第4話
研究所のお母さんは、あと約二ヶ月であたしが本格運用となる前に、アルヴィンと各システムのリーダーたちを会議室に集めて、マニュアルの改訂やシステムの改良点の見直しを話し合っていた。
「では、去年までに蓄積された記憶はブラッシュアップせず、日付ごとに分類した状態のままクラウドに保存ということで。次は……」
その途中で空中ディスプレイが消え、部屋の照明も落ちて非常灯に切り替わった。そして次の瞬間、施設内にけたたましくアラートが鳴り響いた。
「これは……!」
「外部からの不正アクセス!?」
「まさか、ファイアウォールを突破した!?」
アラートが5秒鳴ったのち、非常灯から自家発電の電源に切り替わり、再び照明が点いた。
この緊急事態を早急に対処するべく動こうとしたお母さんは、外に出ようとカードキーをかざした。けれどドアが開かず、手動で開けようとしてもロックがかけられていてびくともしない。
「ドアが開かない!?」
アルヴィンはタブレット端末からロックの解除をしようとした。けれど、何度トライしてもイントラネットにすらアクセスできない。
「ダメです! 何度試してもシステムに入れません!」
「イントラネットに繋がらないの!?」
「ヤバいです博士。研究所の全システムが乗っ取られてます!」
一人が顔面蒼白して言った。それは、躑躅森ロボディベロップメント技術開発研究所が始まって以来の危機だった。
「とにかく、ここから出るわよ!」
非常事態に動揺している暇はない。1秒でも早く侵入したマルウェアを発見し、研究所のシステムを奪還しなければならない。電波障害も発生しているらしく通信機器が使えなくなり、各部署に指示は出せないけれど、適宜動いてくれている筈だ。
閉じ込められた他の面々も、それぞれ役割分担を決めて迅速に作業を始めた。アルヴィンを始めとする数人は、イントラネットへのアクセス権限奪還を開始し、比較的若く力のある男性職員は力尽くでドアの開放を試みた。
お母さんは、あたしのシステムへの影響を調べた。運良くまだマルウェアの被害はほぼなく、侵食を防ぐ作業を始めた。
「何なんだこのマルウェア。強力過ぎてこっちの操作を全く受け付けませんよ」
素早いタイピングをしながら、眉間に皺を寄せるアルヴィンがぼやいた。
「ここのファイアウォールを突破したんだから、作ったのはただのプロじゃないわね」
「突破にも侵入にも全く気付かなかったのは不覚です。それにこれ、ワームのようですね。何度も増殖を繰り返したような形跡がある」
「と言うことは、どこかにバックドアが仕込まれた可能性があるわ」
「十分あり得ますね。と言うか、うちのファイアウォールはそんなやわじゃない筈ですよ。何か種がなければ、こんな事態ありえません」
「種……」
「これも、ジャカロの仕業なんでしょうか。これはもう、反社会的だと言われても当然ですよ」
アルヴィンの一言で、お母さんは作業をしながら別の考え事を始めた。何故、ファイアウォールの突破とマルウェアの侵入に気が付かなかったのか。何故、研究所のシステムが突然ハッキングされたのか。いつから研究所は狙われていたのか。
すると、あることを思い出し、そこから今回の事態となった過程を推測した。
「もしかしてジャカロは、以前からハッキングの準備を……」
「博士?」
「ほら。昔あったでしょ。量産型のドローンがコウカを付けてたこと」
「はい。結局は、ジャカロ所有の物だと確定できませんでしたけど」
「あの時既に、システムへのハッキングが始まっていたのよ」
「どういうことですか」
「あのドローンの役割は不明だったけど、恐らく、コウカを介してマルウェアを研究所へ侵入させようとしていたのよ」
全て推測に過ぎないけれどと前置きして、お母さんは手を動かしながらハッキングまでの種を推考した。
「まず、コウカのネットワークを経由してファイアウォールの突破を試みた。何度かアタックを繰り返しファイアウォールを脆弱化させたのちに、研究所のネットワークに侵入し、ワームを仕掛けた。そしてワームは時間をかけて増殖しながら、パソコンのネットワークからイントラネットに広がり、ワームを仕掛けた時に仕込んだバックドアから遠隔操作でハッキングをした」
「でも、ファイアウォールの突破もワームの侵入も、検知されてもいい筈ですよ」
「もしかしたら、有用なソフトウェアなどに偽装できるトロイの木馬とのハイブリッドなのかもしれない。それならトロイの木馬の特徴を生かして、ファイアウォールの突破も可能だと思うわ」
「そんなもの、存在するんですか!?」
「開発されていてもおかしくないわ」
「と言うことは。あのドローンは、マルウェア侵入の為の中継地点に使われていたのか」
「こんなことができるのは、海外の手練れでしょうね」
「わざわざ海外のハッカーに依頼してまで、こんなことを……」
ジャカロはお母さんたちに気付かれないように、急いては事を仕損じると慎重にハッキング計画を進めていた。
「でも博士。コウカのネットワークに入れたなら、何故彼女をターゲットにしなかったんでしょう」
