第4話




 ある日、由利からメールが来た。コウカの初期試験イニシャル・テストの場が用意できたという知らせだった。いよいよ、コウカの人間社会での活動実験が始まる。彼女が生まれて1850日目のことだった。

 イニシャル・テストとは、人間の幼児とほぼ同等の言葉の理解と会話、行動パターン、善悪の判断を身に付けたコウカを、実際に同年齢の子供たちとコミュニケーションを取らせ、同調率の確認と問題のあぶり出しを目的としている。残念ながらまだ表情作りはできていないが、その分、感情の読み取りができるようになってきているので、コミュニケーションに問題はないだろう。実施期間は約一年間だ。


 初登園当日。コウカが途中入園することになった幼稚園の前には、マスコミのドローンがいくつもが待ち構えていた。何処からか、コウカのテスト入園の情報が漏れたらしい。

 ヒューマノイドのコウカが入園することは、私たち開発チームと、政府のプロジェクトチーム、それから園長先生と保育士さんたちしか知らない筈だった。しかもコウカのビジュアルも公開していないのに、ドローンカメラは確実に私たちに向いていた。何処まで情報が筒抜けになっているのか。


(何やってんのよ由利。関係ない一般人の迷惑になるじゃない。まぁ、政府のずさんさは今に始まったことじゃないけど)


 私たちはドローンを無視して園内に入り、園長先生に挨拶した。初日から迷惑をかけたことを謝罪すると、大きな騒ぎにはなっていないから大丈夫だと、聖母かというくらい慈悲深い心と微笑みで迎え入れてくれた。


「いい、コウカ? 貴方はみんなと違うんだから、周りの子を驚かせることはしちゃダメよ。約束を破ったら、幼稚園に行けなくなるからね」

「はい」


 イニシャル・テストの間は、問題が発生した際にすぐに対応できるように、開発チームのメンバーが当番制で一人ずつ付き添うことにした。初日の今日は私が付き添う。

 コウカは、年長組のクラスに入ることになっていた。私も一緒に教室に入り、タブレット端末を片手に邪魔にならないよう後ろで見守る。


「みんなー。今日から新しく入るお友達の、コウカちゃんです。仲良くしてあげてね」

「はーい!」


 コウカは、同じ園服を着る子供たちを見回した。タブレット端末で両眼カメラの映像を確認すると、ちゃんと個々人の顔を捉えて顔認証を行っていた。

 先生に促されたコウカは、最前列の端に用意された椅子に座った。


「今日は、お歌の時間から始めますよー」


 先生はオルガンの準備をし、「森のくまさん」の演奏を始めた。歌詞を覚えている園児たちは、演奏に合わせて元気よく歌い出す。二番になると、オリジナルの振り付きで歌った。歌も振りも知らないコウカは、園児たちを凝視して棒立ちになっていた。ポカンとしてる姿もかわいいけど、あとで覚えさせなければ。

 歌は輪の中に入れなかったが、イラストを使った言葉の時間や英語の時間は参加できた。コウカの素早い回答に園児たちは驚き、先生も唖然としていた。


「それじゃあ今度は、お絵描きの時間です。今日は、好きな動物の絵を描いてみましょう」


 先生がそう言うと園児たちは一斉に行動し始め、教室の道具箱の中からそれぞれ好きなアイテムを出し、ARゴーグルを装着して空中に描いたり、タブレット端末や画用紙に描いたりし始めた。コウカも行動するかと観察していたが、彼女は棒立ちになって他の園児たちを見ているだけで、お絵描きアイテムを取りに行こうとしなかった。

