第7話
レストランで仕事を始めて、早六ヶ月が経過した。仕事はもはや、あたしのライフワークとなった。メディアのドローンも現れないし、水を差されるような出来事もなく、先輩スタッフの皆さんたちと
襲撃事件後、ジャカロの要求に対する返答の為の会議が開かれていたが、政府は一ヶ月後「社会に必要な技術を手放すことはない」と回答した。その回答を前もって知っていたあたしたちは期日前から再度の襲撃を警戒していたけれど、被害届と訴訟が効いているのか、回答から更に一ヶ月が経過した現在もジャカロは沈黙し続けていた。
一応、警察の聴取には素直に応じたらしい。ただ、聴取をされたのは西銘くんではなく違う人だったとあとで聞いた。
今日も何事もなく無事に仕事を終え、あたしは帰宅の途に着いた。その最寄り駅へ向かっている途中、誰かから声をかけられた。
「あの、すみません」
聞いたことがあるとすぐにわかったあたしは、振り返った。
「あそこのレストランの方、ですよね」
「はい」
(お水をよく飲むお客さんだ)
やっぱり声の主は、いつもあたしにお冷やのおかわりを頼む、20代の男性の常連さんだった。眼鏡をかけて真面目そうだから、加賀美さんたちはお役所勤めの人だと推測してる。
「仕事の帰りですか?」
「はい」
「僕も、仕事が終わって帰るところなんです。その……よかったら、ご一緒してもいいですか?」
「?……はい」
首を傾げそうになったけど、知っている人だし一緒に帰るくらいはいいかと思って、了承した。あたしがトラムの駅へ再び歩き出すと、その人はあたしの横を歩いた。
「えっと。お名前は藤森さん、ですよね」
「はい。ですが、そちらのお名前をあたしは知りません」
「あっ。そうですよね。僕は、柊です。
「あたしのフルネームは、藤森杏花です。19歳です」
「19歳……」
常連の柊さんは、あたしの年齢を聞くと何か躊躇するような反応をした。あたしが年相応に見えなかったのだろうかと、特に気に留めなかった。
「柊さんは、市役所でどんな仕事をしているんですか?」
「僕ですか。僕は、市民環境保全課という部署で、人間とAIの生活環境の維持と向上をさせる仕事をしてます」
「それは、両者が平等に生活や活動をしやすくするように環境を整える、と言うようなことでしょうか」
「そうです」
「素晴らしいお仕事をしているんですね」
「ありがとうございます」
駅までの距離がそこまで遠くなかったから、大した話をしないまま五分程で到着した。あたしと同じく仕事を終えて帰る人たちが、ホームで次の便を待っていた。
「トラムで帰るんですか」
「はい。柊さんもトラムですか?」
「僕は、地下鉄です」
「地下鉄の駅はこっちではないですよ?」
「そうなんですけど……」
「それとも、今日はトラムで帰られるんですか?」
「そういう訳でもなくて……」
あたしが疑問を投げかけても、柊さんは何だかはっきりしない物言いを繰り返した。
柊さんがここまで一緒に来たのは、あたしと帰る為。でも地下鉄に乗って帰るのに、こっちまで来てしまったら地下鉄の駅へ戻らなければならなくなり、帰り道が遠回りになる。それをわかっていながら、わざわざ遠回りする理由が不明瞭だ。そもそも、行きつけのレストランのスタッフで顔馴染みとは言え、一緒に帰りたがったのは何故だろうと、あたしは疑問に思った。
疑問を投げかけようかと顔を見たけれど、またはっきりしない物言いをしそうだった。でも、すぐに解決したい疑問でもないから、また今度でもいいと判断した。
「あの。もうお話もなければ、これで失礼します」
あたしはきっちり45度のお辞儀をして、ホームに行こうとした。ところが。
「待って下さい!」
呼び止められて、あたしは再び振り返った。
「何ですか?」
「えっと……」
呼び止めた割には、首の後ろを触って何か言いたげにしているだけで、用件をなかなか言い出さない。この人は何をしたいんだろうと、また新たな疑問ができた時だった。
「あの僕、年上ですけど……よかったら、付き合ってくれませんか」
意を決した柊さんは、真剣な表情で言った。
「え?」
「僕は、藤森さんが好きなんです。付き合って下さい」
「……」
加賀美さんが言っていたことは、正しかったらしい。あたしだけに何度もお冷やのおかわりを頼む理由が、この時ようやくわかった。これは、経験のある人間にしかわからない。
「ごめんなさい」
とは言っても、やっぱりどうにもならないので、いつも通りに断った。そしたら柊さんは、断られた理由をすぐに聞いてきた。
「どうしてですか。年上だから? それとも、付き合ってる人がいるんですか?」
「あたしは、恋愛ができないんです」
「できない……?」
「あたし、人間じゃないので」
「……え?」
こういう時は遠回しに説明するよりも、手っ取り早く正直に正体を明かすに限る。そうすればすんなり諦める筈だと、過去の経験から断定した。
「藤森杏花と名乗りましたけど、偽名なんです。あたしの本当の名前は、
「…………あ」
あたしの本名に聞き覚えがあった柊さんは、口を開けて約五秒間沈黙した。普通ならこれで十分なんだけど、でも柊さんはそれだけじゃ引き下がらなかった。
「……で、でも。見た目が違うし。全然人間にしか見えないし……」
「じゃあ。あたしの目を覗いてみて下さい」
自分がヒューマノイドだとすぐに証明できるわかりやすい証拠を指差して、あたしは言った。柊さんは躊躇したけど、ゆっくりとあたしの顔に自分の顔を近付けて、両目を覗いた。その時、カメラがオートフォーカスする。
人間の眼球にはない機械的な動きを見た瞬間、柊さんはサッと身体を引いた。表情を見る限り、わかってくれたみたいだった。
「なので、人間と恋愛はできないんです。ごめんなさい」
丁度その時、次の便のトラムが到着した。あたしはもう一度お辞儀をして、駆け足で乗り込んだ。発車した窓から見た柊さんは、呆然と立ち尽くしているようだった。
身体の一部だけだけどちゃんと示したから、あたしが人間じゃないことは理解してくれた筈だ。もう告白もしてこないだろうし、お冷やのおかわりを頼むこともなくなるだろう。
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