第3話
ジャカロのデモが始まって以来、あたしは研究所に籠もり続けていた。部屋では映画を観たり、タブレット端末でたくさんの本を読んだり、気分転換をしたい時は研究所の庭を散歩した。
お母さんが建てた茶室で、お茶を点てたりもした。伝統復元師の牧村さんに感性が足りないと言われて、国内留学から帰って来てからお母さんに作法を教えてもらった。実際に自分でやることで感性が養われるかと思ったけど、これに魂が宿っていると言われてもやっぱり最初は理解できなかった。
だけど集中していると、余計な考えや気持ちがいつの間にか消えて、モジュール間のやり取りが整理されるような気がする。それにこの前は、少しだけ『魂が宿る』という概念を掴めたような気がした。
ミヤちゃんやカナンちゃんとも時々連絡を取り合っていて、ユウイチさんもほぼ毎日連絡をしてくれていた。
「今日もお店に行ったよ。店長さんとスタッフさん、コウカさんのこと心配してた」
「あたしが行けなくなった分、迷惑かかってなかった?」
「そんなことないよ。いなくて寂しがってた」
職場に迷惑をかけてしまったことを少し気に病んでいたけれど、温かな思いを抱いてくれていることが嬉しくてほっとした。本格運用前に状況が落ち着いて復帰できたら、休んでいた分の恩返しをしたいな。
「街の様子はどう?」
「いつもと変わらないよ。もうすぐバレンタインだから、街じゅうハートだらけだけどね」
(バレンタインか……)
今月に入ってから、どの番組もこぞってバレンタイン特集を組んでいる。ニュースのエンタメコーナーでは街頭インタビューでプレゼントの予算を聞いたり、バラエティ番組では人気のプレゼントランキングを当てたりしている。
研究所内でも女性職員たちが、誰に渡すとか告白するしないとか、男性がいないところで話していたのを聞いた。
「ハートがいっぱいなら、可愛い街並みになってそうだね。写真撮りたかったな」
「じゃあ、後で写真撮って送るよ。来年は一緒に街を歩いて、写真も撮ろう」
バレンタインは主に恋人たちが盛り上がるイベントだと認知しているけど、見聞きしても自分の中ではあまりリアリティーを感じなかった。特定の異性にプレゼントを渡すという行為を、してこなかったからかもしれない。
だけど、ユウイチさんから話題が出てから何か渡したいと思い始め、あたしはプレゼントを考え始めた。
一般的にはチョコレートだけど、甘いものが苦手な人なら日常使いができるアイテムでもいい。あとは、一緒に食事に行ったり手料理を振る舞う、というのを街頭インタビューで答えた人もいた。
手料理を振る舞うのもいいかと思うけれど、プレゼントが消えてしまうのはなんだか味気ない。それに。
「ユウイチさんの食の好みがわからない……」
記憶メモリを遡れば趣味嗜好の統計は取れるけど、ユウイチさんが食事をしないあたしに気を利かせて、一緒にテーブルに座ることはほぼない。
だから食べ物ではなく、ユウイチさんの物の好みを探ってプレゼントを考えることにした。
そして、2月14日。バレンタイン当日を迎えた。テレビでは、当日になっても相変わらずバレンタイン特集を放送していて、人気のチョコレートをスタジオで試食をしたり、告白するという女性に密着をしていた。
そんな明るいイベントが表で行われている一方で、東京ではジャカロのデモ隊と警察の機動隊が衝突を始めていた。武装した機動隊が丸腰のデモ隊を抑え込もうとしている映像が、ニュースで流れていた。その騒動の渦中に、西銘くんの姿はなかった。
あたしは、何とかユウイチさんへのバレンタインプレゼントを用意した。配送にしてもよかったけど、直接渡したくなって、仕事が終わったら研究所まで来てほしいとユウイチさんに伝えた。
時間はまだ午前中。ユウイチさんが来るまでは、いつもと同じように過ごすことにした。
部屋で読書をしていると、ミヤちゃんから電話がかかってきた。あたしはスマホを取って電話に出た。
「もしもし。ミヤちゃん?」
「コウカちゃん。今、大丈夫?」
第一声から、いつもと声音が違うことがわかった。ミヤちゃんの声は、不安や恐怖が入り混じったような声だった。
「どうかしたの?」
「あのね。実は、コウカちゃんに聞いてほしい話があるの」
「その話、他の人に聞かれてもいいこと?」
声音からして、会話は慎重になった方がいいのではと判断した。研究チームのモニタリングが緩くなったとは言え、家出したから部屋の監視カメラだけはまだ作動しているし、小声で話したとしても音声は拾われてしまう。
「できれば、コウカちゃんだけに話したいんだけど」
「わかった。何処かで待ち合わせしよう」
「それじゃあ、噴水広場まで来れそう?」
「大丈夫。じゃあ、あとでね」
会う約束をして通話を切った。でも、行くと言ってしまったけれど、まだ自由な外出は控えていた。だけど、ミヤちゃんが話したいと言っていた内容が気になるから、どうにかして出たかった。
家出した時みたいに、また監視カメラの映像をダミーに差し替える手段も一瞬考えたけれど、再びお母さんと喧嘩にはなりたくなかった。だからあたしは、正直に外出させてほしいとお願いすることにした。
「外出したい? もしかして柊くんに会いに行くの? でも、仕事が終わったら来てくれるんでしょ?」
「ユウイチさんじゃなくて、ミヤちゃん。会って話したいってさっき電話が来て。少し話をするだけなんだけど」
「でも事態が深刻化してるし、まだ一人で歩かせる訳にはいかないわ」
