第3話
何もない休日に家で何もしないのもよくない気がした。そういえば欲しい本があったと思い出して向かった本屋の帰り。そのまま帰るのも味気ないので、駅前の繁華街より少し手前の通りを通った。その中で、一軒の喫茶店が目に留まった。そこそこ古い店だろうか。レトロな店構えだった。店名に見覚えがあったのは、先日同僚が、某チェーンコーヒー店にいそうな可愛いバイトの子がいる、と言っていたからだった。別にその子に興味はないが、本も読みたいし、立ち寄ることにした。外装と同じく店内も絵に描いたような喫茶店だった。
ドアを開けると、カランカラン、とドアベルが鳴った。テーブル、椅子、カウンターは、ダークブラウンに統一されていて、橙の電球の光に包まれていた。
「いらっしゃいま……えっ! 」
聞き覚えのある声だった。カウンターの方を見ると、先日例の事件で遭遇した少女だった。あれよりも少し痩せたようなクマもあるような……全体的に窶れた印象だった。
「あ……」
数秒の沈黙を破ったのは、店の奥から出てきた店主だった。
「いらっしゃいませ。……おや、澪依華ちゃん、お知り合いかい? 」
70近いだろうか、白髪で、白いシャツの上に黒いエプロンをつけていた。バイトの身である彼女も同じ格好をしていた。
「そうなんですよ〜!バイト先行ってなかったのによく分かりましたね!あ、こちらへどうぞ」
即座に作られた嘘のような本当のようなことを言う彼女に言われるがままにカウンター席に座る。何を考えているのかと彼女を見ると、目が合う。唇に人差し指を立てて、ウインクされた。ため息を吐いて、メニュー表を開くと、店主がこんな提案をしてきた。
「お客様が澪依華ちゃんのお知り合いならお店をしばらく任せてもいいかな?夜に使う食材が足りないもんだから買いに行きたいんだ」
「大丈夫ですよ〜!メニューも一通り作れるようになりましたし、任せてください!いいですよね? 」
僕の方を向いて半ば強制のような了承を得ようとしてきた。積もる話もあるような無いような……いいよ、とだけ答えた。
コーヒーは店主が作るのだと言うので、それは作ってもらった。店主が店を出て行ったのを見届けると、あの日のようににっこりと含みのあるような笑みをした。
「ご注文は? 」
「これだけでいいよ」
それだけ答えて、本屋で買ってきた本を取り出した。が、あの日の違和感がなんとなく引っ掛かった。
「……これからどうするの? 」
「ねぇ、お兄さんってさぁ、いい自殺名所知らない? 」
その顔にはもう寂しさはなく、先程の……又は、先日の少々気味の悪い笑顔だった。
「生憎そんな場所は知らないけど。というか、あの時諦めたわけじゃなかったんだ?なんで君はそんなに死にたがってるわけ? 」
「あはは。諦めたと思ってたの?あの時はああするしかなかっただけ。家もなくなっちゃうって言うし、それに、生きている理由がないから。私は、家事もバイトも勉強も、全部母のためにやっていたから。目的がなくなって、どうすればいいのかわからない」
生きる理由……僕だって知りたい。にしても、全てが母親のためだったというのは少々残酷な気がした。
「……少しでも関わった人がそう簡単に死なれても困るんだけど」
「困るって……それ、大分矛盾してない?それに、無責任だよ。お兄さんが私の生活を保証してくれるって言うなら話は別だけど」
そう言ってもうこちらを見ることもなく後ろを向いてしまった。怒っている彼女の言い分は理解できる。僕が人を殺しているのだからそれは確かに矛盾している。でも、あまり理屈通りに人間の思考は動かないらしい。
「いいよ」
「は? 」
今、彼が何て言ったのか。聞き違いかもしれない。そういう流れだっただろうか?ああ言えば普通、諦めるんじゃないんだろうか。
「だから、それ。生活がなんとかってやつ。部屋も空いてるし、経済的に余裕はあるし。君一人くらいならなんとかなるでしょ」
聞き違いではなかったようだった。余計理解ができない。彼に何もメリットがないからだ。メリットあるないに関わらず、そんな先日知り合ったばかりの人間にそんなこと言わない。しかも部屋があるとか、金があるとかそういう問題でもない。冗談、というようでもなく、真面目な顔で言うのが、聞き流すことができなかった。
「は……なにそれ、頭おかしいんじゃないの?」
「冗談でもなんでもない。断ってもいい。君次第だよ。そういう選択肢もあるけどどうする? 」
「それに…その提案に、あなたになんらかのメリットがあるとは思えない。とって食おうっていうんなら断るけど、あなたがそういう人間には見えない。何がしたいの? 」
先日と同じ言葉が飛び交っているのに、出た口は違う。奇妙で滑稽で、気味が悪い。
「メリット……ね、ちゃんとあるからそう提案してるんだけど。言ったよね、少しでも関わった人にそんなすぐに死なれると困るって。誰も納得できない、ただの僕の感情論だよ」
理屈とか理論とか……理性的なものではない、というのが彼の言い分だった。乗っていいものか。……結局金だ。金があればこんなこと平気で言えるんだろうな。
「……乗ろうかな、その提案」
殺されるかもしれないし、食われるかもしれないし、何かれるかわからないけど、どうせ行き着くところは同じなら、それを呑んでからでも考えればいい。
その言葉に、俯いていた顔を上げた彼は、少し驚いたような、でも少し期待通りというような顔をしていた。
「そう……じゃあ、君の家から駅側へ3分くらいの公園に、明日の夜1時ね」
「今からじゃないんだ? 」
「さすがに、君も支度とかあるだろうし、僕も家をなんとかしないといけないからね」
それもそうか。今からでもいいと思った。
彼の本当の目的が分かって、無理ならその後考えればいいし、それでも良ければ居座ってしまえばいいか。
賭けに出よう。これは利害の一致だ。こんな都合の良い人、他にいない。お互いに利用し合えばいい。だって、そうでなければ気味が悪くて仕方ない。
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