「小学校の体育館に避難してます。桐島さんも一緒に」

「そこにコウカもいる?」

「……コウカさんは、一緒にいません」

「やっぱり……あの子、行ったのね」

「すみません。止められなくて」


 ユウイチさんは謝ったけど、お母さんは「想定内だから謝らないで」と責めなかった。


「それで、柊くんにお願いがあるの」

「何でしょう」

「今現在、研究所は海外のハッカーからハッキングを受けてる。システムのコントロールが全て奪われて、私たちは閉じ込められて身動きが取れないの」

「大丈夫なんですか!?」

「さっきから、ホワイトハッカーと協力して取り返そうとしてるんだけど、新種のマルウェアみたいでびくともしないの。さっきの放送を見てとにかくコウカをと思ったけど、付き添いの部下とも繋がらなくて、唯一、柊くんに繋がったの。だから、貴方にお願いしたい。あの子を連れ戻して」

「僕がですか?」

「一般人の貴方にこんなことを頼むなんて、危険に晒してしまうし、本当に非常識だと思う。でも私はすぐには動けないし、他に頼れる人がいない。あの子を止められるのは、柊くんしかいないと思うの」


 お母さんからの唐突な依頼に、ユウイチさんは困惑して黙ってしまった。


「何言ってるのって感じよね。だけど、コウカがジャカロに捕まれば、無事に帰って来る保証なんてない。全ての要求が通ったとしても、あの子は無残な姿になってしまうかもしれない……だからお願い。貴方にしか頼めないの」


 お母さんと同様にあたしの身を案じるユウイチさんには、依頼を引き受ける検討をする余地はあった。

 だけど、引き受けようとしなかった。それどころか、お母さんが想定していなかったことを言い始めた。


「……ですが。コウカさんは、事態を何とかしたくて説得に行ったんです。研究所と連絡が取れないなら、自分で判断しなきゃならないからと言って。今連れ戻したら、要求に答えるタイムリミットに間に合わなくなるんじゃないんですか」

「それは……」

「政府は自分を渡す気はないと、コウカさんは言いました。西銘の神経を逆撫ですることにならないように行ったんです。最初は間違いを恐れて、行かないつもりでした。でも彼女は立ち止まることをやめて、危険を承知して行ったんです。それなのに今止めたら、いつ立ち向かえるんですか。真正面から向き合えるんですか!」


 ユウイチさんは戦っていた。拮抗していた二つの気持ちの片方が、大きくなり始めたのを感じた。だから、もう片方も大きくしようとした。けれど、二つが同じ大きさになっても、片方の力が僅かに強かった。

 そんなユウイチさんに、お母さんは穏やかに語りかけた。


「柊くんは、こんな状況でもあの子を応援したいの?」

「僕は、立ち上がった彼女の意志を尊重したいんです」

「私もよ。あの子が確たる意志を持ち始めた時から、尊重しようと努めてる。でもね、もうすぐ独立すると言っても、やっぱりまだ不完全なの。だけど、あの子はこれからまだまだ成長し続ける。あの子自身も成長を望んでいるのに、希望の半ばでそれを諦めることを無念に思わせたくない」

「……わかります」

「私はあの子を守りたいの」

「……それは、博士自身の気持ちなんですか?」


 ユウイチさんは、で言っているのかを聞いた。その質問に対するお母さんの答えは、明確にあった。


「そうよ。あの子の母親である、躑躅森未閖ミユリとしての気持ち」


 お母さんの明確な返答を聞いたユウイチさんは、後悔の念を隠して誤魔化そうとしていたことを、心の中で認めた。


「失礼なことを言ってすみませんでした。博士」

「気にしないで。私がこれまで立場をはっきりさせてなかったから、あの子にも酷いことを言ってしまったんだもの」

「僕も酷いですよ。自分が止められなかった苛立ちを、抑えられなかった。僕なら止められたかもしれないのに。何もできなくてすみません」

「いいえ。きっと誰にも止められなかったわ。私でも、貴方でも」

 

 二人の気持ちがリンクすると、ユウイチさんの中で拮抗していた二つの気持ちの片方の強さが増した。ユウイチさんは、存在感を増したその気持ちを本当に選んでいいのかと自分自身に問いかけ、考えて決めた。


「……わかりました。行きます」

「ありがとう。だけど、無茶はしないで。貴方の命はかけなくてもいい。貴方に何かあったら、あの子が悲しむわ」

「はい。わかっています」


 お母さんは最後に、由利さんを介して何とかして政府を説得し、ジャカロと平和的な交渉ができるようにすると言った。通話はそれまでが限界だったようで、音声が途切れ途切れになると完全に切れてしまった。


「柊さん。博士はなんて?」

「ごめん桐島さん。ちょっと用事を頼まれて、行かなきゃならなくなった」

「もしかして、コウカちゃんのところですか?」

「うん。研究所の方は今、緊急事態で動けないらしいんだ」

「そんな。大丈夫なんですか?」

「心配ないみたいだよ。だからちょっと行って来るよ。すぐには戻れないかもしれないけど、一人で大丈夫?」

「私は大丈夫です。だから行って下さい」


 ミヤちゃんは平常心を取り戻した。研究所まで危機に陥っていることを知り、自分ばかり悲観的になっている場合じゃないと思ったのかもしれない。実際、周りの人はみんな、突然日常が変わってしまって戸惑い恐れている。


「不安になったら、迷わず周りの人を頼るんだよ」

「はい。柊さんも、気を付けて下さい」


 ミヤちゃんの様子を見て頷いたユウイチさんは、避難所を飛び出した。あたしを追いかけて、日常からかけ離れた渦中へと。



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