(4-5)


   ◆◆◆


 君がいなくなってしまってから、私はずっと抜け殻のように生きてきました。

 やっと会えたと思ったのに、君は私とは違う世界で生きている別人みたいですね。

 私は君と一緒にいるときの私が好きでした。

 君が私を見てくれないのなら、この世界にいる意味なんてありません。

 本当は、気づいていたんです。

 もう君はこの世にはいないんでしょう?

 あの事故で、死んでしまったんですよね。

 だから、あの日以来、私たちの世界はねじれてしまったんでしょうね。

 ――だから……私。

 涙がこみあげてくる。

 ――ずっとこらえていたのに。

 カズ君と出会った日からの思い出が頭の中で膨らんでいく。

 教室であいさつしようとしたら、耳を真っ赤にして目をそらされてしまったこと。

 風の強い日に転がるペットボトルを追いかけていく後ろ姿。

 君と話したくて、振り向いてほしくて、ずっと待ってたときの切なさ。

 登山合宿の日、車に酔った私に声をかけてくれそうだった君の困惑顔。

 迎えに来てくれた君と初めて言葉を交わしたときの、あの瞬間のうれしさも。

 君と二人で登ったあの斜面から見た風景も。

 全部覚えてるのに。

 あふれた涙が頬を伝って流れ出す。

 私、そんな君をずっと見てたのに。

 ――君にはもう、この手紙は届かないんだよね。

 涙の滴がぽたりと音を立てて、読む人のいない手紙の文字をにじませる。

 せっかく書いた手紙が涙の海に沈んで読めなくなってしまう。

 と、その時だった。

 足下が急に流れ出す。

 ――砂だ。

 小さなくぼみに白い砂が吸い込まれていき、すり鉢状に沈んでいく。

 足が、膝が、そして胸まですっぽり砂に埋もれたかと思うと、伸ばした手の指先まであっという間に引きずり込まれ、周囲はどこまでも深い暗闇に変わっていた。

 だけど、不思議と怖くはなかった。

 まるで誰かの腕に抱きしめられているみたいで、むしろ私は安心してその流れに身をゆだねていた。

 絞り込むように砂が小さな穴に向かって回転しながら落ちていく。

 次の瞬間、私の体は暗闇に浮いていた。

 落ちるのでもなく、飛んでいるわけでもなく、その暗闇は空間ではなく水中を泳いでいるような感覚なのに息苦しくはなく、安心感に満ちたあたたかな液体の中を漂っていた。

 何も見えない暗闇に点のように小さな光が灯る。

 その点は次第に増えていき、蛍みたいに宙を舞い始める。

 いつの間にか私は白い光が散らばる砂の星空に浮かんでいた。

 ここは……?

「時が舞い上がる砂時計だよ」

 降りつもるはずの時が舞い上がる?

「ねじれた砂時計が僕らの時をさまよわせてしまったんだ」

 懐かしい声が耳をくすぐる。

 ――カズ君。

 上も下も分からない暗闇で、静かな光に包まれた君が私を抱きしめてくれていた。

 優しい腕の中で私は涙を流していた。

 やっと会えたね。

 さびしかったよ。

 苦しかったよ。

 だけど、もう、怖くなんかない。

 温かな血のかよった君の胸に頬を押しつける。

「ねえ、カズ君、本当のことを教えてよ」

 返事はない。

「大丈夫だよ、私、もう驚いたりしないから」

 君は私の頬を指先でぬぐいながら静かに首を振った。

「隠さなくていいから」と、私は君の肩を揺らした。「カズ君はもう……」

「違うよ」と、君が言葉をかぶせる。「違うんだ」

 じゃあ、いったい……。

「僕らは死んでなんかいないよ。いなくなってもいないんだ」

 ――え?

「ねじれた砂時計が君のメッセージを届けてくれていたんだ。だから、僕は悲劇的な結末を避けようとしたんだけどね。そう簡単にはうまくいかなかったんだよ。事故を避けることができなかった」

 そうか、そうだったんだ。

 既読がつくだけのメッセージも、涙でにじんだ手紙も、ちゃんと君に届いていたんだね。

「苦しませてしまって、ごめん」

「ううん」と、私は首を振った。「カズ君は悪くないよ。頑張ってくれたんだもん、私のために」

「事故の時に、血まみれの僕を見た君を苦しませたくなかったんだ。僕は君を守りたかった。僕にとって君は天使だったからね。僕の世界を変えてくれた天使に涙は似合わないよ。だけどそのせいで、かえって君を苦しめることになってしまうなんて、予想外だったよ」

 どういうこと?

「あの日、死にかけた僕は生と死の境目で自分の肉体から分離してしまったんだ。そして反対に、君の意識は自分自身の中にこもってしまったんだ」

 そうだったんだ。

 だから、自分が自分でないような、記憶が混乱して夢の中にいるみたいな感覚が続いていたのか。

「そうやって世界が二つに分かれたんだ。君のいる世界と、僕のいる世界に。君が生きている世界からは僕が消えて、僕が生きている世界には君がいなくなったんだ。僕らはお互いに砂時計のこちらと向こう、ねじれたくびれで隔てられた二つの世界に閉じ込められていたんだよ」

 私の世界から君が消えてしまっていたのは、そういうことだったの?

 雨に濡れて重くなったぬいぐるみを抱きしめるみたいに君の言葉がじんわりと胸に沈んでいく。

 無力な私には君の懐かしい微笑みがとても頼もしい。

「お互いの姿は見えなかったけど、想いだけは届いていたんだ。僕はあきらめなかったし、君もそうだっただろ。だからようやく君を連れ戻しに来ることができたんだ。ねじれた世界から君を救い出すためにね」

 そういったカズ君がはにかみながらじっと私の目を見つめる。

「ただ、遅くなってごめんね。思ったよりも回復に時間がかかっていたからね」

「カズ君も怪我が良くなってきてるの?」

 そうだよ、と君は力強くうなずいてくれた。

 その瞬間、ガラスに閉じ込められた暗い星空に砂吹雪が舞い上がり、純白の花火のように光の滴が降り注いだ。

 静かにゆったりと漂いながら光が落ちていく。

 暗闇の底にたまった白い砂は光を蓄えたまま、もう二度と舞い上がることはなかった。

「帰ろう」と、カズ君がつぶやいた。「一緒に」

「うん」

「天使の君が僕を新しい世界に迎え入れてくれたように、今度は僕が君を連れて帰る番だよ」

 良かった。

 ありがとう。

 やっと、戻れるんだね。

 どんなに苦しくてつらくても、君のいない世界よりはずっといい。

 天使はね、不完全なパズルのピースを愛で埋めるために羽を広げるんだよ。

「目を閉じて」と、カズ君が自ら目を閉じた。

 うなずく代わりに私はしっかりと抱きついた。

 パチンと指を鳴らす音がして意識が薄れていく。

 ――今、そちらへ行きます。

 君のところへ。

 君が待っている世界へ。

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