第3話




 月日は過ぎて、二年生の夏。屋内プールでの水泳の授業を、ジャージを着て見学していた。あたしが水泳の授業に参加できない理由は、言うまでもない。

 みんな、ノースリーブのウェットスーツみたいな水着を着てコースを泳いでる。ミヤちゃんもクロールを泳いでいて、そのとてもきれいなフォームを見つめていた。


「ミヤちゃんて、意外と運動神経いいよね。100メール走はクラス上位だし、水泳のタイムもいいし。でもなんでか、球技は全然ダメみたいだけどね」


 あたしの隣の同じくジャージ姿のカナンちゃんが、いつもの六割くらいの明るさで言った。今日は生理だから見学してる。初日だから“生理痛”が酷いって言って、三時間目まで保健室で休んでた。


「もう休んでなくていいの?」

「うん。薬飲んで寝たら軽くなった」


 小学校の授業で生理のことも勉強したけど、お腹が“痛い”とか“重い”は、あたしには理解が難しかった。しかも“重い”は重量を指してる訳じゃないから、余計にわからない。

「お腹の中にまだ赤ちゃんがいる訳でもないのに“重い”ってどういうこと?」って、ミヤちゃんとカナンちゃんに聞いたことあるけど、二人して「ドーンとかズーンて感じ」って擬音で抽象的に説明されて、全然出力できなかった。人間て複雑だけじゃなくて、奥が深い。


「ねえ、カナンちゃん。カナンちゃんて今、思春期なの?」

「えっ。何、急に。まぁ、そうだと思うけど。なんで?」

「思春期と同じくらいの時期に、生理って始まるんだよね。自分は今、思春期なんだって自覚あるの?」

「何その質問」


 あたしの質問がおかしかったみたいで、カナンちゃんはくすくすと笑った。


「コウカちゃんだって……って、そっか。コウカちゃんヒューマノイドだから、ないのか」

「うん。だから、どういう状態なのか教えて」


 今日はタイム測定の手伝いもないし、見学してるだけじゃ暇だから、思春期のことを学習する時間にすることにした。


「小学生の頃と変わったことでいいのかな。えっとね。一人でお風呂に入るようになったよ」

「それが、思春期?」

「小学生の時まではお父さんと入ってたけど、裸見られるのが嫌でさ。それに、ちょっと臭いし」

「お父さんのこと、“嫌い”になったの?」

「嫌いじゃないけど、もう子供じゃないし、あんまり親とベタベタしなくなったかな。たまに一緒に出かけることはあるけど、友達と過ごす時間が増えてきたかな」

「思春期はそれだけ?」

「あと。昔より男の子を意識するようになったかな」

「異性として見始めたってこと?」

「そうだよ。小学生まではあんまり恋愛には興味なかったんだけど、中学生になったくらいから恋愛に興味を持ち始めたの。彼氏と付き合い始めたのも最近だしね」


 カナンちゃんの彼氏は年上だ。友達を介して知り合ったみたいで、デレデレされながら写真を見せてもらった時、ミヤちゃんからはイケメンだって言われてた。


「彼氏は高校一年生だよね。年齢が離れてても、価値観とか擦れ違いは起きないの?」

「ない訳じゃないよ。年下の私が子供っぽいこと言って、喧嘩になることもあるし。でも、ちゃんと理解しようとしてくれるの。大人だよねー。優しいし、甘えさせてくれるし。私、彼のこと大好き」


 カナンちゃんはほのかに頬を赤くして、笑顔で言った。今ここに彼氏がいる訳じゃないのに、“好き”な人のことを思い出して“嬉しそう”だった。“好き”な人を思い出すだけでそんな表情になれるのは、なんでなんだろう。それも気になったけどその疑問は後回しにして、あたしは素朴な質問をした。


「ねえ。思春期って、誰にでもあるの?」

「あると思うけど、あんまり意識しない人もいるらしいよ。その人たちの中で、メタバース空間で自分と家族のアバター作って、思春期を真似する“思春期ごっこ”が流行ってるんだって」

「二人共。何話してるの?」


 休憩時間になって、ミヤちゃんがプールから上がって来た。カナンちゃんが思春期ごっこの話をすると、二人はその話に夢中になった。あたしも二人の話は聞いてたけど会話には入らなくて、聞いてる傍らで別のことが気になってしまった。


 その日。研究所いえに帰ったあたしは、いつもと違う行動を取った。


「コウカ。お帰りなさい」

「お母さん、ただ……」


 廊下でお母さんと出会したあたしは、「ただいま」と言おうとしてやめた。あたしが途中で口を噤んだことに、お母さんは不思議そうな顔をした。違う行動はそれだけじゃなくて、いつもなら帰ったら研究室に行くのに、今日はそのまま自分の部屋に戻った。


「……あとでメンテナンスするから、来なさいよ」

(どうしたのかしら?)


 お母さんは、あたしが突然出力した奇妙な行動に首を傾げ、研究室に戻るとアルヴィンに聞いた。


「アルヴィン。コウカのニューラルネットワークにバグは見られる?」

「いいえ。どのシステムも異常はないですけど?」

「そう……」

「どうかしたんですか?」

「今、コウカと擦れ違ってお帰りって言ったんだけど、あの子、何故か途中で『ただいま』を言うのをやめたのよ。それで、そのまま自分の部屋に行っちゃって……」


 お母さんの話を聞いたアルヴィンは、タブレット端末であたしのシステムに異常はないか、念の為に確認した。


「やっぱり、バグはないですね」

「どうしたのかしら、あの子……」


 お母さんとアルヴィンは、二人で怪訝けげんな顔をした。しかも、メンテナンスでも素っ気ない態度だったから、研究チームのみんなは原因を追究しようとした。だけど、結局はわからなかった。

 だけど、あたしの奇妙な行動は、その日だけで終わらなかった。



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