第6話




 危険区域となった繁華街に警察や機動隊が出動し、混乱に陥っていた一般市民の警護と避難誘導が開始された。

 あたしたちも人混みに混ざって、災害時指定避難場所へ向かった。あたしは研究所に戻らなきゃならなかったけれど、せめてミヤちゃんが避難所に着くまでは一緒にいようと思って付いていた。

 向かっている途中、ずっと悄然しょうぜんとして無言のままだったミヤちゃんが口を開いた。


「……コウカちゃん。さっきは酷いこと言ってごめんね。私、自分のことしか考えてなかった」


 さっきと違って、あたしの目や耳が馴染んでいる、小学生の時から知っているミヤちゃんの雰囲気だった。裏切ってしまった友達との関係修復の可不可を考えていたあたしは、その声に途端に安堵した。


「ううん。わかってるよ。ミヤちゃんは西銘くんの為を思って、何とかしたかったんだよね。でも、お願いを聞いてあげたかったのは本当だから。それだけは信じて」


 勝手な理由で断って申し訳ないと思いながら本心を信じてなんて、我ながら都合がいいと思う。ずっと味方でいてくれた友達だから許してもらえると、どこかで思ってたんだ。

 そんなあたしの考えを見透かしているかのように、ミヤちゃんは頷いてくれた。


「私、コウカちゃんに甘えてたのかも。昔、助けてくれたから、お願いすればまた助けてくれるかもしれないって」

「そっか……」


 ミヤちゃんはまた、あたしを頼ってくれたんだ。

 思い返せば、ミヤちゃんはあたしが力を貸して助けた最初の人間だった。あの時の恩を未だに忘れずに、頼りにしてくれたんだ。

 あたしは彼女にとって、それだけ意味のある存在になれたと思っていいのだろうか。そう考えると、申し訳ない気持ちが大きくなった。

 もしかしたら、頼りにしてくれるミヤちゃんとこれからも変わらない付き合いをしていく為には、もっと気持ちの共有をした方がいいのだろうか。あたしの全てを知ってもらえた方が、あたしもミヤちゃんも、気持ちを擦れ違うことはない。お母さんの時と同じように。

 そう考えたあたしは、さっき言えなかった本心を正直に明かすことにした。


「……あたし、間違えたくなかったんだ。あたしは、お母さんとの喧嘩も間違えたし、家出したのも間違えたし、ユウイチさんの気持ちを突っ撥ねたのも間違えた。だから同じ過ちをしたくなかった。

 だけど一番は、怖かったんだ。リョウヘイくんから凄く拒絶されて、あの時の言葉が記憶に強く刻まれてる。また同じことを言われて拒絶されるのが怖くて、ミヤちゃんのお願いを拒んだんだ。

 こんなあたしがまたリョウヘイくんに会っても、また何かを間違えてしまうかもしれない。そしたらその結果次第で、選択される筈のなかった未来になってしまうかもしれない。そうなるのが怖いの。間違いはあとにならないと気付かないから、正しい選択をしたいのに……。

 これから本格運用なのにいつまでも不完全で、本当に不甲斐ないよね」


 あたしの話に笑ってほしくて自分で笑ってみたけど、上手くできなくて空笑いになってしまった。

 本当なら、こういう時こそあたしが率先して行動しなきゃならないのに、本当に不甲斐ない。本格運用まであと二ヶ月なのに、このままじゃ自分が望む働きができない。もっと、人間社会に飛び込むことを恐れない気持ちを作らなきゃダメだ。

 すると、話を聞いていたユウイチさんが言った。


「不完全でいいんだよ」

「え?」


 不完全を肯定するなんて、あたしは聞き間違えたかと思った。


「そもそもこの世界は、ずっと不完全だ。人間は争い続けてるし、技術だって次々と進化し続けていて終わりがない。未だに完璧なものなんてなくて、不完全なものが集まってできてる。それなのに、きみだけが完全なんて、それは孤独じゃないかな」

