第8話
「ただいまー」
「見てたわよコウカ! 告白されちゃったわね!」
帰って来た途端に、お母さんに抱き着かれた。仕事の行き帰りだけはモニタリングされてるから、ばっちり見聞きされてたみたい。
「お母さん。なんでそんなに興奮してるの。今までも二回あったじゃん」
「相手の人、良い人そうだったじゃない。なんで断ったの?」
「聞かなくてもわかるでしょ」
「そうだけど。一度お付き合いしてみれば、好きがどういうことなのかわかるかもしれないわよ?」
「じゃあ、“好き”じゃないのに付き合うの? 人間はみんなそうしてるの?」
「中にはそういう人もいるわよ」
「その人は、相手を好きになる確率が高いから付き合うの?」
「確率の計算なんかしてないわよ。気が合うとか顔が好みとか、直感で決めてるのよ」
「そんな、数字で示せない不明瞭な理由で動けないよ」
「数字なんて結局あてにならないわよ。とにかく、一度付き合ってみればいいじゃない」
シビリロジー研究者としてそういうアドバイスはどうなんだろうって疑問だけど、お母さんは50歳を過ぎても昔と変わらないノリであたしの後押しをした。
「博士。夢を見るのも大概にした方がいいですよ」
あたしたちの話の間に入って来たのは、アルヴィンじゃなくて由利さんだった。アルヴィンは今、別件のプロジェクトを任されていて研究室にはいなかった。それにしても、総括会議をする日でもないのに、由利さんが研究所に来ているのは珍しい。
「夢は見てないわ。僅かでも確率があるなら希望を持つわ。コウカだって告白は断ったけど、好きという感情をまだ理解したいと思ってるから、分析し続けてるんでしょ?」
「諦めてはいないんですか?」
二人から視線を向けられたから、あたしはその質問に答えた。
「お母さんの言う通りだよ。あたしは“好き”を知りたい。恋だって、できることならしてみたいよ。人間をもっと知る為に」
「貴方に人間の感情の全てを理解することは、不可能です。それはもう既に、十分わかっているでしょう」
「そうだけど」
「探求心は褒めますが、目先の欲求よりも、貴方は未来を見ないといけない。わからない感情の理解に傾倒して、役目を忘れられたら困ります」
最近の由利さんは冷淡な感じが和らいで、印象が変わってきたと思っていたのに、今は完全に仕事モードの由利さんだ。表情と声音から、あたしの自我を抑制させようとしているのがわかった。
「ちょっと由利。少しはこの子の意志を尊重してあげなさいよ」
「意志は尊重します。それと夢を見させることは、全く違いますよ」
「あんたねぇ……」
また無愛想な行政官の顔を出す由利さんに苛立ったお母さんは、由利さんの正面に立って腕を組み戦闘態勢を取った。
「コウカの存在理由は、もはや一つだけじゃないのよ。この子にはこの子の意志があって、既に私たちが
「それは、彼女を造った意図と相違があります。確かに彼女は自由に物事を考え行動できますが、本来の目的を忘れられては、投じてきた全てが無駄になります」
「あんたも国の利益しか考えてない訳?」
「お母さんっ」
眉頭を寄せたお母さんが由利さんに噛み付きそうになるところを、あたしは制した。あたしからも由利さんに言いたいことがあったから、それを伝えたかった。
「由利さんの言うことはもっともだよ。あたしの存在理由はあたしの為だけじゃないし、国のプロジェクトで造られたことは忘れてない。でもね、感情の理解ができないってわかっていても、わからないままにしたら自分じゃないと思うんだ。だからあたしは分析し続けてる。“好き”がなんなのか。誰かを特別に“好き”になることの意味を。ここで諦めたら、あたしが不完全で生まれた意味もなくなっちゃうんじゃないかな」
「コウカ……」
「あたしのこの追求は、きっとこの国の未来に役立つよ。でなきゃ、とっくに諦めてる」
「コウカさん……」
思考力はもう十分だとそこで満足したら、きっとあたしはそこまでの働きしかできない。もしも100の可能性があったとしても、10の選択肢しか選ばなくなってしまう。今は自分の為の追求だけど、本格運用になれば必ず誰かの役に立つ能力になる筈だ。あたししかできないことが、できる筈だ。
あたしの思いを聞いた由利さんは、目を伏せて思惟をした。今やプロジェクトチームを束ねる肩書きの人だけど、気持ちを汲むことはできる人だ。
「……貴方の主張も一理ありますね。わかりました」
「由利……」
「新型とは言え、限界を越えることは難しいと決め付けていました。貴方は、限界など設定していなかったのですね。その心意気に感服しました」
由利さんは、あたしの意志を尊重してくれた。それは、由利さんが初めてあたしを認めてくれた証でもあった。立場を考えれば、あたしを説き伏せるべきだった筈なのに。
あたしは由利さんに感謝した。そしてその期待に応える為にも、より分析を進めようと追求に励むことを固く決めた。
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