第2話


 対象が既に死んでいた……正確に言えば自殺していた、現場にその娘と思われる人物がいた、彼女に自分が人殺しだということがバレた、自分を殺してくれないか、と頼まれた………これが数分。

 

「……頭、おかしいんじゃないの? 」


やっとの思いで絞り出せた言葉がそれだった。左腕を掴まれているので、彼女から離れられない。……いや、振り解けばいいのだが、それができない。この真っ直ぐな目は鎖のようだった。すると彼女は、ぱっと手を離して俯いた。そして顔を上げると、先程とは全然違う表情だった。


「そうかなぁ、最善の選択だと思ったんだけど。なんていうか、えっと…なんだっけこういうの、鴨ネギ?うーん、違うなぁ…あ、そう!棚ぼた!だなぁって思ったの」


鴨ネギ……鴨がネギを背負ってやってくる

棚ぼた……棚から牡丹餅


さて、何がどう棚ぼたなんだか。にっこり笑ってそう言う姿は、先程の自分のことを人殺しだと見抜いた姿とはまるで違った。別人を見ているようだ。二重人格とか一瞬でも考えてしまうくらい。この変わり身も理解ができないが、どうしてこうしたのかも理解ができない。


「……はぁ、その願いは聞き入れることができないね。だってそれ、僕にとっての利益がまるでない。君にとっての最善が他人もそうであるとは限らないでしょ」


そう突き放すと、彼女は不満そうな顔をして俯いた。自分の要求が受け入れられなかったわけだから当たり前だが、そもそもこんな要求を呑むわけにはいけない。


 こういう人って殺すのを躊躇わないんじゃないの?もっと簡単に呑んでくれると思ったのに…利益はなんでも持っていけばいいのに、なんでかなぁ…


ぼそぼそとそんな事を言ってばっ、と何か思いついたように顔を上げると、またさっきの笑顔に戻った。


「あぁ、お兄さん、これを望んでやってるわけじゃないんだ? 」

「……は?何急に」


見ず知らずの赤の他人にこっちの事情まで話す気には全くなれない。しかもどうしてこんなこと聞いたんだ?今までの会話に殆ど脈絡がない。


「だって、そうでしょう?利益が欲しいのなら、この家から持っていけばいい。そもそも、家に侵入しているのがバレている時点で、私はお兄さんのことを警察に言っちゃうかもしれないでしょ?殺した方が絶対いいじゃん」


まともに会話しても仕方ないし、面倒だからと躱してきたつもりだったが、その考えが甘かったようだ。


「はぁ、めんどくさ…」


思わず、ため息ともに口から出てしまった。というか、こういう状況でここまでまともに会話できることがおかしいというか、気味が悪いというか……一体何を考えているのかまるでわからない。


「あれ、お兄さん、まさかだけど警察に通報しても捕まらないとかないよね?ほんとはお金持ちのお坊ちゃんで、上級国民みたいなのだから捕まらないって前テレビで見たやつみたいな」


さっきの洞察力はどこへやら。捕まらないのはあっているけれども。


「そうなんじゃない?知らないけどさ。とりあえず、警察に通報はしなきゃ。お母さん、このままにしておけないでしょ?電話は……」


電話線を辿ると、なるほど使えない。ポケットから携帯を取り出して、彼女に差し出す。


「はい、これ使いなよ。家から出るのも嫌だったんでしょ?わからないでもないけど、他人に通報されるより、身内である君がやった方がいい。気持ちの整理もつくしね」


驚いた顔で見上げる彼女が、よく見ると随分綺麗な顔立ちをしていたことに気づいた。無駄に狂気がまとったのはそれだったか。しかし初めて年相応の表情をしていた。


「……え、どうして、どうしてここまでするの?放っておけばいいのに…だってこんなの、お兄さんにとってなんにもならないのに」


震える声でそう言うのに、なんで答えるべきか迷ったが、そのまま言って仕舞えばいいかとこちらも初めて彼女に話す。


「そうだな……強いていえば、同情?あとは、これは僕のエゴみたいなもんだから、気にしないで」



 彼女は震える手で発信ボタンを押し、繋がると、これもまた震えた声で話し出した。途中、ちらちらと僕の方を見てきたが、割としっかりしていた。


「ありがとう。こんな一言じゃ埋まらないけど」


にっこり笑ってそう言うのに罪悪感を覚えた。


「いや、てか僕は君のお母さんを殺しにきたんだからもっと君は怒っていいんだよ? 」

「あ……そっか。でもいいよ。だってそれ、お兄さんが望んでやってることじゃないんでしょ?それに、こうなったら私が憎むべき相手は他にいるから」


ここまでの落ち着きぶりと、この言い方は、まるでこの状況を予知していたかの様だった。何がどう関係しているのかは知らない。そこまでは教えてもらえないからだ。


ふと、彼女が懐かしくも哀しい面影に重なったが、打ち消した。いらない情が移っても困るだろうに。


「……そう。僕ができるのはここまでだ。事情を説明するには面倒だ。僕にとっても君にとってもね」

「そうだね、ありがとう。よかったらまた会いたいくらいだけど、二度と会うことはなさそうだねぇ、残念」


社交辞令かと思ったが、本当に残念そうにするので少々不安だ。僕に関わっても碌なことがない。しかし、彼女の言い方に何か引っ掛かりを感じた。それが僕の勘違いだったらいいのだが。


「まあともかく、これからの方が大変だよ。変わった日常を日常にしないといけないんだからね」


警察への説明やら、葬儀やらやらなくてはならないことは嫌というほどある。


「確かに……なんとかするよ。ほんとにありがとう。じゃあね」

「うん」






 彼が出て行った後、警察が来た。確かに彼の言った通り、忙しくなった。手続きも色々あったが、母の通帳を見た時、もう本当に馬鹿らしくなった。


「どこからこんな金……なぁんだ、持ってたじゃんこんなに。あんなに忙しくする必要もなかったんだねぇ……」


大家さんに手伝ってもらって葬式をなんとか終わらせた。大家さんは、下のスナックを経営していて、母も夜はそこで働いていた。

葬式の帰り、大家さんは、あのアパートを潰そうと思っていると言った。建物の老朽化と、住人が私たちしかいなかったからだと。


「え……潰すって、私住む家ないじゃん。それに、お店は? 」 

「私ももう年だよ。そろそろ終わりにしようと思ってたんだ。もちろん、すぐにとは言わない。あんたが行く先が決まったらの話さ」


どんどん自分の足下がなくなっていく。やっぱり、あの時殺してもらうんだった。


 生きていくのは地獄にいるより地獄だと、昔誰かが言っていた。それを最近思い出した。母が死んだ日……彼と会った日、あの後ふと。そりゃあ、あんなことが起こればそう思うだろう。


 恨み言も何も書いてないような遺書を読んで、自分の醜さを呪った。結局、私では母の生きる理由にはなれなかったのだ。私の生きる理由は母だったというのに。


「はぁ……誰か、私を殺してくれる人いないかな……」



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