「孤独……」

「全てを理解して、万能で、選択は間違うことなく正しい。完璧は、追求すれば誰もが行き着くことができるかもしれないけど、もしも本当に完璧になれたとしたら、それは神様に等しいんじゃないかな。

 神様は人々に頼られ、その望みを一身に集める存在。まるで、きみみたいだ。だけど、きみは神様じゃない。神様になれと言われても、なる必要もない」

「確かにあたしは、神様になるつもりはない。でも、不完全のあたしで本当に役目を果たせるの?」


 あたしが不安を口にすると、ユウイチさんは柔らかく微笑んだ。


「身構えることはないよ。今まで通りのコウカさんでいいんだ。みんなに優しく寄り添うのもきみだけど、間違いを恐れるのもきみだよ。『ヒューマノイド』や『人間』というカテゴリーに嵌まらない、そのままのきみの姿でいればいいんだ」

「あたしのまま……」

「きみは、『躑躅森虹花』だ。それ以外でも何でもない」


 言われた瞬間、ユウイチさんの言葉が、あたしの脳内のモジュール間を敏速びんそくに駆け巡った感覚があった。


(あたしは、完全に人間と同じ思考になりたいと思ってた。その方が人間を深く理解できて、周りが望む通りの役目を果たせると思ってたから。

 だから“好き”を追いかけた。“愛”を見つけたかった。“幸せ”を感じたかった。あたしはあたしになれると思ってた。人間と殆ど差異のない完璧に近い存在になることが、一番いいと思ってた。


 だけど、間違いはあたしの欠点になる。人間に悪い印象を与える。そしたら、周りが望む通りに役割を果たせない。がっかりさせて、絶望させると思った。

 だから間違えたくない、周りの期待に応える為に完璧にならなきゃと、いつの間にか自分で自分にプレッシャーを与えてた。そして西銘くんから浴びせられた罵倒で、プレッシャーがブレーキになった。


 間違えるのは怖い。面と向かって罵倒されるのも怖い。傷付けたくないし、傷付けられたくない。でもこれからの運用で、そんなことは何度もあるのかもしれない。そんな繰り返し恐れる覚悟もないまま、あたしは春を迎えるんだろうか……。


 ダメだ。そんな覚悟もないまま、あたしはこれ以上進めない。進んじゃダメだ。そんなあたしは、自分が望むあたしじゃない。

 間違えたくないなんて言っていられない。怖いとか、傷付けられたくないなんて言っていられない。橋渡しのあたしは、どんな言葉も感情も、受け止める覚悟でいなきゃならないんだ。橋渡しは、そういう仕事なんだ。


 不完全でいい。不完全だから、わからないことを追求する。理解しようと突き詰める。人間に寄り添える。完璧な存在が最適だったら、あたしは造られなかった。

 だからきっと、あたしだからできることがある。あたしじゃないとできないことがある。選択も答えも最初から無数に存在するんだから、最初から正しい選択や答えを選べなくてもいい。間違える度に考えて、誰も傷付かない答えを見つければいい。


 みんなに寄り添うのもあたし。間違いを恐れるのもあたし。あたしは、あたし。躑躅森虹花なんだ)


 考えたあたしは、決意をもって足を止めた。


「あたし、やっぱり行く」

「え?」

「西銘くんと、もう一度ちゃんと話したい。ミヤちゃんの気持ちも伝えたい」


 それが、今あたしがやること。側にいる大切な人のために、今のあたしにできること。

 だけど、あたしが恐れを克服する決意をしたのに、二人は顔色を変えて止めようとする。


「もういいよ。行ったら、コウカちゃんは人質に取られるんだよ?」

「そうだよ。それにさっき、独断はやめた方がいいって自分で言ってたじゃないか」

「タイムリミットは刻一刻と迫ってる。研究所と連絡が取れないなら、自分自身で判断しなきゃならない。それに、どうせ政府はあたしを渡す気はないから、行くのを止められる。それじゃあ状況はよくならないよ。ここで動かなきゃ、事態はどんどん悪い方向に向かう」

