第16話 使いっぱしり


「お嬢さん。おい、起きてくれ」


 頬を叩かれ、ゆっくりと意識が戻って来た。

 ぼんやりとする視線の向こうに居るのは、私達を馬車に乗せてくれた商人さん。

 馬車の荷台だろうか? 周りに先程も見た商品の木箱と……私達の装備が転がり。

 そして、此方の手首はロープで縛られていた。


「なっ!? どういうつもりですか!」


 思わず大声を上げた私の口を、商人が塞いで来た。

 怖い、純粋にそう思ってしまった。

 口を塞がれてしまえば詠唱を紡げないし、今は武器となる杖も無い。

 だからこそ、この状況で何かをされれば抵抗出来る手段が無い。

 以前オーガに頭を掴まれた記憶が蘇り、ガクガクと震えてみせれば。


「少し静かにしてくんねぇかな、アンタを探してるのは俺だけって訳じゃないんだ。他の連中に取られちゃ不味いんだ、いくつか質問に答えてくれるかい? お嬢ちゃん」


 やけに冷たい瞳をこちらに向けて、静かに言葉を紡いでくる相手。

 なんだろう、やっぱり違和感がある。

 普通の人間である筈なのに、普通じゃないというか。

 コレだと言う点は無い筈なのに、妙に背筋が冷たくなってくる。

 多分、瞳だ。

 改めて見ても普通だと思えるのに、ぼんやりしているというか。

 まるで此方を見ているのに見ていない、曖昧な視線をしている気がする。


「すまねぇな……俺もこんな事したくないんだが。まぁあの方達からのお願いだ、仕方ねぇ事なんだよ。アンタだってそう思うだろう? どうか、大人しく協力しちゃくれねぇかい?」


 それだけ言って掌を放した男性。

 さっきからまるで言っている意味が分からない。


「貴方はいったい、何を言っているのですか?」


 私達は誘拐されたといって間違い無いだろう。

 しかしながら、その相手も良く分からない言葉を繰り返している。

 手首を縛り、脅迫もしてくる側だというのに。

 まるで“仕方のない事”みたいな事を言っている。

 こうする事が当然であり、私の方がおかしいみたいな言い回し。


「とりあえず、こっちの二人はどうでも良いんだが……まぁ一緒に差し出せば良いか。そしたら褒美も増えるかもしれねぇしな」


「さっきから何を言っているんですか? 私達を誰かに売り渡すつもりですか?」


「売り渡す? アンタは何を言ってるんだい? 俺がそこらの人攫いにでも見えるってのか? 全く、失礼なお嬢さんだな」


 不味い、本当にこの人が何を言っているのか理解出来ない。

 どう考えたって人攫いにしか見えないし、やっている事は思い切り犯罪なんだが。

 それを当の本人が自覚していないかのような雰囲気だ。

 これ、本格的に不味い相手に捕まってしまったんじゃ……。


「まぁ、何でも良いか。そんな事より、質問させてくれよ。アンタ、前回のスタンピードの時に森に居た神官で間違い無いか? アンタ以外に女の神官の冒険者は居るのかい?」


 何やらため息を溢してから始まった、突然の質疑応答。

 コレはいったい、どう言う状況なのだろう?

