第5話
家出をしてからあっという間に日が過ぎて、あたしはもう二週間もミヤちゃんの家で過ごしてしまっていた。
こんなに長く家出をするつもりはなかったけど、未だにお母さんから連絡は来ないし、切断したカメラも回線も家出の初日に回復させた筈なのに、連れ戻しに来る様子もない。
(あたしのことだけが仕事じゃないんだし、他の研究で忙しいんだろうな。まぁどっちみち、単独運用になれば今までみたいな親密感はなくなるんだし、独立が少し早まったと思えば……)
「お待たせしました。ハンバーグとセットのライスです」
「ありがとうございます」
余計なことをニューラルネットワークの片隅で考えながら、昼休憩でお店に来ていた柊さんに配膳した。
あたしの柊さんへの認識は、何度か二人きりで会っているうちに、知り合いから友達に近い認識へと変わっていた。柊さんは、人としては“好き”だ。ミヤちゃんやカナンちゃんと同じように、あたしをあまりヒューマノイドとして見ないから。
実は、年越しカウントダウンイベントに一緒に行こうって誘われたけど、断った。それを二人に言ったら、なんで断ったんだと責められた。だってカウントダウンイベントに参加する男女は、だいたいカップルだ。確かに仲良くはなったけど、一緒にそんなイベントに参加するような仲じゃない。
あたしは「ごゆっくりどうぞ」と一言かけてテーブルを離れようとした。その時、柊さんに真っ直ぐに顔を見られていることに気付いて、何だろうと視線を合わせた。
「藤森さん。なんか、元気ない?」
柊さんはタメ口で聞いてきた。今までずっと敬語で、年上の人から敬語を使われるのは申し訳なかったから、タメ口で話してほしいとあたしからお願いした。敬称だけはそのままだけど。
「いいえ。そんなことないですよ?」
「そうかな。でも最近、いつもの藤森さんじゃない気がして」
「あたしは元気ですよ。ごゆっくりどうぞ」
そんなことはないと、あたしはいつものように笑顔で答えてテーブルを離れた。
だけど、なんでそんなことを言われたんだろうと不思議でならなかった。だって、接客マナーを教えてもらった時に表情を気を付けることも言われていて、ちゃんと表情や所作の計算をプログラムして正常に実行されている筈だからだ。
それなのに柊さんは、あたしの顔を見て「元気がない」と言った。もしかして、日々の業務で度々入力されることに影響して、僅かな誤差が生まれてしまったのだろうか。それともあたしには、本当は接客業は不向きだったんだろうか。
十分くらい自分の顔を触りながら考えていると、加賀美さんが不思議そうに話しかけて来た。
「どうしたの藤森さん。さっきからずーっと自分の顔触ってるけど」
「最近のあたし、どこかおかしく見えますか?」
聞かれた加賀美さんは、あたしの顔を5秒くらい真剣にじーっと見て、それから首から下も頭を上下してじっくり見た。
「おかしくはないけど。何か言われたの?」
「柊さんに、元気がないと」
「小さな変化に気付くなんて。さすが、よく見てるわね」
「柊さんて、そんなにあたしのこと見てるんですか?」
「うん。見てるよ」
知らなかった。どうやら柊さんは、来ると毎日あたしに視線を送っていたらしい。加賀美さんがそれを知っていたと言うことは、加賀美さんはずっと柊さんを観察していたことになる。
前にカナンちゃんに、“好き”な人はずっと見ていたいって聞いたことあるけど、好意がなくても異性を見つめるのはおかしくないんだろうか。
「でも確かに。私も最近気になってた」
「えっ。そうなんですか?」
あたしはまた自分の顔を触った。ヒューマノイドっぽい無機質な表情になって人を不快にさせないように、間違いなくプログラムしてある筈なのに、加賀美さんにまで指摘されてしまった。加賀美さんはあたしのことも観察してたんだ。
「よく何か考えてるなって思ってたんだけど、時々落ち込むような表情もするから少し気になってたの。ヒューマノイドなのに、考え事したりするの?」
「はい。今は、わからないことを分析できなくて悩んでて。ちょっと焦ってるのかもしれません」
「そうなのね……でもごめん。私、専門的なことはわからないから、何もアドバイスできないわ」
悩む後輩の力になれなくて、加賀美さんは少しがっかりした。あたしも力になってくれると期待していた訳じゃないから、気にしないで下さいと言った。
そしたら加賀美さんは、こんなことを言ってくれた。
「でも、一つだけアドバイスできるとしたら、考え事をひと休みするのも必要ってことかしら」
「ひと休みすることに、意味があるんですか?」
「意外とあるのよ。一度悩みから離れてみると、ふとした瞬間に『あ、そういうことだったんだ』って気付けることがあるの。藤森さんは、焦ってるって言ったわよね。それは、ヒューマノイドだからもっと頑張らなきゃって考えてるからなの?」
「そうですね。あたしにはこの先やらなきゃならないことがあるので、その為にも必要な気がして」
普通のヒューマノイドだったら、必要なことは最初からプログラムされて、あたしみたいにこんな悩むことなんてなくて、自分の使命に迷わず突き進める。あたしがこんなに拘ってるのは、「あたしになりたい」という目標をもっているからなんだろう。
悩み続けてるのに答えが出ないのは、とてももどかしい。思春期の時みたいに、やめようと決めればやめられる。でも、問題の出力を諦めたあの時と、悩みの解決方法を導きたい今とは、「やめる」の意味が違う。
「使命感に溢れてるのね。だけど、一度答えを出すのを諦めてみるのも一つの方法だと思うわ。焦って出した答えが、間違ってる可能性もあるからね」
そう言われて、あたしが考えていることを見透かされてるのかと思って、ちょっとびっくりした。
だけど、その時の心理状態で答えを間違えるなんてあるのだろうか。加賀美さんは人間だから経験でそう言ったんだろうけど、人間じゃないあたしにその例が当て嵌まるのだろうか。
「それにね。世の中にはまだ未解明なことがたくさんあるんだから、一つや二つわからないことがあったって置いて行かれないわ。藤森さんは私たち人間と同じで、学習しながら成長してきたんでしょ? 貴方より先に生まれた私にだって、この世の全てはわからないわ。未知なるものは、きっと永遠になくならないのよ」
「そしたら、永遠に知りたいことの答えを追い続けることになります。人間は、それを苦と思わないんですか?」
「物好きな人たちがいるからね。人間て、未知なるものに弱いのよ。今の藤森さんみたいね」
そう言って、加賀美さんは微笑した。
どうして人間は、わからないことを追い続け、永遠と繰り返される問題と解答を苦と思わないんだろう。それには、自然物と人工物の違いがあるのだろうか。
……ううん。たぶん、あたしが直面してる問題は、あたしだから苦になってるんだ。
普通のヒューマノイドだったら、こんな悩み事は苦じゃない。辛いなんて思わない。博物館の彼女も、他のヒューマノイドも、あたし以外のヒューマノイドはみんな、この辛さを知らずに働けてる。だから、人間と成長が同調する特質のあたしだけしかこの辛さはわからないし、答えを出せるのもあたししかいないんだ。
加賀美さんは、わからないことが一つや二つあっても置いて行かれないと言った。そうなのかもしれないけど、でも、あたしの知りたいことはわからないまま置いて行きたくない。特別な感情も、西銘くんとのことも、きっと、諦めちゃいけない大切なものの筈だから。
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