第3話




 全てのプログラムの見直しが完了した、その三日後。コウカはハイハイを始め、誕生して三十日後には一人歩きができるようになった。ここまで成長が早いのは、効用関数の入出力が正確に計算され、コウカ自体の学習能力が安定しているからだ。

 しかし、ここからの言葉の理解と物の見分けは時間がかかる。言葉は、五十音は読めるし、基本的な挨拶の復唱もできる。開発時に学習させているから、そこまでは一日もあれば出力の確認はできる。けれど一定のペースでの会話となると、コウカはフリーズしてしまう。未完成だから、言葉の理解も人間の幼児並みなのだ。

 物の見分けも似たような状態だ。予め画像を読み込ませてある程度は学習させてあるが、この世にある多種多様な物を一度に全て覚えさせるのは、あまり現実的ではない。だから、補完させるのにも相応の時間が必要なのだ。

 その認識不足を補うには、フィールドワークが最適だ。視覚センサと両手エンドエフェクタの触覚センサ、更に聴覚センサで音や鳴き声を同時に学習させれば、出力の正確率は上がる筈だ。一人歩きができて、基本的な挨拶もできるようになったし、外に出てたくさんの物や生き物に触れさせたかった。けれど、すぐにはやらなかった。

 何せコウカの身長は、生まれて一ヶ月しか経っていない0歳児相当。それなのに立って歩いたり言葉を発したら、周りの人間が驚いてしまう。「天才乳児、現る!」なんて言われて、世界中でモテモテになってしまう。コウカがモテモテになるのは嬉しいけれど、総務省に何を言われるかわからないので、別の理由で周囲の話題になるのは避けたい。

 だから、まだ暫くは研究所内での学習になる。敷地の外に出られるようになるまでは、職員と触れ合って言葉を理解させたり、映像学習で物や生き物の種類を覚えさせたりした。


 そして、コウカが生まれて365日目。無事に1歳の誕生日を迎え、体重は変わらないまま身長70.0センチに成長した。今日は晴れて、屋外デビューだ。これからは、フィールドワークを重点的に行っていく。

 出かける前に、スキンヘッドの頭にショートヘアのウィッグを被せた。コウカは自分の頭に被せられたものを、触ったり引っ張ったりして確かめていた。


「博士、コウカちゃん。行ってらっしゃい」


 アルヴィンたちに見送られ、電動ベビーカーに乗ったコウカと私は研究所の外に出た。


「そと!」

「初めてのお外ね」

「にんげん!」

「いっぱい歩いてるわね。でも、『ひと』って覚えておきましょ」

「き! くるま! そら!」


 春風で揺れる街路樹の下を、木漏れ日を浴びながら散歩する。コウカは、目に入ったものを片っ端から指差して名前を言っていった。研究所の中から毎日のように外を眺めていた頃から、世の中の様々なものに興味を抱いていることが窺えたので、今日からのフィールドワークでコウカの知識はより深まるだろうことが期待された。


「コウカ。私たちが今、歩いているのは?」

「みち! あすふぁると!」

「草や花が生えてるのは何処から?」

「つち! えいようがほしいから!」

「そんなことまで教えたかしら」

「ネットがおしえてくれた」

「また勝手に調べたのね。ダメって言ったでしょ。自主的に勉強するのはいいけど、そういう細かい情報は知っても小出しにしていきなさいね」

「はい」


 コウカは、注意した時には「うん」ではなく「はい」と答える。最初は疑問だったが、開発者の私を自分が従う上位の者だと理解しているからではないかと思う。


「おかあさん。あれはとり?」

「そう。鳩っていう鳥よ」


 それから、私のことは「おかあさん」と呼ぶようになった。呼称の選択肢はいくつか挙げておいたが、彼女はこの呼び方を選んだようだ。これも疑問だったが、私がどう呼ばれたいかという話をアルヴィンたちとしていたのを聞いて、決めたんだと思う。個人的には、憧れの「ママ」がよかったのだけれど、それはコウカが無事に成長を遂げてくれてからの話になりそうだ。


 フィールドワークでは、直接触れることで固さを数値化して掴む際の力の入れ方も学習した。この方法は予想通り出力正確率を上げ、人間と同じように学習させれば同等のスピードで知能が上がると確信した。彼女は好奇心が旺盛なので、私が苦手な爬虫類や虫も自ら触れに行っていた。だからそれらを触った直後の触れ合いは、ちょっと苦痛だった。

 ある程度の知識を得たら、コウカは次のステップへ踏み出す。その前に善悪の判断基準を教え、何がダメで何が大丈夫なのかを自分で判断できるようにさせた。それに加えて人間とヒューマノイドの違いも教え、ひと通りの準備が整った。

 次のステップは、幼稚園デビューだ。



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