第10話 一方その頃 1

「やっちゃった……私、とうとうやっちゃったよ……っ!」


 今日、初めて大和とイチャイチャした。

 それはとても夢のような時間で、始まってしまえばあっという間。


 服にはほんのり染みた愛おしい大和の匂い。

 友達がつけているような香水とも、練習後に撒きつける制汗剤の匂いとも違う、独特の酸っぱい匂い。でも決して嫌なものではなく、むしろずっと嗅いでいたいとさえ思える。


 私は別に、匂いを嗅いで喜んじゃう変態じゃないのに……。


 そんなことを考えていると、羞恥心と底知れぬ不安感が急激に襲ってくる。


 イチャイチャを迫っている時は何とも思わなかったと言うのに、いざ終わってみると「何をやってたんだろう私は……」と自己嫌悪に近い感情が渦巻く。


 しかし、それ以上に、『大和が私に愛想をついてしまったらどうしよう……』と言う不安の方が私には重大だった。



 だから私は 近所のお蕎麦やさんでお昼を食べてから自分の部屋に戻るなり、ルームメイトであり同じソフトボール部でもある清水麻那に泣きつく事にした。


麻那まな〜〜! 助けて〜〜〜!!!」

「え、ちょ……梨花!? 部屋に戻ってくるなりどうしたのよ!!? 何かあったの!!!?」

 いつもはクールで落ち着きのある麻那だけれども、今回ばかりはその名残もなく、慌てふためいていた。


 かといって、私にも麻那に様子が変な事を伝える余裕なんてものはない。

「大和が……大和がぁ……」

 愛おしい恋人の名前を口にして助けを求める事しか出来ない。


 けれど、それが良くなかった。

「大和? 大和って、あの普通科特進でガリ勉野郎の城廻 大和? ただのモブだと思ってたらまさか、梨花を泣かせるクソ野郎だったとは……ちょっくらアイツの家調べてシメてくる!」

「待って麻那! 大和はそんな人じゃなくて……!!」

 みるみるうちに冷静になったと思いきや、冷静を通り越して怒りを露わにする麻那。


 私が慌てて大和の事を訂正しようとするも、それより先に麻那が言葉を続けてしまう。

「というか、なんで城廻のこと名前で呼んでるのさ。仲良くなるほど接点あったけ?」

 正直、麻那が大和のことを聞いてくれたのはチャンスだと思った。私と大和の関係性を言うにはここしかない。

 勢いそのまま事実を口にする。

「だって付き合ってるんだもん」

 するとどうだろう。見る見るうちに、麻那の表情が変わっていくではないか。

「……はい!!?」

 この驚き声と共に、私は今日起きた事を話す事に。

 それはもう、赤裸々に───。



 一通り話終わると、私の前には普段のクールで落ち着きのある麻那が恐ろしく大きく見える。

 そんな彼女が淡々と口を開く。それはもう、淡々と……。


「ふーん? 一年の頃に気が合って付き合う事にしたはいいけど、梨花はソフトで城廻は特進入りを目指して恋人らしいことは今までして来なかった、と」

「うん、そんな感じ」

「で、昨日、ようやく引退したからこれからは思いっきりイチャイチャしよう、と」

「う、うん……」

「そんで、私たちがいきなり朝いなくなって死ぬほど心配していた中、城廻の家でイチャイチャしていたと?」

「あの、麻那……? もしかしなくても怒ってる?」

「当たり前でしょ! どれだけ心配したと思ってるの!」

「ですよね!! ごめんなさい!!」


 徐々に怒りを露わにしていく麻那は、とうとう我慢できず勉強机に置かれた自分の参考書をバンッと叩く。同時に私は肩を反射的にすくめた。


 麻那の怒りはもっともだった。

 早朝に出かけたまま、お昼過ぎごろまで帰ってこなかった私を寮生全員で探していたところに、男の子の名前を呼びながら私が部屋に戻ってきたのだから、そりゃ怒る。


 挙句に、失踪していた間どんな事をしていたのかと思えばイチャイチャしていると言うのだから、それはもう大変である。

 しかも、昨日の今日、サヨナラホームランを打たれたピッチャーが翌日には元気復活とは誰が思うだろうか。


 私が起こしてしまった事を考えていると、麻那はホッとしたのだろう、安心した声を出す。

「まぁ、でも良かったわ、梨花が無事で。てっきり落ち込んでるのかと思ってたから」

 でも、私だって完璧なわけじゃない。

「昨日のこと、全然ショックじゃないわけじゃないんだよ?」

 ショックなものはショックだし、横になって目を瞑れば、打たれしまう夢を見てしまうのでは無いかと不安になる。

「でも、大和とようやくイチャイチャできると思ったら我慢できなくなっちゃって」

 しかし、不安以上に願っていたものが叶いそうになって抑えられなかったのだ。

 その事を二年以上もルームメイトをしてくれている麻那は分かってくれている。だからこそ、麻那に泣きつける。


「はいはい、分かってますよ〜。惚気乙〜〜」

「惚気じゃないもん! 本音だもん!!」

「それが惚気なんだってば」

「ちょっと意味わかんない」

「なんでさ」


 麻那だからこうしてちょっとおバカなやりとりも出来るのだ。彼女がルームメイトで本当に良かった。


 ふと感謝を心の中で思っていると若干、捻くれたような言い方で、私が部屋に駆け込んできた理由を聞いてくる麻那。

「で、そんなラブラブしてきたであろう梨花さんが、この私に何のようでしょうか? ソフトが彼氏なようなこの私に」

 ふと感謝を心の中で思っていると若干、捻くれたような言い方で、私が部屋に駆け込んできた理由を聞いてくる麻那。

 だから私は高らかに悩みを打ち明ける事にした───。

「大和がかっこよすぎてどんな顔をして会えばいいのか分からなくなっちゃった!!」


 この時の私は、知らなかった。

 恋愛の話は、人を選ばなければいけない、と。

 そして麻那にはするべきものではなかった、と。

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