第12話




 日が沈み切った頃、あたしたちは研究所いえに到着した。

 ひっそりとした夜の中に、まるで目印のように研究所の明かりがぽつぽつと灯っている。家出して一ヶ月以上経っているけど、離れていたのは国内留学の時より少し長いだけなのに、あたしは何だか少しだけホッとしていた。

 玄関まで行くと、お母さんが待っていた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 お互いに、少しぎこちなさが残る一言を交わした。だけど、久し振りに顔を合わせたあたしとお母さんの間には、あの時隔てた溝も、もどかしさもなくなっていた。


「あ。顔合わせるの、初めてだよね。柊さん。この人があたしを造った博士で、お母さん。で、こちらが柊さん。ここまで送ってくれたの」


 あたしは初めて会わせる二人を、それぞれに紹介した。急にお母さんに紹介された柊さんは、緊張しながら会釈した。


「は、初めまして。コウカさんと仲良くさせて頂いております」

「初めまして。躑躅森ツツジモリ未閖ミユリです。モニター越しに見るよりイケメンね」

「え? ……あ。いえ。そんなことは……」


 柊さんには前に、お母さんたちがモニターで見ているかもしれないと言っておいた。その時に柊さんは、恥ずかしいとか変なことを言えないとか言っていた。さっきのは大丈夫かな。


「どうせ、家出中もちょくちょく見てたんでしょ。さっきのも」

「さっきのって……えっ。もしかして、さっきの!?」


 やっぱり。モニタリングのことは、堂々とした宣言ができるくらいすっかり忘れていたみたい。


「ごめんなさい」

「いいよ。いつものことだし」


 あたしは慣れてるから密かに見られててもどうってことないけど、一世一代の宣言をした柊さんは赤面して凄く動揺している。

 お母さんは、柊さんのこともずっと見てきた。だから、ヒューマノイドのあたしより柊さんの人となりをわかっていた。


「柊くん。いつもコウカの為にありがとう。この先の未来でもこの子を助けてくれるのが貴方なら、私は安心できるわ。どうか、どんな時でも寄り添って力になってあげて」

「は……はい。こちらこそ、宜しくお願いします」


 お礼と思いを改めてお母さんから言われた柊さんは、背筋を伸ばして再び頭を下げた。その姿勢には、あたしに対する真摯さと変わらない彼の真面目な内面が表れていた。改めて、この人なら信用できると、説明のできない確信をあたしは抱いた。

 今日はもう夜になってしまったから、ゆっくり話すのを遠慮して柊さんは帰ろうとした。あたしは、踵を返した彼を呼び止めた。


「ユウイチさん」

「えっ」


 パッと振り返ったユウイチさんの顔は、不意打ちに驚いた表情だった。


「今、下の名前……」

「関係性が変わったから、呼び方も変えた方がいいのかなって。あと、タメ口でいい?」

「うん、もちろん。嬉しいよ」


 微笑んだユウイチさんは、何だか照れ臭そうだった。あたしも釣られて、はにかむ表情をした。


「それじゃあ、またね。コウカさん」

「送ってくれてありがとう。ユウイチさん」


 お互いに控えめに手を振って、ユウイチさんを見送った。関係性が変わったというのに、ユウイチさんの「さん」付けはそのまま。そこもまた、あの人のいいところだ。

 ユウイチさんの後ろ姿が暗い夜に見えなくなったところで、あたしは気持ちを切り替えてお母さんに向き直った。


「お母さん。少し、時間ある?」


 ちゃんと話さなきゃならない。あたしが思っていることとお母さんが考えていることを、お互いに知っておかなきゃならない。

 あたしは、心配をかけたアルヴィンたちにも帰って来たことを伝え、謝罪もそこそこに、お母さんと一緒に自分の部屋へ戻った。他の人に口を挟まれたりして邪魔をされないように、監視モニターを切って、完全にお母さんと二人だけの空間になるようにした。

 隣り合わせでベッドに座ると、あたしから話し始めた。


「突然、家出してごめんなさい。あと、色々といけないこともして」

「本当にね。フェイク画像に、システムへのハッキングなんて。そんな子になるように教えた覚えはないわよ」

「反省してます」


 あの時は何もかもが嫌になっていて、善悪の分別も正常にできなくなっていた。家出をする為ならちょっとした悪いことも厭わないと思っていたけど、冷静な今なら警備システムへのハッキングはやり過ぎたと反省している。だけど、


