第2話




「お前、これは……どういうつもりだ」


 辻は怪訝な眼差しをリョウヘイに向け、その意図を聞いた。


「そのままの意味だ。そのデータをお前にやる」

「西銘の指示か。何を企んでいる」

「何も企んでない。俺の意志だ」


 何も企んでいないなど、そんな筈はない。だが、それを部外者に見せる理由は全くない。寧ろ見せてはいけないものだ。しかもリョウヘイはそれを、自らの意志で公安の辻に見せたと言うのだ。


「どうやってこれを盗んだ」

「お前の真似をしただけだ。俺はお前みたいなヘマはしてないけどな」


 リョウヘイは生意気に、少し得意げになって言った。

 渡されたものが罠ではないのなら、一体どんな理由があると言うのか。あるとしたら、それは一つしかない。

 しかし判然としない辻は、スマホをリョウヘイに突き返した。


「返す」

「何でだよ」

「信憑性がない」

「これは確かに代表のパソコンから盗んだものだ。それにこの計画が出た時、俺も同席していた」

「データの信憑性だけじゃない。お前がそうする理由がわからない」

「理由は、俺の行動そのものが理由だ。語ったら朝になる」


 行動で悟ってくれと言うリョウヘイは、まるで父親が取っていた行動とそっくりなことに気付いていない。

 しかし彼の言う通り、この場で語るには時間が足りない。姿が見えないと騒がれれる前に、何食わぬ顔で戻らなければならなかった。


「お前の行動は、身内を売ることになるんだぞ」

「わかってる。代表を裏切るだけでなく、組織を崩壊させる可能性があることも十分理解している。その上で、これをお前に託したい」


 リョウヘイは、本気でデータを公安に渡すつもりでいた。信憑性は十分ではないが、その表情が行動も意志も本物だと語っている。取引の証拠を掴んだ辻も、データと手掛かりが繋がると十分な確信を得ている。

 辻は、観察眼で真偽を見極めようとした。しかし。


「やはり、信用することはできない」

「じゃあ、どうすれば信用してくれるんだよ」

「信用は無理だ。お前は俺を嵌めたやつだからな」


 西銘の命令でリョウヘイが嵌めたから、辻は幽閉されている。故に、リョウヘイが嵌めるつもりはないと言っても、その事実が信用に足り得る人物だと認めさせる障害となっていた。

 それは弁明ができることではないと、リョウヘイも理解している。突き返されることも想定済みだ。それでも、何が何でもデータを渡さなければならなかった。身内を裏切らなければならない譲れない理由が、彼にはあった。


「仕方がなかったんだよ。俺はまだ、代表に従っていなきゃならない。俺自身が力を付けるまでは。でも、のんびり構えていられなくなった。

 公安が考えている通り、代表は間違った道を行こうとしている。いや。もう踏み込んでいる。でも俺には、従うこと以外は何もできない。俺にはもう少し時間が必要なんだ。だからお前を頼ることにした。

 後で代表にバレても構わない。お前が……公安が何とかしてくれるなら」


 それまで殆ど表情を変えなかったリョウヘイが、危機感とも取れる声音と共に訴えた。

 辻は、リョウヘイが自分と同じように感取しているものがあると感じた。一番長い時間側にいて、見てきているからこその訴えだと。もしも演技だったら、今すぐ俳優の道へ進むようアドバイスできる程に。


「……本気か?」

「本気だ。命をかけてもいい。計画はもうすぐ現実になる。だからその前に!」


 どうやらリョウヘイは、本当に本気のようだ。何度、不信感を示しても食い下がる姿勢は、演技ではないと辻にもわかった。嵌めたことは恨みたいが、この場は信用してデータを受け取ってもいいだろうと考え直した。

