第6章 わからないこと─すれ違い─
第1話
喧嘩した翌日。お母さんは、いつも通りに研究室に出勤して来た。だけど寝不足らしく、目の下には薄ら隈ができていた。
(昨日は少し言い過ぎたかしら……でも私は、あの子の開発者で監督責任があるし、あまり干渉し過ぎると情に流される。
以前より人間に近くなり“自分”という概念を持つコウカは、もっと人間に近付くことを望んでいる。だから事実を認められなくて苛立ち、反発した。それは、開発の時点では予想していなかった、私たちが制御できない領域。けれど、それは無理だと教えなければならない)
「私がちゃんと理解させなきゃ」
研究室に入ると部下のみんなが既に出勤していて、それぞれの作業にあたっていた。
「おはようございます、博士」
お母さんは真っ先に、アルヴィンにあたしの様子を聞いた。
「おはよう。コウカは?」
「今日はまだ寝ています」
モニターには、あたしの部屋の様子が映し出されていて、ベッドに横になっている姿を捉えていた。時間は9時過ぎ。いつもなら、システムがオンラインになって起きている時間だった。
「おかしいわね。起動時間の設定に狂いはないんでしょ?しかも、今日は火曜よね。バイトのシフト、入ってなかった?」
「起動は確認しました。昨日のこともありますし、気分が優れないのかと様子を見ているんですが」
昨日あたしとお母さんが喧嘩したことは、チームのみんなに日報で共有されていた。これまでになく予測していなかった事態だから、お母さんは勿論、アルヴィンたちもプロジェクトへの影響を懸念して注視していた。もしも、あたしがみんなが望んでいない方向へ変化しそうになってしまったら、調整を視野に入れなければならないからだ。
「
本格的な運用がこれから待っていると言うのに、その前に人間から信用をなくされては困るのだ。お母さんはあたしの部屋に通じるマイクに向かって、寝ているあたしに声をかけた。
「コウカ。そろそろ支度しなさい。バイトの時間に間に合わないわよ」
お母さんの声は部屋に届いた。だけどあたしは起きる素振りをするどころか、無反応だった。
「無視してる?」
「いくら何でも無視なんて……アルヴィン。本当に起動したのよね」
「間違いありません。システム上では確認できています」
アルヴィンの手元のタブレット端末では、外界・内界センサと各モジュールが確かに接続されていることが確認できていた。それを見たお母さんは、訝るように眉頭を少し寄せた。
「あの子、起動してから動いた?」
「そう言えば……さっきオレも声をかけましたが、微動だにしませんでした」
「微動だにしない?」
「はい。だから、博士の所為で不貞腐れているのかと」
「喧嘩した私を無視するのはわかるけど、アルヴィンを無視するのはちょっとおかしいわ。前日に入力されたマイナス感情はリセットしないから機嫌が悪いのはわかるけど、敵意を表していないアルヴィンに対してそんな出力はしない筈だわ」
その通り。お母さん以外に不機嫌な態度を示すのは、確かに間違った出力だった。人間なら、不機嫌の究極状態で関係のない他の人にまで当たることはあっても、ヒューマノイドのあたしがそんな極端過ぎる出力をするのはあり得ない。
アルヴィンはもう一度マイクに向かってしゃべったけれど、やっぱりあたしの反応は見られなかった。するとその時、モニターを見ていたお母さんが僅かなノイズのようなものを発見した。
「……まさか」
不可解な状態の原因に気付いたお母さんは、直ぐさま研究所の監視システムにアクセスして、あたしの部屋を映すカメラの映像が現在のものであるかを確認した。すると操作した数秒後、ベッドに寝ていたあたしの姿は
「ダミー映像!?」
「誰か! すぐに部屋の確認を!」
お母さんの一声で、研究員の二人が慌てて走って行った。報告が来るまでの間、お母さんは研究所内の全ての監視カメラの録画映像の時間を遡って、あたしの姿を探した。
5分後。あたしの部屋とメンテナンスルームを確認に行った二人から、通信が入った。
「部屋にはいません!」
「メンテナンスルームの方も確認しましたが、こっちにもいません!」
「そんな。一体何処に……」
「コウカは既に敷地内にはいないわ。午前7時過ぎには部屋から出て行った」
モニターには、午前7時30分に部屋を出るあたしの姿と、その5分後に非常階段の扉を開けて今まさに家出をする瞬間のあたしの姿が、一時停止されて映し出されていた。
