誰にでも あると思うな 向上心

 世の中の基準値が高すぎて追いつける気がしない。何かといえば向上心向上心って、無いのよ最初からそんなもの。少なくともそういう奴がここに一人はいる。


 何かを始めれば突き詰めることが当然とされて、いつの間にか経験と実力が伴わないことに苦しんでいる。継続は力なりなんてのは向上心があっての話だ。向上心がないと生きてちゃいけないというのか。


 つまりまぁ、私は今とてつもなく困っている。


 同じ事を同じ温度で繰り返しているとマンネリ化だと言われやる気がないとダメ出しをされる。

「将来どんなスキルアップを目指してる?」「今の仕事のどこにやりがいを感じてる?」会社の面談や上司との飲み会ではこんな質問は常だ。わたしは別に同じでいい、何も変わらなくていい。新たなチャレンジなんて頼むから持ってこないでくれ。ただ、そんな奴に居場所なんて与えてくれるわけはない。


 会社は時代を読みながら結果を出し成長を遂げていかなければならないから。一人ひとりの努力がその結果をもたらすから。社会に帰属するには向上心は必要不可欠な持ち物だ。持参しているかどうかの確認なんてわざわざ取らないから実は私持ってないんですよ〜とカミングアウトもできない。できたところで居場所を失うだけ。


 たまに、世の中がお笑いタレントのヒロシを目指してくれたらなぁと思うときがある。「ヒロシのぼっちキャンプ」という番組では、ヒロシが今この瞬間の自分の好きや拘りを自由にキャンプにしていく。視聴者に対しても、何より好きなようにやったらいい、だけどマナーは守ってねというスタンスだ。


 只々真剣に楽しむ姿はかっこいい(ただ、余った食材のその後が個人的にいつも気になっているが)。そこに向上心は皆無だなんてことは思わないが、そうやって成長する意欲やとことん突き詰めることよりも先にルールの範囲内で好きを純粋に楽しむことができたらそれが一番いい。これは綺麗事なんだろうか。


 実際、人の向上心とその技術の練磨によって日々快適で便利な暮らしができており、私もその恩恵を受けに受けまくっている。なので、向上心0で生きると言い張るのなら他人様の向上心に寄り掛かって生きるのはやめろと言われても反論はできない。


 世の中が需要と供給で成り立っている以上、自分だけの世界線は存在しない。たとえ会社を立ち上げたって自分の腕一本で副業を始めたって、誰かの求めるものに応えるというのは変わらない。需要と供給は鰻のぼり一方だから結局上を目指していくことになる。


 それでもスマホの予測機能で“さ”と検索すれば〈サザエさん症候群〉という言葉が出てきたり、Twitterで「#連休最終日の夜」「#最高の休日」などがトレンド入りしてるうちは当たり前に生きてる奴なんてそんなにいないのかもしれないと考えてみたりもする。本当にそうだとしたら、みんな向上心を身に纏うのがとても上手なんだろうなと憧れながら笑ってしまう。

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