 しかし、受け取ってもどうにもならない。


「……だが、やはり無理だ」

「何でだよ! 俺は嘘なんか吐いてなって!」

「ひとまず、お前の言葉とデータを信じてやる。だがそれ以前に、これを渡す手段がない」

「な……なんだよ! それを早く言えよ!」


 辻が外に出られないことは承知していたが、小型のデバイスを隠し持っていたり何かしら手段があるだろうと期待していたリョウヘイは、逆ギレする。


「逆ギレするな。お前が勝手に盗んで勝手に渡しに来たんだろうが!」

「じゃあ、わざわざ忍び込んだのは無駄だったってことかよ……簡単に正体見抜かれるし捕まるし、使えねぇな辻は!」

「お前には恩というものはないのか」


 父親の西銘と変わらない年齢の上に、国家に属する公務員の辻を全く怖じることなく罵倒するリョウヘイ。自分の身分が明らかになっても変わらない振る舞いをされ、礼儀も教えておくべきだったと辻は後悔した。


「なあ。適当な理由を付けて、お前がオレを外に出すことはできないのか」

「できる訳ないだろ」

「そうだよな……と言うか。このやり取り、監視カメラで見られてるよな」

「心配するな。ハッキングしてダミー映像とすり替えてある」

「そうか……それなら、何をしても話しても問題ないな」


 どうにか仲間にデータを流したい辻はそれを聞くと、リョウヘイに本物のフラッシュメモリの在り処を伝えることにし、逆にリョウヘイを頼る手段を選択した。


「あの時渡したフラッシュメモリはダミーだ。本物は、あの部屋のソファーの裏に隠した」

「代表の部屋の?」

「メモリには、西銘が取引していた海外の会社の取引履歴をコピーしてある。お前が盗んだデータと一緒に、それを俺の仲間に渡してくれ」

「渡すって、俺が!?」


 突然、大役を言い渡されたリョウヘイは一驚した。

 お互いにデータを外に持って行きたいが、それができる辻は身動きが取れない。それなら誰に頼むべきかと考えると、西銘の計画を知り、それの阻止の目的が一致していて自由に動けるリョウヘイしかいなかった。


「どうやって? そもそも何処に持っていけば。まさか、警察庁に行けって言うのか!?」

「そうは言わない」

「それじゃあ?」

「オレがいつも情報交換している仲間がいる。そいつは、休日は釣りに行くのが趣味だ。場所は、都内の有名な釣りスポットの防波堤。赤い球団のキャップを被った、俺と同年代のちょっとメタボなおっさんを捜して渡すんだ。名前は高坂と言う。嫁さんに内緒で愛犬のマーブルに高級おやつをあげていることを言えば、オレからの使いだと信じてくれるだろう」


 辻は、リョウヘイに託す覚悟を決めた。計画がここまで進んでいるとなると、あとは時間の問題だと察していた。


「いいのかよ。名前まで」

「お前は俺を信じて頼ったんだろ。だったら俺も、お前を信じてやる。お互い我が身を犠牲にしてるんだから、等価交換だ。名前は偽名だから問題ない」

「そうなのか。と言うか、本当に会えるのか?」

「実は、いつ休むかはわからない。だから、お前の運次第だ」

「俺の運次第……」


 全ては運任せということは、リョウヘイに運命が味方をしなければ手遅れになってしまうということだ。

 自分の運の良さはそれ程ないと思うが、他に手段がない。覚悟を決めたリョウヘイは、リョウヘイは返されたスマホを受け取った。

 取り引きが完了すると、辻はふと思ったことを聞いた。


「なあ。その用事が終わったら、お前はどうするんだ」

「どうするって」

「組織を抜けるのか」


 裏切るのだから、そのつもりなのだろうと思って聞いた。辻を怪しんで正体まで明らかにした西銘だ。身内の裏切り者にも敏感で、アンテナを張っていないとも限らない。その償いとして何を求めるかはわからないが。

 しかしリョウヘイの答えは、想像していたのとは違った。


「別にどうもしない。俺は最初から、代表を見捨てるつもりはない。俺は西銘家の跡継ぎだ。代々の思いを引き継ぐのが、俺の役目だ」


 リョウヘイは頑なな意志を示して、部屋を出た。外から再び施錠される音がすると、足音は遠ざかっていった。

 リョウヘイは本当に裏切るつもりなのだろうか。それとも、やはり裏があるのだろうか。取引のくだりが全て演技だったとしたら、辻は再びまんまと嵌められたことになる。

 どちらにしろ、あとはどうなるかはリョウヘイ次第。辻はデータを託してしまった以上、信用するしかなかった。



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