 かなり困惑しつつ、相手の事を覗き込んでいれば。


「早く答えてくれよ」


 それだけ言って彼はタクトの様な杖を取り出し、仲間のこめかみに向けた。

 まさかこの人、魔法が使えるのか。


「止めて下さい!」


「じゃぁ早く答えてくれよ。君は、前回のスタンピードの時、森に居た神官ですか? って聞いたんだ」


 この人、さっきから全然表情が変わってない。

 本当に周りの事などどうでも良いと感じでいるみたいに、私達をその“誰か”に届ける事しか興味が無いみたいに。

 このままでは、間違いなく彼は魔法を放つだろう。

 ゾッと恐怖が込み上げて来て、急いで口を開いた。


「居ました! 前回のスタンピードが始まった頃、森で皆と狩りをしていました!」


「へぇ、それじゃ当たりかなぁ? その時、サキュバスと会ったかい? そしてその時、質が良いと認められた記憶はあるかい?」


「えっと……」


「早く答えて」


 グリッと、仲間に対して更に強く杖を押し付ける商人。

 もはやこれ以上刺激すると、すぐにでも魔法を放ちそうな雰囲気が漂って来た。

 だからこそ、此方も早く相手の求めている情報を……なんて、思ったその時。


「うぅん……うん? え? おっさん誰?」


「あぁもうさっきから鬱陶しい、なんだよもう……って、え?」


 目覚めた二人は、商人さんを見てから完全に固まった。

 そして。


「うわぁぁぁぁ! おっさんに拉致られたぁ!?」


「うぎゃぁぁぁ!? 俺等を売っても大して金になりませんよマジでぇぇぇ!?」


 二人揃って、大声を上げた。

 まぁ、そうなるよね。

 なんて事を思いながら、慌てて二人に向かって声を上げた。


「逃げて下さい! この人の目的は多分私です!」


 急に事態が動き出した事に、商人は少しだけ慌てた様子で再び此方に手を伸ばして来た。

 やはり、目的は私のみ。

 他の二人はどうでも良いとすら感じているのは確かな様だ。

 だが、それが決定的な隙となった


「何してんだテメェ!」


「アイリーンさん! コレ!」


 一人が商人に向かって獣の様に突撃し、派手に吹っ飛ばした。

もう一人は床に転がった相手の杖を咥えて、私の手元まで這って来るではないか。

 す、凄い……行動力あるなぁとは日頃から感じていたが、最初にあった頃とは別人の様に連携が取れている。

 とにかく、縛られているのが手首だけで良かった。


「ありがとうございますお二人共! 離れて下さい! “エアショット”!」


 後ろ手に縛られているので、物凄く撃ち辛かったが。

 それでも簡単な魔法を作り出し、相手に向かって発射してみれば。

 真正面から私の攻撃を受けた商人は、馬車の幌の外へと吹っ飛んで行った。

 死んだりは……していない筈、空気を圧縮して放っただけだし。

当たり所や、荷台から落ちた時に打ちどころが悪く無ければ。

 ちょっとだけ心配になり、幌の外へと顔を出してみれば。


「ハァイ、お嬢さん。何やら騒がしいと思ったら、こんな所で何を遊んでいるのかしら? あははっ、なかなか逞しいわねぇ……縛られている状態で、相手を吹っ飛ばすなんて」


すぐ傍に、サキュバスが立っていた。

 その瞬間ビクッと体を竦め、思わず荷台の中へと飛び込んでしまった。

 思わず逃げちゃったけど、ちょっとサキュバスがトラウマになってるのかもしれない。


「こんな所で無駄な時間を使ってるとはねぇ……まさかこの商人、私達に渡すはずのモノで“お楽しみ”してた訳じゃないでしょうね? それでぇ? 当たりだったのかしら? この子」


「間違いありません! 前のスタンピードの時に、その場に居たと本人も言っていました!」


 相手の言葉に、やけに元気な声を上げる商人。

 よかった、商人の方は無事だった様だ。

 とか何とか、安心している暇がある訳もなく。


「“エアショット”!」


 荷台の中から、サキュバスに向けて先程の魔法を放ってみたが。


「痛ったぁ……とは言っても、そんなチンケな魔法で私達が倒せるとでも? 本当にこの子なのかしら?」


 間違いなく顔面に当たった筈なのに、相手は少し顔を顰めた程度。

 それもその筈、さっきから私が放っているのは初級魔法でしかないのだ。

 どうしよう、詠唱の時間を稼がないと……。

 そんな事を思っていれば。


「本当にこの娘です! だからどうか、御褒美を!」


「あぁもうさっきから騒がしいわね。ちゃんとあげるから、ちょっとこの後も手伝いなさい、人間」


 なんて言葉を残したかと思えば、サキュバスは男性の胸倉を掴んで立ち上がらせ……自らの唇を相手の唇に押し当てたではないか。

 そして、此方にも聞こえてきそうな水音を立てながら……。


「わ、わぁぁぁ!?」


「あら、お嬢さんは随分ウブなのね? もう少ししたら相手してあげるか、ちょっと大人しくしてなさい?」


 一度唇を放したサキュバスが、そんな事を言い放ったが。

 再び相手とのキスに戻る淫魔。

 ひ、人前であんな事を!? やっぱり淫魔はおかしいです!