「部屋も非常階段の扉も、ロックがかかっている筈。しかも非常階段の方は、防犯対策で緊急時以外には容易に解錠できないようになってる。それをいとも簡単に……」
信じられないと言う顔でアルヴィンが言った。
「ダミー映像に、研究所のシステムへのハッキング……イントラネットへのアクセス権限を許可していたのが、仇となったようね。こんな悪いことをする子になるなんて」
「両眼カメラにも接続できなくなっています。こちらからの呼びかけにも応答ありません!」
「あの子そこまで……」
みんなはあたしの現在の様子を知ろうとしたけど、すぐに連れ戻されたり干渉されないように、遮断できるものは全てシャットアウトしていた。予期してなかったあたしの行動に、お母さんも動揺を隠し切れない。
だけど残念ながら、あたしは一つだけシャットアウトができなかった。
「GPSは?」
「生きてます。勝手に接続を切断できない設定にしておいて、よかったですね。すぐに連れ戻しましょう」
アルヴィンは言った。あたしの異常な行動はみんなを不安にさせ、プロジェクト継続の危機さえ頭を過っているだろう。それ以上に、自分たちに制御できなくなったことに対する恐れもあるかもしれない。
その恐れは、あたしを抑制する力になる。けれど強制的に抑制してしまえば、プロジェクトの意義を問うことになる。強制されるのはあたしも嫌だし、お互いに対立することになればそれこそプロジェクトは頓挫してしまう。
お母さんはみんなと考えを同じにしながら、この事態をどういう方法で元の道に修正するかを考えた。規格外な上に未知の進化を遂げようとしているものを、どう扱うべきかを。
そして、出した答えが。
「……いいえ。行かなくていいわ」
「何故ですか。ジャカロの動きに警戒しなければならないのに、放置するんですか!?」
楽観視できない現況を危惧するアルヴィンは、反対した。恐らく、チームのみんなの気持ちは同調している。でもお母さんは、冷静に判断していた。
「放置する訳じゃないわ。それにきっと、あの子はそんな遠くへは行かない。居場所がわかれば、何かあっても駆け付けられるわ。それに今は、離れてた方がいい」
「博士……」
「でも、黙ってマーカーを睨んでいるつもりはないわ。至急、両眼カメラの接続を復旧させて」
お母さんの指示で、チームのみんなが再び動き始めた。単純に遮断しただけだから、すぐに接続は回復してしまう筈だ。
お母さんは事態の報告をする為に、由利さんへメールを送ろうとタブレット端末を手にした。
「博士。カメラだけでいいんですか?」
「でないと、また喧嘩になるわ……昨夜は少し言い過ぎたと思う。だけど私は、あの子の開発者だから。あなたの忠告で、自分の振る舞い方を考え直したのよ」
「それで正解なんですよ。博士もオレも多分、間違ってないと思います。コウカが成長し過ぎてしまっているんです。彼女はもう、オレたちが考えていたヒューマノイドとは全く違う存在です。ヒューマノイドという種別に括っていいのかすらわかりません」
「人間に近い存在を造ったつもりが、人間と差異のない存在になってしまった……私はいつの間にか、あの子を本物の人間だと錯覚していたのかしら」
そう言うお母さんの声音からは、いつもの毅然さが失われていた。それは、アルヴィンにもはっきりとわかった。長年一緒にプロジェクトに関わってきて、お母さんの胸の内もわかっていた。
「思い入れが強かったんじゃないんですか。博士のお母様方の思いを、引き継いだんですから」
「そうかもしれないわね」
「なので、そんなに落ち込まないで下さい。いつもみたいに毅然と構えて下さいよ」
「そうよね……だけどアルヴィン。私はあの子に、どう接するのが正解なのかしら」
途方に暮れるお母さんはアドバイスを求めたけれど、アルヴィンは何も返さなかった。アルヴィンもまた、はっきりとした答えを持っていなかったから、何も言えなかった。
正そうとした道は本当に間違えていなかったのかと、お母さんは迷子になっていた。お母さんは会社の社長で、研究所の所長。そして、あたしの生みの親。引き継いだ思いと、いくつもの肩書きを背負う所為で、自分がどの立場でいるべきかがわからなくなってしまったのかもしれない。
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