 彼女が何もしないことが心配になった先生が、私に質問を投げかけてきた。


「あの。コウカちゃんさっきから一人ですけど、わたしから何かしてあげた方がいいですか?」

「もう少し、様子を見てあげて下さい。今は、どういう時にどんな行動を取ればいいのかを観察して、自分で入力と出力を試みているところなので」

「入力と出力……」

「あの子は人間と同じように、リアルタイムで学習していくので」


 私はそう説明したが、わかりましたと言った先生の顔は理解できていなそうだった。

 状況を把握したコウカも、お絵描きアイテムのタブレット端末を取り出して床に座ったが、そこまでして動作が止まった。今の時間が、絵を描く時間だということは理解したようだが、何を描いたらいいのかわからないのだ。今のコウカは、テーマを出されなければ描くことはできず、お絵かきの時間は、タブレット端末とのにらめっこで終わってしまった。

 給食の時間になると、園児たちは机を並べて母親お手製のお弁当を広げ始めた。しかし、コウカにお弁当は持たせていない。それを不思議に思った隣の女の子から、コウカに当然の疑問が投げかけられた。


「おべんとうないの?おなかすいちゃうよ?」

「だいじょうぶ。これがある」


 コウカは手のひらに乗った、直径2センチ程のカプセルを見せた。


「ママが、コウカにとくべつにつくってくれた。コウカは、これがあればおおきくなれる」

「へー。そうなんだー」


 理論的な説明がなくても、女の子はそれだけで納得した。

 コウカに“食事”として持たせたのは、マイクロマシンと特殊ゲル入りのカプセルだ。

 コウカの成長には、強化炭素繊維製マイクロマシンを投与している。骨格として使用している強化炭素繊維は予め予備分も合わせて組み立てていたので、数年間はそこから材料を調達させ、マイクロマシンに骨格を形成させていた。しかし、間もなくそのストックがなくなるので、新しく投与するマイクロマシンに現在体内にある同物質の古いマイクロマシンを分解させ、今度はそれらで骨格を形成していく。

 ゲルは肉感を再現した特殊樹脂用で、他にも材料入りのカプセルを飲ませており、それらもマイクロマシンが成長に合わせて形成してくれる。しかし費用の問題で、製造できるマイクロマシンの数にも限りがあり、成長にも限界がある。


 午後になり、外で遊ぶ時間になっても、コウカは園児たちに混ざらずに軒下に立っていた。遊びの時間に何をしているのかを情報収集している。その様子を見守りながら、私はイヤホン型ウェアラブル端末で由利に苦情の電話をかけた。


「はい。由利です」

「ちょっと由利。幼稚園前のマスコミドローンはどういうことよ」

「すみませんでした。私も先程、テレビで知りました。すぐに報道規制を敷いて対処します」

「これで保護者からクレーム来てコウカが拒絶されてテスト中止になったら、あんたたちの所為だからね。それを避けたいのはそっちでしょ。身内の口、ちゃんと閉めておきなさいよ」

「わかっています。情報漏洩防止を徹底させます」


 電話をしながら見守っていると、コウカに三人の女の子が近寄って来た。


「コウカちゃんどうしたの?」

「あそばないの?」

「あそびたいけど、どうしたらいいかわからない」

「じゃあ、いっしょにあそぼ!」


 女の子たちに呼ばれて彼女が走ろうとしたのを、私は見逃さなかった。


「コウカ。走っちゃダメよ!」

「はい」


 コウカは初めて声をかけてくれた子たちに手を引かれて、遊びの輪の中に入って行った。砂場で使う物を持たされて、見よう見まねで砂をいじり始める。


「初日の様子はいかがですか」

「順調な滑り出しじゃないかしら。問題も起きてないし、園児たちも受け入れてくれてるようだし」

「そうですか。では、後ほど改めて、初日の報告をお願いします」

「わかったわ」


 園児に紛れたコウカの姿は、誰がどう見ても他の子と同じようにしか見えない。初日の所為かコミュニケーションは今ひとつだが、すぐに環境に適応できるだろう。

 未知の実験に少し緊張したが、開発チーム以外との初めての会話も成り立っていて、ファーストコンタクトがひとまず成功したことに私は密かに安堵した。

 初めて幼稚園に我が子を預ける母親の気持ちは、こんな感じなんだろうか。



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