第9話
近頃のあたしの周りでは立て続けに色んなことが起きたけど、翌日からはいつもと変わらない平凡な日常に戻った。けれど、一つだけ小さな変化が起きていた。それに気付いたのは、加賀美さんだった。
「そう言えば。今日はお冷やのお客さん来なかったわね」
あたしは全く気付いてなかったけど、常連の柊さんが来ていなかった。まぁでも、常連さんだって必ず毎日来る訳じゃないし、一日来なかったくらいで大して気にすることでもなかった。
ところが翌日も来ることはなく、その次の日も来なかった。それが毎日続いて、柊さんは七日間連続でお店に顔を出さなかった。
「お冷やさん、もう一週間来てないわ。どうしたのかしら」
みんなで付けたあだ名を口にしながら、加賀美さんは心配していた。きっと市役所の仕事が忙しいんだろう。Alの手を借りてはいるだろうけど、やるべき業務が山積みになっているのかもしれない。お昼ごはんを外でゆっくり食べている暇もなく、コンビニおにぎりですませているのかもしれない。
あとの可能性としては体調不良だけど、病院で診てもらって身体を休ませていれば大丈夫だ。前日に会った時は体調が悪い様子はなかったから、そんなに心配はいらないと思う。
そう推測した翌日。お昼のピークが終わって間もなく、八日振りに柊さんがお店に来た。カウンターにいたあたしは、笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
柊さんはいつもと変わらない様子で、病み上がりでもなさそうだった。やっぱり、仕事が忙しかったんだろう。
席に案内するといつも通りに注文して、ロボットが運んだ料理を最後まで完食した。でも今日は、お冷やのおかわりはしなかった。
席を立ち上がった柊さんは会計をすませると、近くにいたあたしに声をかけた。
「ごちそうさまでした。あの、藤森さん。少しだけお時間いいですか」
「お客さんもいないので、大丈夫ですよ」
店内にいるお客さんは、柊さんだけだった。柊さんも店内をちらりと見て、人目を憚る必要がないことを確認すると、こう言った。
「あの……やっぱり僕は、藤森さんが好きです」
まさかの二度目の告白をされた。過去にない例にあたしは少し驚いて困惑したけれど、二度目だからと言って例外はない。
「でも、あたしは……」
「わかってます。本当の藤森さんのことを信じてない訳じゃないんです……断られて、本当の藤森さんを知って、ショックでした。この恋は諦めなきゃいけないんだと、すぐに理解しました……だけど、どんなに諦めようとしても、貴方のことを考えれば考える程気持ちを忘れられなくて。寧ろ諦めたくなくなってきて。一週間考えて考えて、もう一度告白しようと思って今日来ました」
あたしに一度フラれたのに、一生かかっても叶わないかもしれないのに、柊さんは真面目な顔をして言った。その気持ちは嫌じゃないし、迷惑という訳でもない。でも、お母さんに聞いたことがある。人間は時として、正常な判断ができないことがあると。
「……あの、柊さん。気持ちは嬉しいんですけど、その気持ちには答えられないんです」
「僕が人間だからですか。確かに人間とヒューマノイドが付き合うなんて、世間体が気になりすよね。そんな噂が広まったら、メディアに騒がれるし」
「そういうことじゃなくて。それ以外の重要な、根本的な理由があるんです」
「根本的な理由?」
「そもそも“好き”がわからないので、恋なんてできないんです。だからお付き合いするのは無理なんです」
「……やっぱり、諦めなきゃダメなんですか」
柊さんは、諦念を声音に滲ませて言った。
「その方がいいと思います。柊さんの為にも」
あたしが交際をはっきり断っているのは、柊さんの為でもある。二回も告白してくれて嬉しいのは正直な気持ちだし、この人もあたしの味方になってくれる人なら仲良くはしたい。だけど、特別な関係にはなれない。いつか関係性が変わるかもしれなくても、今はその可能性の計算はできないから、無責任に了解できない。
やっぱり柊さんには、諦めてもらうしかなかった。それでも。
「嫌です。諦められません」
柊さんは引き下がらなかった。
「人間が本気でヒューマノイドに恋をするなんて、普通なら頭がおかしいとしか思われません。でも僕は、一週間考えても思いが消えなかったんです。それなのに、どうしたら僕は諦められるんですか」
「そんなことを言われても……」
「僕は藤森さんが……いや。
「でも、それじゃあ柊さんを道具にしてるようで嫌です」
「僕は構いません。躑躅森さんの役に立てるなら。だから、僕と付き合ってくれませんか」
柊さんは頭を下げて、右手を差し出した。これは初めてのパターンだ。握手を求められてるんじゃないけど、この手を握れば交際の申し込みを受け入れるということになる。
柊さんは正常な判断ができていない訳ではなく、本気のようだった。表情を見れば一目瞭然だった。「役に立ちたい」なんて言う台詞も、あたしを枠組みで括らないで同等に見てくれなきゃ言えない。
あたしは十秒程黙って、一応申し入れを改めて検討してみた。だけど。
「ごめんなさい。やっぱり無理です。“好き”がわからないままじゃ、柊さんを傷付けてしまうかもしれません。だから、ごめんなさい」
頭を下げて謝った。現状では、柊さんの気持ちには応えられない。“好き”を理解したいけれど、誰かを実験台みたいに利用して概念を得る手段は取れなかった。それは、ただ柊さんの気持ちを弄ぶ結果になってしまう。自分の利益の為だけに受け入れるのは、悪いことだと思う。
あたしの答えを聞いた柊さんは、頭を上げた。
「わかりました。じゃあ、また改めて告白します」
「え?」
柊さんは諦めるどころか、意気込んでさえいた。さっぱり理解ができなかった。
「躑躅森さんは、僕という存在を利用するべきです。それに気付くまで、何度でも告白します」
そう宣言して、柊さんは仕事に戻って行った。
理由も含めてはっきり断ったのに、二度の失恋にもめげないのは、もはや意地じゃないかと思った。ヒューマノイドのあたしに恋をするなんて、本当にどうかしてる。
あたしはこの事象の原因として、やはりきっと日々激務を強いられていて疲れているんだと推測し、正常な判断の低下という原因を最有力候補にした。
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