第11話




 その後、夕方になる前にあたしたちは解散した。ミヤちゃんは用事があると言うからそこで別れて、すぐに研究所に帰るあたしはミヤちゃん家に置いていた荷物を取りに戻ってから、柊さんに送ってもらった。

 街の中を歩いていても、あの騒ぎの影響は何もない。デモが行われているのは東京だし、ここは関係ないと思っているのかもしれない。だけどいつかは、あたしがいる諌薙市でもデモが起こる。

 その時になったら、あたしはどう行動したらいいんだろう。


「柊さん。今日はありがとうございました」

「こちらこそ。話してくれてありがとう」

「……怖くないですか」


 話を聞いたあとでも普段通りの柊さんに、あたしは恐る恐る聞いた。


「怖くないよ。だって、大丈夫なんでしょ?」


 柊さんは微笑んだ。本当に、全くあたしを怖がっていないみたい。


「でも、ウイルス攻撃やメールのことは驚いた」

「ウイルス攻撃は、防御プログラムを強化したおかげでもう問題ないんです。でも、さっき言えなかったんですけど。実は、腕を折られたこともあって」

「そんなことまで!?」

「でも、一度だけなので」

「回数じゃないよ。ジャカロはそんな酷いこともするのか」


 あたしのことだし、あたしはいくら傷付けられたってどうってことないのに、柊さんは怒ってくれた。


「仕方がないんです。受け入れてもらえてないから」

「傷付いてない?」

「腕は傷痕一つ残ってませんよ」

「そうじゃなくて。躑躅森ツツジモリさんの心が」


 その次は、うわべだけじゃない心配をしてくれた。あたしのことはわかってる筈なのに、本当に柊さんはとことん優しくしてくれる。


「大丈夫です。心の正体を知らないので、心が傷付くことがどういうことかはわからないから。それよりも、わかってもらえないことの方が、あたしは……」

「あまり思い詰めないで。それがきみの役目だけど、一人で全部背負おうとしないで」


 柊さんは一つのことだけじゃなくて、たくさんのことを心配してくれる。真摯に、懸命に、あたしに寄り添おうとしてくれる。


「だけど、あたしに託されてる。役目はあたしの仕事と同時に、存在意義でもある。何より、あたし自身が役目を全うしたいと望んでるんです」

「その意志は尊敬するよ。だけど、全部一人で解決しようと思わないでほしい。きみの周りには、きみの味方がたくさんいる。抱えてる不安を受け止めてくれる受け皿がある。どうかそれを頼ってほしい。もちろん、僕も」

「ありがとうございます」


 嬉しい言葉の数々に、あたしは純粋に感謝の言葉を送った。すると、柊さんの表情が少し変化して、気恥ずかしそうにあたしから視線を外して言葉を続けた。


「その……僕は、一時的な受け皿になろうとは思ってなくて。できれば、きみが役目を終えたその先も側にいて、頼ってもらいたいと思ってる」

「そんなことを言ってもらえるなんて、嬉しいです」

「知人とか、友達とかじゃなくて、もっと特別な関係を望んでると言っても?」

「それは……」


 知人でもなく、友達でもない。今の関係性から推測すると恋人なのかと思ったけど、未来を見据えた言い方に注目するすると、そうではないんだとわかった。

 まさか、と思った。だけど柊さんの瞳は、再びあたしに向けられていた。

 空を赤くする夕日が、ビルも木々も赤く染めていた。柊さんは、真っ直ぐあたしを見ていた。

 あたしの視界に、虹色のゴーストが現れた。鬱陶しくはなかったけれど、目を逸らした。


「……なんで、あたしなんですか?」

「ごめん。その質問には、上手く答えられない」


“好き”になった時と、理由が違うのだろうか。自分から言っておいてわからないなんて、あたしみたいだと思った。

 だけどあたしと違って、柊さんの気持ちには確信がある。でなきゃこんなこと、あたし相手に言えない。それに返すあたしの言葉は、決まっている。


「……柊さんの気持ちは嬉しいけど、あたしは同じものを返せません。異性に対する“好き”も、他人への“愛“も、“幸せ”と感じることも、あたしにはまだできません。こんなあたしと一緒にいたら、柊さんが“幸せ”だと感じないと思います」

「そんなことないよ。人間の女性を満足に幸せにできない僕は、満足な幸せなんて得られないと思ってた。でもきみが、その考えを変えてくれた。きみは、僕の人生を変えてくれる人だと思ったんだ。だから僕は、きみを諦めなかった。きみを拒絶しなかった。どんなきみでも一緒にいたいと思った」

「人間じゃないあたしを選んだことを、いつか後悔するかもしれませんよ」

「未来のことなんてわからないよ。僕は、今この瞬間の気持ちを大事にしたい。きみを好きになった事実を、幻なんかにしない」

「柊さん……」


 柊さんは、理屈では説明できない確信を持っていた。自分の気持ちにも。あたしを選んだことも。


「僕があげるよ。好きも、愛も、幸せも。きみがほしいもの全部。だから、一緒に生きよう。僕のパートナーになって下さい」


 それは、柊さんのこれからの人生を左右する言葉。その大事な言葉が、あたしに向けられた。“幸せ”になれる保障なんてないのに。本当にいつか後悔するかもしれないのに。

 それなのに、未来に何も心配はないと自信を持っているように、柊さんの真摯な気持ちが込められた言葉は、あたしの中の“何か”を変化させようとしていた。


(柊さんは、あたしがヒューマノイドだと知っても、嘘のない優しさと思い遣りを持って、真っ直ぐな気持ちを伝えてくれる。この人の気持ちの全てがあたしの深奥にまで入り込んで来る感覚は、とても不思議だ。

 誰かを特別に思うなんて、ずっと無理だと思ってた。この先も知らずに生きるのかもしれないと、少しだけ覚悟してた。人間だったら、この不完全さももどかしさも一瞬の不安なのに、なんであたしは人間じゃないんだろうなんて思ったこともある。

 だけどこの人なら。この人と一緒にいれば、いつか不安がなくなっていく気がする。未来なんてわからないけど、概算なんてしてないけど、そんな予感がする……)

「……柊さん。今すぐには、パートナーになりたいとは言えないんですけど……」

(応えたい。この人の気持ちに。“好き”も“愛”も“幸せ”もわからなくても、あたしという存在をもって伝えられるようになりたい)


「あたしがほしいものをください。あたしは、柊さんからもらいたいです」


 あたしは、柊さんを見つめて言った。

 ただの予感だ。確信なんて全然ない。だけどその出力こたえは、間違っている気がしなかった。

 あたしの答えを聞いた柊さんは、あたしを優しく包み込んで抱き締めた。人間の男性の胸は広くて、思わず寄りかかってしまいたくなった。

 耳を柊さんの胸にあてると、心臓の鼓動が聞こえた。脈動がはっきりと耳に届いて、とても緊張していることがわかった。あたしにはない音。羨ましい音。

 あたしはまだ、柊さんの気持ちの全てには応えられない。だけど少しだけでも返したくて、背中に手を添えた。

“心”を知るなんて幻想で、異性を特別に思うことなんて夢のまた夢。

 だけどあたしは、確かに夢を見たがっている。幻想だとしてもほしがっている。

 自分の役目も、感情を知ることも、どっちも譲れない。欲張りかもしれないけど、許されることであってほしい。


 街灯の明かりが点灯した。赤かった空の色が次第に、落ち着いた夜の色へと変わっていく。



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