「ハッキングのターゲットは、初めから研究所だけだったんでしょうね。ジャカロは、ロボットやヒューマノイドの撲滅を目的としている。コウカのことも、ハッキングではなく物理的に攻撃するつもりなのよ。前にあったでしょ。襲撃されたことが」
「だからまずは研究所を抑えて、ってことですか。彼女の現在の居場所も把握した上で、仕掛けてきたのか」
研究所が攻撃されて、あたしの身にも危険が迫っている可能性が急浮上し、お母さんたちの心情に密かに焦りが生まれる。
「博士。この状況、思ったよりマズイですよね。きっとコウカの設計データも……」
「ええ。確実に盗まれてる。数日前には既に」
事態は深刻さを深めつつあった。あたしの動力源の秘密を知ったのなら、デモの規模が拡大してしまう。けれど、街が今どうなっているかを知らなかったお母さんたちは、まだ何も起きていないと思っていた。
「博士。これを!」
焦りが増す中、タブレット端末で作業していた職員が、慌ててお母さんに画面を見せた。
画面には、ジャカロのロゴマークが表示されている。ネットワーク障害が起きている筈なのに、ジャカロから一方的に発信されていた。
その時、時刻はちょうど12時になった。すると画面は映像に切り替わり、一人の壮年男性を映した。ジャカロの代表、
「国民の皆さん、こんにちは。初めまして。私は、日本民政再興機構の代表を務めております、西銘芳彰と申します。本日は、インターネットと公共の電波をお借りして、総理及び日本国政府にメッセージを送らせて頂きます。
我々は先程、諌薙市のイサナギファンモールを占拠し、多くの爆弾を仕掛けました。イサナギタワーにも、倒れるには十分な数を設置済みです。施設やタワーに遊びに来ていたお客さんは全員避難して頂いていますので、ご安心下さい。他にも、街中に設置した小型爆弾で、繁華街にいた皆さんに避難するよう警告しました。
このように、我々は不要な犠牲を出すつもりはありません。しかし、これから言う要求を飲まなければ、イサナギタワーを破壊します」
西銘代表は口元を緩め、微笑しているようでしていない表情で恐ろしいことを言うと、次の要求を提示した。
「我々の要求は、三つあります。一つ目は、現在プレ運用中のドーニアタイプヒューマノイドを人質としてよこすこと……ああ。人間ではないので、
二つ目は、ガラス固化体のエネルギー利用計画を白紙にすること。そして三つ目。これは口が酸っぱくなるくらい何度も繰り返し申し上げていることですが、現在稼働しているロボット及びヒューマノイドの運用の全面的な見直しです。
まずは、ドーニアタイプがこちらに来ることが先決です。他の要求の取引はそれからです。
ですがここで、一つ注意点があります。他二つの要求がどちらか一つでも飲まれなかった場合、交渉の余地なしと見なし、ドーニアタイプを破壊します。それは嫌ですよね。我々も動力源の秘密を知っています。破壊されたら、威信が丸潰れどころの問題ではなくなりますよね。言っておきますが、これはハッタリでも脅しでもありませんよ。
では猶予です。一つ目の要求のタイムリミットは、2時間。二つ目は、AIに頼りながらだらだらと話し合うでしょうから、6時間差し上げましょう。三つ目は12時間後とします。発表は、動画配信サービスの政府公式チャンネルで、約束の時間までに必ず公表して下さい。1秒でも過ぎたら交渉決裂とみなします。
それから、善処しますなどとふざけた回答をした場合や、武力を以て制圧しようとした場合も同様です。我々には諌薙市ごと破壊できる力がある、ということだけ覚えておいて下さい。我々が本気だということも。
……そう言えば。今日はバレンタインですね。我々からの切なる願いに対する総理の愛ある回答を、心からお待ちしております。それでは皆さん。よいバレンタインを送られんことを」
メッセージが終わると再びネットワークが切断され、一度暗くなってから元の作業画面に戻った。黒い画面に残像のように残った西銘芳彰の微笑は、まるで悪魔が地獄からこっちの世界を見張っているようだった。
悪魔から放たれる邪悪なオーラが日常を覆い尽くそうとしている現実に、みんなは動揺し恐れた。
「……なんだこれ。完全にテロリストのやることじゃないか」
「それにあの言い方。やはり動力源の情報が漏れてますね」
「早くコウカを連れ戻さないとまずいですよ。位置を知られていたら拉致されてしまうかも!」
「でも、通信エラーで連絡できません。付き添いの坂井くんとも連絡が取れないし、外界センサへのアクセスもGPSも遮断されてるので位置特定が……」
「でも、もしかしたら今の映像を見ていたかもしれない。状況を判断して、すぐに帰って来るんじゃ」
アルヴィンたちは不安と焦りを口にしながら、あたしの無事を信じていた。
けれどそれは気休めでしかなく、身動きできず外の様子がはっきりとわからない現状は、濃霧の中にいるのと同じだった。太陽の輪郭はぼやけ、足元は霧で隠れ、道の手掛かりを探っても何も掴めない。唯一頼りになるのは、仲間という存在だけだった。
(コウカ……)
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