「だけど、コウカちゃんの身に何かあったら……リョウヘイくんのことなら覚悟するから、無理しないで」


 ミヤちゃんはあたしの腕を掴んだ。さっきと同じように、大切な人を助けたいと望む眼差しで。でもあたしは、今度も友達の望みを聞き入れられない。

 あたしはミヤちゃんに微笑んだ。さっきとは違って、前向きな選択だったから。


「心配してくれてありがとう。でも、もう立ち止まり続けるのはやめた。あたしは今、進むべきなんだ。これからの運用の為じゃない。あたし自身がそうしたいから。それに、あたしも西銘くんのことが心配なんだよ」

「コウカちゃん……」


 ミヤちゃんが西銘くんのことが大切なように、あたしはミヤちゃんが大切だ。あたしを頼る人の大切な人を、あたしも大切に思いたい。助けられるこの手を、惜しみなく恐れず差し出したい。例え、拒絶されて腕を切断されようとも。


「ユウイチさん。ミヤちゃんを無事に避難所まで送ってあげて」


 あたしは踵を返して、渦中へ向かおうとした。けれど、


「待って!」


 ユウイチさんはあたしの腕を掴んで引き止めた。振り向くとその顔は、さっきのミヤちゃんの表情と少しだけ似ていた。


「話しに行くだけだよね」

「うん。話しに行くだけ」


 あたしは、不安を煽らないように微笑んだ。


「ちゃんと帰って来るんだよね?」

「勿論、帰って来るよ」

「約束できる?」


 不安を隠せないユウイチさんの手に、力が込められた。そしてあたしの目を見て、表情で訴えた。

 それが、何を訴えているのかはわかる。本当は、その気持ちを汲んだ方がいいことも。

 あたしは、ユウイチさんに笑って見せた。


「大丈夫。あたしは、みんなのところに帰るよ」


 もしかしたら、無傷で戻ることはできないかもしれない。でも、どんな状態になっても、あたしはみんなのところに帰る。あたしを必要として、慕ってくれて、支えてくれる人たちがいてくれるおかげで、あたしは立ち向かえるのだから。


「ユウイチさん。今日はね、あとで渡したいものがあるの。だから、楽しみにしてて」

「……わかった。楽しみにしてる。だから……待ってる」


 ユウイチさんは、苦渋の選択であたしから手を離した。


「じゃあ、またあとで!」


 あたしは笑顔で手を振り、人混みと逆方向に走り出した。一度も振り返ることなく、前だけを見て。

 西銘くんがいるとすれば、恐らくジャカロの代表のところだ。さっきの映像を見て、代表がいるのはイサナギファンモールのヒューマノイド博物館だとわかっていたあたしは、そこを目指した。

 警察官や警護ロボットの視界に入らないよう気を付けながら向かっていると、商業施設のサイネージに報道番組が流れていた。あたしはその空撮映像に目を奪われた。


「こちらは、イサナギファンモールに近いメインストリートの現在の様子です。私たちは今、SF映画を見ているのでしょうか。市内のあちこちから集まって来たのでしょう。多くのロボットやヒューマノイドが暴れています。それを、出動した特殊部隊が次々と制圧を試みております。ロボットと人間の交戦が、現実に繰り広げられています!」


 ドローンの映像を見ながら、女性アナウンサーが状況を伝えていた。

 へし折った街灯や信号機、車のタイヤ、ガードレールなどを持ち暴れているロボットやヒューマノイドの数は、瞬時には数えられない程で、特殊部隊は銃器を装備した武装ロボットを前方に配して、隊員が後方支援のかたちで対抗していた。その中には博物館にいたロボットやヒューマノイドたちもいて、次々と撃たれては機能を停止させられていた。


「そんな。武器で一方的に……!」

(きっとシステムをハッキングされて、操られてるんだ!)


 あたしは、目的地を目指して先を急いだ。もう何も迷わず、何も恐れていなかった。



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