第6話
研究所に戻ると、すぐに修理を始めてくれた。破損した腕は、丸ごと取り替えることになった。胴体と繋がっている特殊樹脂と人工幹細胞をメスのようなもので切り離し、右腕を取り外して新しい腕を取り付けた。ただ、皮膚はすぐには完璧に直せない。
真皮と皮下組織の代わりの特殊樹脂は、接着すれば胴体の方と繋げられるけれど、表皮の人工幹細胞は人間の傷口の治癒と同様に、自然に繋がるのを待たなければならない。だから、一週間は仕事を休まないといけなくなった。仕事にはそんなに影響は出ないかもしれないけど、念の為だ。
電話で店長に事情を話したら、大丈夫だよって明るくフォローしてくれた。あたしの周りは、本当に優しい人ばかりだ。
あたしの修理を終えたお母さんは、由利さんに連絡した。長いコールを続けると、ようやく由利さんが応答した。
「何ですか。もう夜中ですよ」
既にベッドに入っていた由利さんは、眠そうな声音だった。反してお母さんは、切迫した状況を伝える声音で言った。
「コウカがジャカロに襲われたわ」
「そういった報告はメールでお願いします。非常識な人ですね全く」
しつこいコールで夜中に嫌々起こされた由利さんの苦情を無視して、お母さんはキーボードを操作しながら状況報告する。
「襲われたのは約三時間前。仕事の帰りで、研究所の最寄り駅を出て間もなく、ワンボックスカーに押し込まれた上に、右腕を折られた。修理は終わったけど、皮膚の完治までは一週間程度かかるわ」
「相手は、本当にジャカロなんですか。行き過ぎた嫌がらせでは」
「ジャカロに間違いないわ。コウカの運用中止を一ヶ月以内に発表しろと、直接私たち宛に改めてメッセージを送って来た。今、録画した映像を添付したメールを送ったわ」
寝ぼけ眼の由利さんは面倒臭そうにしながらも、起き上がって事実確認をする。
「……パソコン起動。新着メールの添付ファイルを再生」
ベッド横にあるデバイスに向かってそう言うと、デスクのパソコンが真っ暗な部屋の中に空中ディスプレイを浮かび上がらせる。起動が完了すると、指定されたメールの添付ファイルが自動で再生され、眠気が覚めた由利さんは真剣に映像を観た。
「……確かに、ジャカロのようですね。彼女の腕を折った人物は、知り合いなんですか?」
「コウカの小学校の時の同級生よ」
「西銘と言うことは、ジャカロ代表の西銘芳彰の息子ですね。彼には子供が一人いた筈ですから」
「由利。早急にジャカロへの対応を検討してほしい。この動画があれば、さすがに政府も動いてくれるわよね」
「取り敢えず明日……と言うか、日付的には今日ですね。登庁したら、私から報告しておきます」
「頼むわよ。私たちと政府を繋いでいるのは、あんただけなんだから」
「わかりました。最善の解決策を提示できるよう、善処します」
由利さんは約束通り、プロジェクト取り纏め役の上司に報告をしてくれて、その翌日から対策会議が開かれた。
そして事件の一週間後、皮膚が完治したあたしは仕事に復帰した。お母さんには、会議で結論が出されるまで休んだ方がいいと言われたけど、恐らく猶予の一ヶ月は何もしてこない。余計な行動をすれば要求が飲まれないことは、向こうもわかってる筈だ。でも、何もしてこないとも限らなかったから一応警戒はしていたけど、黒いドローンが周囲を飛ぶくらいで、襲われることはなかった。
あたしが仕事に復帰したその日。由利さんからお母さん宛にメールが来た。ジャカロの要求への対応が決まったようだけれど、文面を読んだお母さんはすぐさま由利さんに電話した。
「ねえ。これ、どういうこと?」
「読まれた通りです」
「『被害届を提出し、器物損壊罪として訴訟を起こす』って。それだけ?」
決定した対応に納得できないお母さんは、不満が爆発しそうだった。電話口の声だけでそれを察した由利さんは、いつも通りの落ち着きで理由を説明した。
「ひとまずは、です。結論はそう簡単には出ません。猶予は一ヶ月あるので、期間内に意見をまとめるまでの間で、ジャカロを不利にする為の先手を打つことになりました」
「つまり、こういうこと? 訴訟を起こしてジャカロをこれ以上動きづらくして、政府は一ヶ月後、要望に応じない意志を示す。と言うこと?」
意図を解釈したお母さんの眉間に、皺が寄せられる。
「そういうことです」
「でも待って。訴訟を起こすって言ったって、実際には裁判まで一ヶ月以上かかるでしょ。それに、そんな見え透いた作戦なんて通じないわよ」
「わかっています。しかし、警察沙汰にされたり訴訟を起こすと言われれば、どんな大企業でも大人しくなるのが普通です。世界の国々と繋がるジャカロも、取引相手や支援者の印象を悪くしない為に下手に出ないでしょう」
「言ってることはわかるけど、ただの一時凌ぎに過ぎないわ。コウカの腕を折って『次はこの程度じゃすまない』って言ったやつらが、素直に取り調べに応じて罪を認めて、以降は大人しくなると思ってるの?」
「私も言いましたよ。今回の出来事がジャカロの本気の一端なら、こんな方法では止められないと。ですが、なら向こうの要求を飲むのかと」
由利さんも疑問が残る判断に意見してみたようだけれど、上の人たちは聞く耳を持たなかったみたいだった。お母さんはうんざりした様子で、深く短い溜め息をついた。
「お偉方はどうしても、貪欲に世界中から称えられたいようね。コウカはもう完成と言っていいレベルなんだから、事態が落ち着くまで活動を控えさせて、その間にジャカロを取り締まればいい話じゃない。それじゃダメなの?」
「継続して運用することで世界に技術を知らしめる、と考えているんですよ。だから本格運用を目前に、止める訳にもいかない。こういったイレギュラーに対しても的確かつ速やかに対処できれば、彼女の価値も高められる」
「コウカの価値? あの子の価値は、そんなことで決められるものじゃないわ」
「同感です。とにかく。一行政官の私にできることは、さほどなさそうです」
「わかったわ……ありがとう、由利」
がっくり肩を落としながら、お母さんは由利さんにお礼を言った。ところが、電話の向こうの由利さんからは何の反応も返って来ない。
「由利。もう切ったの?」
「いいえ。唐突に感謝されたので、自分の耳を疑っていました」
滅多に聞くことがないお母さんからの感謝の言葉に驚いて、絶句していたらしい。確かに、普段の関係性を見ていれば、急に言われる筈のない言葉を言われたら幻聴かと疑うかもしれない。
「私だって、お礼の一つや二つ言うわよ」
「私のことは嫌いなのでは」
「仏頂面のお堅い行政官は好きじゃないわ。でも、最近のあんたは前に比べて変わったから、そんなに嫌いじゃないわよ」
「……ありがとうございます」
感謝の言葉も、そんなに嫌いじゃないという言葉も、すぐには信じられなかった由利さんは、感情がこもっていないお礼を言った。それが不満なお母さんは「もう少し感情こめられないの?」と文句を付けたけれど、二人の関係性が少し変化した瞬間だった。
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