「でも、全然怒ってないわ」


 お母さんは全く叱るつもりはないと言った。咎められることをしたのに許されたあたしは、以前抱いた不安を思い出した。


「怒ってないの? 迷惑かけたのに……もしかして。あたしのこと、どうでもよくなったの?」

「どうでもよくなったなんて、そんなことはないわ」

「だって、家出してから一度も連絡くれなかったじゃん。連れ戻しに来る様子も全然なかったし、だからあたし、そうなのかなって思って」


 あたしは、離れていた間の自分の気持ちを素直に吐いた。いつものお母さんだったら、あたしへの“好き”を表現して不安をまっさらにしてくれる。

 だけど今日は違って、自信をなくすようにお母さんの視線と声音は下がった。


「連絡はしたかったのよ。本当に。だけど、帰って来なさいって言う勇気がなかったの」

「なんで。あたしが、お母さんが想像してたあたしじゃなくなったから?」

「……そう」


 推測していたことを聞いてみると、お母さんは目を伏せがちに肯定した。家出をする前に見たお母さんとは、全く違う印象だった。

 あたしが突然いなくなって、だけどすぐに捜そうとはしなくて、外界センサの接続だけを回復させたその意図を、あたしは知らない。だけど、今あたしが見ているお母さんの表情が、あたしがいない間のお母さんの葛藤を物語っているように思えた。

 お母さんは、心の内で続けた葛藤とこれまでの自分の思いの全てを、あたしに打ち明けてくれた。


「人間と同じように成長するヒューマノイド……そんなの無理って思いながらおばあちゃんたちの思いを継いで、貴方を完成させた。赤ん坊の貴方は三十日で立てるようになって、一人歩きまでできるようになった。言葉を覚えるのも早くて、これなら人間の成長に同調させる課題も達成できると思った」


 過去を想起しながら話すお母さんの表情は、幼いあたしを見守っていた時のように穏やかだった。


「学校に行くようになってからは成長が著しくて、まるで本当の人間の子供だと勘違いしそうなるくらいだった。対等に会話ができるようになった時は、とても嬉しかったわ。その時はまだ、私は気付いていなかったのね。貴方に愛着が湧き始めていたのを」

「“愛着”……」

「ヒューマノイドとか関係なく、愛おしく思い始めていたのよ」

(“愛おしい”……)


 あたしがまだ知らない“愛”の種類を、お母さんは口にした。あたしは話を聞きながら、すぐさまメモリの中からお母さんとの過去の思い出を一つずつピックアップして、“愛おしい”とは何なのかを探った。


「だから無自覚に、母親のような言動を繰り返した。だけど、ある日アルヴィンに、貴方との距離感がおかしいから親代わりはやめた方がいいと言われたの。その時に初めて、槍で貫かれたようにはっとして、距離感を誤ってはいけないと思い直した。私は貴方の生みの親だけど、母親じゃない。私は国家プロジェクトに関わる一人で、開発責任者。そう意識を改めた。そしたら、貴方と喧嘩になった。

 私は貴方の開発者だけど、一番の理解者でいてあげなきゃならなかったのにね。今まで何度も助けてあげていたのに、急に突き放したら怒るのも当然よね」


 お母さんは、自分の過ちに気付いていた。そして、アルヴィンに指摘されてけじめを付けようと取ったあたしへの言動を悔いて、悲しそうにしていた。

 喧嘩の直後にそれを言われていたら、あたしはお母さんを責めていたかもしれない。けれど今は、自分の主張を押し通そうとして我儘にはならないし、お母さんの気持ちに素直に耳を傾けて、寄り添える。


「でも、アルヴィンの言うこともわかるよ。“開発者”と“手掛けた製品”との線引きを忘れたら、関係性がうやむやになってけじめが付かなくて、飴と鞭が飴だけになりそう。だからお母さんは、間違ってないよ」

「だけどね、さっきコウカが言った通りなの。

 初めて喧嘩をして不満をぶつけられて、途端に対処法がわからなくなってしまった。初めてのことに困惑したの。でも、望まない出来事が重なった所為だと思って、私が制御しなきゃって思って、調整するなんて言ってしまった。けれどそれが逆効果になって、どうするのが正解だったのかわからなくなって、自分に自信が持てなくなった」


 探している答えがわからない。離れている間のお母さんは、あたしと同じだったんだと知った。そして今も、あたしと同じ心境に陥って、自信をなくしている。


「だから、一度も連絡してくれなかったの?」

「心配はしていたけど、今の貴方をどの立場で受け止めてあげたらいいのかもわからなくなったの。

 開発者として接すればいいのはわかってる。だけど、母親のように接したいと思う自分もいる。わからないことを追求し続ける貴方を制御しなきゃならないと思いながらも、貴方の苦しみや辛さを何とかしてあげたいのも正直な気持ちだった」

「それって、どっちかじゃないとダメなの? あたしにとっては、どっちの立場でもお母さんはお母さんだよ」

「どっちかに決めておいた方がいいの。今は状況が不安な時でしょ。もしかしたら今後、由々しき事態が起きて、貴方をスリープ状態にしなければならなくなるかもしれない。それだけでは事態が収まらず、やむ無く解体ということになったら、注いだ愛情の分辛くなってしまう」

