質問の着地点
私にはどうしても嫌悪感を抱いて仕方ない質問がある。それは〈あなたの血液型は何型?〉だ。
子供の頃はクラス替えの度に全員の自己紹介の定型文だったし卒業アルバムの後ろの方にある“うちのクラス紹介”には星座と肩並べして載っていた。
それほどに血液型は己を語る上で大事なエレメントなのだろう。絶対的で不動で性格よりもずっと根強くこの先変わらない安心感がある。
別に血液型占いが嫌いというわけではないし、インスタグラムなどで紹介されているO型の特徴みたいなものを見つければつい手を止めて自分と重ねてみたりもする。
ただ質問として用いられると突然嫌な気持ちになって仕方ない。これは決して捻くれで言っているのではない。本当にこれを聞かれた途端、血の気がさっと引くように相手に対する不信感が芽生えてしまうのだ。
ほとんどの人は大人になってもこれをただの質問として心が揺れることなんてないのだろうか。分からない。でもそれならその方が良い。
私は相手からされるこの質問の裏側に、“自分がとった行為に対して理解し難い何かしらの異質感を抱いているからだ”と考えてしまう。
そしてこの違和感や異質感にどうにか説明をつけたい、消化して安心したいのだろうと。根拠や原因は人を安心させる材料だ。その不動で絶対的な根拠。これから先も見据えた根拠。
血液型はまるで方程式のXみたいだ。行動yからXつまり血液型を導き出す。方程式が解ければもう大丈夫、何も心配ない。
恐らく子供の頃のように全くの初対面から相手を知る為の無邪気な質問として使う場合もあるのだろうが、後々は相手をジャッジするための判断材料にされるわけでどちらを先に導き出すかだけの話だ。
血液型を伝えたあとの相手の安堵が私は怖い。
「あぁ、なるほどね」と。
そして次回から、むこうは異質感を感じるたびに「だって〇〇型だもんね仕方ないね」と苦笑いしながら諦めていくだろう(のように感じる)。それがとてつもなく哀しい。
本当は自分が一番うんざりしている。どこまでも付いてきては無意識に現れるとても不快な異質感に私は全く納得ができていない。それなのに勝手に名前をつけて周りから先にどんどん諦めていく。何故。私はまだ全然諦められないのに。
だから私は他人の行動に血液型を結びつけようとは思わない。それに血液型へのそこまでの信頼度がやっぱり理解できない。
そして〈あなたの血液型は?〉の着地点は往々にして2パターンだと私は思う。「やっぱりね」、もしくは「意外だね」。
どちらにせよ今から判決を下されているようでいい気分はしない。
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