 とか言いたくなってしまったが、私の後ろでモゾモゾと動く二人の仲間が。


「アイリーンさん、今の内に詠唱を。相手は完全にこっちを舐めてます、その隙に」


「もうちっとで……ロープが斬れそうだから、今の内に準備を……」


 商品の中にあったのか、それとも隠し持っていたのか。

 口に咥えたナイフを器用に動かし、私のロープを切断し始めているではないか。

 凄い、私もこれからは今持っている様な小さい杖とか隠しておいた方が良いのかもしれない。

 などと思いつつ詠唱を開始し、やがて準備が整った所で。


「ふぅ……まぁ、こんなモノかしらね。ホラ、御褒美をあげたんだから呆けて無いで仕事をなさい」


「は、はい! おい娘! お前さっき言っていた内容をもう一度――」


 行為が終わったらしい商人が、やけに赤くなっている顔で荷台に乗り込もうとしたその瞬間。


「“ライトニングボルト”!」


解放された腕を伸ばし、未だ馬車の外に居た彼女に杖を向ければ。

サキュバスの身体に、雷が直撃した。

 その高電圧は生物が耐えられるモノではなく、ビリビリと痙攣しながら焦げ臭い匂いが広がっていく。

 やがて地に伏し、相手が動かなくなってから。

 商人はガタガタと震えて此方を睨んだ。


「何てことをするんだアンタ!? この、人殺し!」


 それだけ言って彼は荷台を飛び降り、まるで愛する人を抱きかかえる様にしてサキュバスに縋りついた。

 相手は間違いなく魅了されていた。

 行動も言動もおかしかったし、それは間違いない筈。

 だというのに、ズキンッと胸に鋭い痛みが走った気がした。


「ソイツはサキュバスだろうが! アンタこそ何言ってんだスケベオヤジ! 催眠が解けたら改めて自分の愚行を思い出しやがれ!」


「二人共掴まって! 馬車を出すよ!」


 いつの間にか二人も拘束を解いていたらしく、叫び声と同時に乗っている馬車が勢いよく動き出す。

 離れていく彼等へ視線を向けながら、胸の内に広がる痛みに耐えながら。

 私は静かに、離れていく彼等に祈りを捧げるのであった。

 どうか、彼が正しく元の状態に戻りますように。

 そして何より、この件に関して……どうか私達の勘違いではありませんように。

 非常に身勝手な祈りではあるが、それでも怖かったのだ。

 もしも種族を越えた愛情で結ばれていた二人だった場合、彼にとって私の存在は間違いなく“人殺し”なのだろう。

 そう考えると、神に祈らずには居られなかった。

 私は、神官失格なのかもしれない。


 ※※※


「アイリーンさん……落ち着いた?」


「えぇ、大丈夫です……」


「気にする事ないですって! 相手はサキュバスで、おっさんの方はどう見ても操られてたじゃないですか。しばらくすりゃ正気に戻って、今までやった事に対して頭を抱えるでしょうよ!」


 馬車を走らせながら、二人は必死に慰めてくれるが。

 “もしも”という言葉がこびりついていた。

 とはいえ私達だって生き残る為に行動したのだ、だからこそいつまでもウジウジして居られないのは確か。


「今後の話をしましょう。サキュバスがまた出て来たとなると、やはり前回との関りを想像してしまいますが……どうですかね?」


 無理やりにでも頭を切り替え、そう言葉にしてみれば。

 やはり二人も、非常に渋い表情を浮かべている。


「確かに……前回の残党だなんて言ったら、サキュバスどころかオーガも残ってる可能性もある」


「そうなってくると、不味いね。早く街に戻って報告しないと」


 先程の様なサキュバス一体ならまだしも、以前の様な変異種や上位種が出て来たら非常に不味い。

 それどころか、やはり私達としてはオーガが出てきたら即終わり。

 今の内に馬車を使って逃げきってしまうのが最善な訳だが。

 そもそも何故催眠と呼べるほどに“魅了”を掛けたのだろうか?

 そう言えば、私を探している様な発言をしていたんだっけ。

あぁぁ……そうなって来ると、絶対前回の生き残りじゃないか。

 でも何故私なんだ? ただの冒険者だし、別段強いと言う訳でもない。

 目を付けられるというか、恨まれる様な記憶は無いのだけれど。

 いや、待てよ?


「もしかして、今度は私を人質にしてムギさんに何かするつもりなんじゃ……」


「報復、って事か? いやでも、流石にあの戦闘を見て“爆炎”に挑もうとするかねぇ?」


「どうなんだろう……でも相手の狙いがアイリーンさんって可能性は凄く高いね。冒険者の神官って、今の所他に見ないし」


 私も、他の神官をギルドで見た記憶が無い。

 理由は簡単、冒険者をやらなくてもいくらでも仕事があるから。

 そうなって来るとやはり……あの時森で出会った個体の生き残りという線が強い。

 ムギさんがアレだけ盛大に散らした後なのだ。

 確かに私を助け出してくれた時は、大雑把になったみたいな事を言って来た気がするけど……アレだけの爆発の中生き残るとか、どれだけ運が良いのか。


「とにかくこの事態をギルドに知らせて……可能なら、ベテランの方々に対処して頂きましょう。私達では、どうする事も出来ません」


 そう言い放ってみれば、二人は力強く頷いてくれた。

 こんな事なら、あのサキュバスの遺体は回収して来た方が証拠になったのかもしれない。

 とはいえあの場には商人も居たし、あまり時間を取られて他の個体が集まって来てしまったら目も当てられないけど。

 むしろまたサキュバスが出て来て、仲間二人が“魅了”されたら全てが無に帰る。

 何てことを考えながらも、随分な勢いで突き進む馬車の中で頭を捻っていれば。


「え? 何だアレ」


 御者を務めていた仲間から、不意に声が上がった。

 それに合わせて此方も荷台から身を乗り出してみれば。

 数台の馬車がまるで道を塞ぐようにして、此方を待ち受けているではないか。

 そしてその馬車の前には、人が並び此方に杖を構えている。

 間違いなく、盗賊の類ではない筈。

 誰も彼も、ごく普通の格好をしているのだから。


「アレってもしかして、さっきの商人と同じ……」


「だとしたら、相当不味いな」


「あぁクソ……こっちは馬車引いてる訳だから、脇道には逃げられないよ? 森の中を突っ切る乗り物じゃないし……」


 三者三様に声を上げた途端、正面からはいくつもの魔法が襲い掛かって来たのであった。

 ソレはもう、馬車を破壊する勢いで。

 最悪だ、やっぱりサキュバスになんて情を抱くものではない。

 そんな事を考えながら、とんでもない衝撃に襲われた私達は馬車の外へと勢い良く放り出されるのであった。

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