「“愛情”が、自分を苦しめてしまうの?」

「適度に愛情を注ぐことはいいと思うの。けれど、注ぎ過ぎると愛情は別のものになって、自分を苦しめることになってしまう。もしもその状態で永遠の別れが来てしまったら、そしたら私は、貴方のような子を世に送り出したくてもできなくなる。だから、けじめをつけなきゃいけないの」


 お母さんが言っていることは、理解できる。社会で働き始めて、仕事をする時の意識の切り替えや一人が背負う責任というものを、学ばせてもらった。


「仕事に従事する責任、てことだよね。あたしもアルバイトを始めて、仕事って自分の責任が伴うものなんだって初めて知った。チームワークも大事だけど、その前に、自分の仕事に対する心構えがしっかりしてなきゃ上手くいかない。

 お母さんは政府から期待されてて、背負うものが大きい。でもだからって心構えの軸がブレてたら、関わってるみんなに迷惑がかかる。だからあたしを言い聞かせようとしたのは、みんなの為でもあるんだよね。もうすぐ独立するあたしが、プロジェクトに関わった人たちを裏切らないように。ちゃんと役目を果たせる存在になるように」


 前なら、わからないことはわからないと突っ撥ねていた。だけど今は、理解に努めることができる。わからないことは切り捨てない。わからないことに苦しむことを、やめたりしない。


「でも、あんな言い方でわからせようなんて間違ってた。ちゃんと冷静になって話せば、どうした方がいいのか解決策を話し合えたのに」

「あの時は、あたしが一番悪かったんだよ。知りたいことが全然わからなくて凄く苛立ってて、八つ当たりしちゃったから。あたしはヒューマノイドなんだから、どんな時でも冷静でいなきゃならないのに、焦ってたから落ち着いて物事を考えられなかった」

「いいえ。私も悪かったの。ちゃんと話を聞いてあげられなくて、ごめんね」

「ううん。一人になって、お母さんのことをちゃんと考えることができたから」


 あたしとお母さんは、お互いの顔を見て微笑み合った。

 たった一回の擦れ違いで、人は理解を諦めたりする。考える余地があることも知らずに。あたしとお母さんも、もしも人間同士だったら、このたった一回の擦れ違いで何年も離れ離れになっていたかもしれない。だけどあたしは、お母さんに教えられていた。話し合うことが大事だと。それでお互いの理解を深められると。

 教えがちゃんと意味を成すということを、またお母さんに教えてもらった。お母さんから教えてもらうことなんてもうないんじゃないかと思っていたけれど、教えてもらわなきゃならないことがまだまだありそうだ。

 和解できたけど、あたしは聞きたいことがあった。話をした直後にこんなことを言うのはお門違いじゃないかと思ったけど、お母さんに伺いを立てるように聞いた。


「……あのね。お願いがあるんだけど、言っていい?」

「なに?」

「あと二ヶ月くらいであたしは一人暮らしを始めて、完全に独立した状態での運用が始まるでしょ。そしたら本当に大人の仲間入りだけど、不安とか、わからないことに躓くこともあると思う。不甲斐ないけど、一人じゃどうにもできないと思ったら、頼っていい?」

「柊くんがいるのに?」


 お母さんはからかった。そういうところ、カナンちゃんとそっくりだ。


「お母さんにも頼りたいの」

「いいわよ。いつでもここに帰って来て、何でも話して」

「それから……」


 お願いはもう一つあった。この質問は、ちょっとためらった。


「これからも、『お母さん』て呼んでいい? 迷惑だったら、もうお母さんとは言わない。『博士』にする。でもあたしは、お母さんのこと『お母さん』て呼びたい」

「コウカ……」


 今さっきあたしへの接し方に迷ってると話したお母さんに対して、この要望は更に悩ませるんじゃないかと思ったけれど、あたしはこのままがよかった。呼び方を書き換えることはできるけれど、20年近く『お母さん』と呼んできたから今更変えたくなかった。

 断られることも覚悟しながら、お母さんの返事を待った。するとお母さんは、あたしの肩をふわりと抱いた。


「コウカの好きなように呼んでいいわよ」


 お母さんは嬉しそうだった。接し方に迷ってると言っていたけれど、それがお母さんの本心みたいだった。その決心はけじめと言うよりも、切り替えの方なのかもしれない。

 あたしも嬉しくなって、お母さんに抱き着いた。


「お母さん。あたしを造ってくれて、ありがとう。お母さんの誇りになれるように、頑張るね」


 メモリからピックアップされたのは、お母さんが笑顔のシーンばかりだった。あたしの日々の成長に喜んだり、あたしのちょっとした勘違いに笑ったり、あたしが告白されたことに浮き足立ったり。

 どれも何気ない日常の一コマだけど、お母さんの笑顔がとても印象的だった。あたしに向けられるその笑顔は、母親が子供に向ける笑顔そのものだった。



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