「ダメ? 一時間半でいいの。話が終わったらすぐに帰って来るから」
そのくらいの時間なら、無理ではないお願いだと思う。お母さんも少し考えてくれた。
(もうずっと研究所に籠もりっきりだし、きっと気分転換する方法にも飽きてきてるわよね……)
「……わかったわ。だけどコウカだけじゃ心配だから、一人付き添わせるならいいわよ」
と言うことで、研究チームの男性を一人付き添わせる条件付きで外出を許された。あたしはその職員さんの車に乗って、三週間振りに研究所の敷地の外に出た。
待ち合わせ場所の噴水広場に到着すると、既にミヤちゃんが待っていた。職員さんには女の子同士の大事な話だから来ないでと言って、車で待ってもらい、ミヤちゃんと合流した。
「ミヤちゃん。お待たせ」
「コウカちゃん!」
あたしを見つけたミヤちゃんは、白い息を吐きながら駆けて来た。今にも泣きそうな顔で、電話で話した時よりも不安や恐れが表れていた。
「お願い。助けて!」
「え?」
「私じゃどうにもできないの! だからコウカちゃんの力を貸してほしいの!」
「どういうこと?」
まずはミヤちゃんを落ち着かせる為に、ベンチに座った。バレンタインだったから周りは笑顔でデートするカップルが多くて、深刻な表情をしているのはあたしたちだけだった。
そう言えば。ミヤちゃんは、彼氏とバレンタインデートを約束してないのかな。
暫くして気持ちが落ち着いたところで、改めてミヤちゃんは話した。
「私、コウカちゃんにリョウヘイくんを助けてほしいの」
「リョウヘイくん?」
「
「うん。勿論。でも、なんで?」
「あのね。実は……リョウヘイくんと、付き合ってるの」
「えっ!?」
ミヤちゃんの突然の告白に驚いた。と同時に、ちょっと理解ができなかった。
だってミヤちゃんは、西銘くんの発言の所為で学校に行けなくなったのだ。再び学校に行けるようになってからも、ミヤちゃんは西銘くんのことは避けていたくらいだった。あたしの記憶では西銘くんから正式な謝罪はなく、彼はそのまま転校して行ってしまった。
年月を経て和解できたのなら、それはそれでいいんだけれど、そんな簡単に交際にまで発展できるのかと理解が及ばなかった。そしたらミヤちゃんは、経緯を説明してくれた。
最初にSNSでやり取りしていた時は、相手が西銘くんだということは全くわからなかったと言う。実際会うことになり顔を合わせた時はお互いに驚いたけれど、その時に西銘くんから不登校にしてしまったことを謝ってくれたらしい。
小学校の時から印象が変わり、ミヤちゃんも苦手意識がなくなって、それから二人だけで会うようになり付き合い始めたと言った。
「ある時、家業を継ぐって聞いて、家族のことを聞いたけどはぐらかされたの。でもなんか、あまり上手くいってないような感じがした。ちょっと気になったけど、でも聞かれたくないみたいだったから、それ以上は干渉しないようにしてたの。
そしたら、ジャカロのデモ行進のニュースでリョウヘイくんが映ってるの見て、その時初めて彼がいる環境を知ったの」
「西銘くんは、ずっと隠してたんだね」
(父親がジャカロの代表だっていうのが、後ろめたかったのかな。それとも、ミヤちゃんに嫌われたくなかったから?)
「ニュースを見てからリョウヘイくんに会って直接聞いて、隠してたことを謝られた。私はあんなことやめてって言ったんだけど、それはできないって言ってた。やらなきゃならないことだからって」
「リョウヘイくんはミヤちゃんが“好き”な筈なのに、お願いを聞いてくれなかったんだね」
“好き”な人の言葉なら、聞き入れられるものなんじゃないんだろうか。それとも西銘くんは、ミヤちゃんと本気で付き合っている訳ではないんだろうか。
あたしがこんなことを考えてはいけないけれど、西銘くんはまた彼女を傷付けようとしていないかと、ミヤちゃんのことが心配になった。
「それでね。本当は今日、会う約束をしてたの。だけど昨日、会えなくなったって連絡が来て。絶対に諌薙には行くな、家で大人しくしてろって言ったの」
「それはなんで? 西銘くん自身の理由なの? それとも、ジャカロが関係してるの?」
「リョウヘイくん、言ってた。明日、ジャカロは変革を起こすって」
「変革?」
デモ行進の他に、ジャカロは何かをしようとしている。そう示唆しているのは明確だった。
話していると、いつしか大通りの方が騒がしくなっていた。バレンタインだから、何か特別なイベントでもやっているのかと思った。
両眼をオートフォーカスして様子を探ると、たくさんの人が一方向へ走って行くのが見えた。けれど、顔色を変え切羽詰まった様子は、とてもバレンタインイベントで浮かれているようには見えない。
(みんな、何かから逃げてる?)
「コウカちゃん。どうしたの?」
ドォォン!
その時、何処かから爆発する音が聞こえた。しかも一回だけではなく、二発、三発と立て続けに。
「爆発?!」
方向からして、イサナギタワー方面だ。その方向の空を見上げれば、狼煙のように黒煙が次々と上がっていた。
「なに? 何が起きてるの!? まさか、ジャカロのテロ……!?」
爆発音を聞いたミヤちゃんは、一層不安を増していた。大切な人が、周りの人を巻き込んで深刻な事態を引き起こしているんじゃないかと、恐れていた。
あたしもまた、徐々に進行していると思っていたことが、急激なスピードで変化し始めた現実を恐れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます